荒井寛方(読み)あらい かんぽう

美術人名辞典の解説

荒井寛方

日本画家。栃木県生。本名寛十郎。水野年方に入門し歴史画を学ぶ。初期文展・再興美術院に活躍、また巽画会・紅児会にも参加する。大正5年(1916)タゴールに招かれてインドに渡り、アジャンタ壁画模写、帰国後は仏教に多く画題を得た作品を院展を中心に発表する。また当麻寺天井画・竹生島弁天壁画の制作や法隆寺金堂壁画の模写事業にも参加した。院展同人。昭和20年(1945)歿、67才。

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デジタル大辞泉の解説

あらい‐かんぽう〔あらゐクワンパウ〕【荒井寛方】

[1878~1945]日本画家。栃木の生まれ。本名、寛十郎。水野年方に歴史画を学び、文展、のち院展で活躍。インドのアジャンタ壁画や、法隆寺金堂壁画の模写事業に加わった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

荒井寛方 あらい-かんぽう

1878-1945 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治11年8月15日生まれ。水野年方に歴史画をまなぶ。大正4年院展に「乳糜(にゅうび)供養」を出品,同人に推される。5年インドにわたり,アジャンター壁画を模写。昭和15年より法隆寺金堂壁画の模写事業に参加した。昭和20年4月21日死去。68歳。栃木県出身。本名は寛十郎。

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大辞林 第三版の解説

あらいかんぽう【荒井寛方】

1878~1945) 日本画家。栃木県の生まれ。本名、寛十郎。初め歴史画を学び、初期文展で活躍。再興日本美術院同人。タゴールに招かれアジャンター壁画を模写。法隆寺金堂壁画の模写にも従事。代表作「乳糜にゆうび供養」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

荒井寛方
あらいかんぽう
(1878―1945)

日本画家。栃木県生まれ。本名寛十郎。水野年方(としかた)に師事し歴史画を学んだ。1900年(明治33)結成の紅児会(こうじかい)に加わる。初期の文展に出品していたが再興日本美術院に転じ、1915年(大正4)その第2回展に『乳糜(にゅうび)供養』を出品して同人に推された。翌1916年インドに渡り、アジャンタをはじめ中央アジア各地の壁画を模写した。1924、1925年に中国を旅行、1926年には渡欧してローマの遺跡などを訪ねる。仏画を描いて院展に出品を続け、法隆寺金堂壁画の模写事業にも加わった。[原田 実]

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