蒲生八幡神社(読み)かもうはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「蒲生八幡神社」の解説

蒲生八幡神社
かもうはちまんじんじや

[現在地名]蒲生町上久徳

蒲生町役場の北方鎮座祭神応神天皇仲哀天皇神功皇后を主神として本殿安置。旧県社。かつては正八幡若宮と称されていた(「三州御治世要覧」など)。社蔵の正八幡若宮縁起によると、保安四年(一一二三)二月二一日に鹿屋かのやより蒲生へ遷宮したとあるが、鹿屋垂水たるみずの誤りとみられる。「三国名勝図会」は「上総介藤原舜清、隅州下大隅に下向し、若宮八幡奉祀し、保安四年癸卯ママ二月廿一日、今の地に勧請」と記し、さらに舜清は豊前宇佐うさ郡の人で真光坊といい、父教清は宇佐宮留守職とされることから宇佐宮の分霊を勧請したのであろうとしている。


蒲生八幡神社
かもうはちまんじんじや

[現在地名]小倉南区蒲生五丁目

むらさき川左岸、旧南方みなみがた中島山なかじまやまに鎮座。祭神は応神天皇・神功皇后、宗像三女神(多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命)。宗像三女神が蒲生村にじ山に降り立ったので、里人は紫池に多紀理毘売命を祀って応神・神功を配し中河原なかがわら八幡宮、虹山には多岐都比売命を祀って応神・神功を配し蒲生八幡宮、紫池の北に市寸島比売命を祀って厳島神社と称したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「蒲生八幡神社」の解説

蒲生八幡神社

鹿児島県姶良市にある神社。“蒲生”は「かもう」と読む。平安時代末期、蒲生氏初代当主の蒲生舜清(ちかきよ)による創建と伝わる。祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后。境内クスノキは「蒲生のクス」として国の天然記念物に指定、かつ日本一の巨樹と認定

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