歌舞伎狂言。世話物。5幕12場。通称《文弥殺し》。河竹黙阿弥作。1856年(安政3)9月江戸市村座で,按摩文弥・提婆(だいば)の仁三を4世市川小団次,伊丹屋十兵衛を初世坂東亀蔵により初演。金原亭馬生の人情噺に古くからあるお駒・才三(さいざ)と古今・彦惣(こきんひこそう)の情話を綯交(ないま)ぜ,佐々木家のお家騒動の世界にはめた人情・怪談・白浪物。盲目の少年按摩文弥は,姉が吉原に身売りしてつくった百両の金を持って,座頭(ざとう)の官位を取りに京都へ向かう。途中鞠子の宿で胡麻の蠅の提婆の仁三にねらわれたところを,同宿の十兵衛に救われる。が,未明の宇都谷峠まで送って行った十兵衛は文弥が大金を持っているのを知り,主家のため貸してくれと頼むが断られ,ついに惨殺して金を奪う。やがて十兵衛は妻とともに文弥の怨霊に悩まされたうえ,殺しの現場を目撃した仁三に落とした煙草入れをタネにゆすられたため,仁三を鈴ヶ森へおびき出して殺害。みずからも切腹して死ぬ。見どころはいたいけな按摩文弥と強欲の盗賊仁三という対照的な二役の早替り,鞠子の宿の世相風俗のいきいきした描写,律義な商人の十兵衛が主のため文弥を手にかける峠の殺し場,十兵衛のいとなむ居酒屋の亡霊出現と仁三の強請場(ゆすりば)など。なかでも峠の場は〈因果同士の悪縁が,殺すところも宇都谷峠,しがらむ蔦の細道で,血汐の紅葉血の涙……〉のせりふと早替りで知られる名場面。名人小団次と黙阿弥という幕末歌舞伎を代表するコンビは,この一作によって確立された。
近代では6世尾上菊五郎の文弥,仁三の二役と初世中村吉右衛門の十兵衛が好評。早替りと殺し場が際立つため小芝居向きとして軽視されがちだったが,じつは義理と因果にあえぐ人物を活写した重厚な作。1969年当代最高とされた17世中村勘三郎の二役と8世松本幸四郎(のちの白鸚)の十兵衛による国立劇場の,初演以来の通し上演は,その点でも画期的であった。
執筆者:河竹 登志夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。五幕。河竹黙阿弥(もくあみ)作。1856年(安政3)9月江戸・市村座で、4世市川小団次(こだんじ)の座頭文弥(ざとうぶんや)と提婆(だいば)の仁三(にさ)、初世坂東亀蔵(かめぞう)の伊丹屋十兵衛(いたみやじゅうべえ)により初演。金原亭馬生(きんげんていばしょう)の人情噺(ばなし)に取材したもので、通称「宇都谷峠」「文弥殺し」。座頭文弥は、姉お菊が吉原へ身売りしてつくった百両の金で官位をとろうと京へ上る途中、鞠子(まりこ)の宿(しゅく)で胡麻(ごま)の蠅(はえ)提婆の仁三にねらわれるが、同宿の伊丹屋十兵衛に助けられる。主人才三郎を救う百両の調達に苦しむ十兵衛は、文弥を送って宿をたち、宇都谷峠でやむなく文弥を殺して金を奪う。その後、十兵衛は文弥の怨霊(おんりょう)に苦しめられ、また殺しの現場を目撃した仁三から強請(ゆす)られ、ついに鈴ヶ森で仁三を殺し、自分も捕らえられる。名優小団次と名作者黙阿弥のコンビが確立された第一作。脚本はほかにお菊のちに遊女古琴(こきん)と白木屋彦三(ひこぞう)、彦三の妹お駒(こま)と才三郎という二組の情話が添えてあるが、見どころは宇都谷峠の文弥殺しと伊丹屋の強請り場。初演以来、文弥と仁三という対照的な二役を早替りで演ずるのが原則で、近代では6世尾上(おのえ)菊五郎の二役と初世中村吉右衛門(きちえもん)の十兵衛のコンビが傑出していた。1969年(昭和44)国立劇場で17世中村勘三郎、8世松本幸四郎(白鸚(はくおう))により初演以来の通し上演が好評を得た。
[松井俊諭]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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