デジタル大辞泉
「提婆」の意味・読み・例文・類語
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だいば【提婆】
- [ 一 ] 「だいばだった(提婆達多)」の略。
- [初出の実例]「罪忘心滅三禅楽、誰道提婆在二獄中一」(出典:岷峨集(1313‐28頃)下・皇慶二年二月初七、在
禁中、朗誦無学禅師遇兵刧伽陀、因折句拝和以見意焉)
- [ 二 ] ( [梵語] Deva または Āryadeva の音訳 ) インド大乗仏教の思想家。三世紀頃の人。南インドの出身で、龍樹(ナーガールジュナ)の弟子となり、盛んに論争を行ない、中観派の空(くう)の立場を宣揚した。三論宗の祖。著書に「百論」「広百論」など。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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提婆
だいば
2~3世紀ころのインドの仏教哲学者。原名はアーリヤデーバĀryadeva。聖提婆ともいう。セイロン島の王の子として生まれたが、王位を捨てて出家し、南インドで龍樹(りゅうじゅ)(ナーガールジュナ)の弟子となった、という。大乗仏教、とくに師の説く空(くう)の思想を究め、のち4~5世紀ころに形成された中観(ちゅうがん)学説の基礎を定めた。主著『四百論』には、空の哲学を展開し、当時の仏教内外の諸思想を批判している。そのほか『百論』『百字論』があるが、他学説を鋭く論破したため、恨まれて暗殺された、と伝える。
[瓜生津隆真 2016年12月12日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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提婆 (だいば)
3世紀ころのインド大乗仏教の哲学者。生没年不詳。サンスクリット名をアーリヤデーバĀryadevaという。南インドまたはスリランカの出身で,中観派の祖竜樹の弟子となり,空観の思想を宣揚した。その思想的特徴は,破邪の強調にあるとされ,激しく小乗や外道(仏教以外の宗教,哲学)を批判したため,ついには外道によって斬殺されたという。著作には《四百論》《百論》《百字論》があるが,《智心髄集》という仏教綱要書は提婆に帰せられるものの,後代の作である。なお《百論》は《中論》《十二門論》とともに三論宗で重視されたため,古来,中国,日本でよく学ばれた。
執筆者:松本 史朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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提婆
だいば
Āryadeva
2~3世紀頃の南インドの僧。『百論』を著わしたとされ,片目であったことから迦那提婆ともいわれる。龍樹より学びインド中観派の祖とされる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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