金原亭馬生(読み)キンゲンテイ バショウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「金原亭馬生」の解説

金原亭 馬生(10代目)
キンゲンテイ バショウ


職業
落語家

肩書
落語協会副会長

本名
美濃部 清(ミノベ キヨシ)

別名
前名=むかし家 今松,古今亭 志ん朝(初代),古今亭 志ん橋(5代目)

生年月日
昭和3年 1月5日

出生地
東京・笹塚

学歴
東京府立第七中(旧制)卒

経歴
昭和の名人といわれた5代目古今亭志ん生の長男で、弟は3代目古今亭志ん朝。幼い頃は絵を好み、日本画家の鴨下晁湖に弟子入りするほどであったが、家計を助けるため旧制中学の夜間部に通う傍ら、写真会社に勤務。戦時中は少年飛行隊を目指すが、体調を崩したため断念して落語家志望に転じ、昭和18年父に入門、むかし家今松を名乗る。戦争による若手落語家不足のため二ツ目から出発した。19年初代古今亭志ん朝に改名するが、父が満州慰問に行ったまま帰ってこなかったため、戦争末期から敗戦直後の困難な時代に、一家の主柱として家族を養った。一方で古参の落語家たちから稽古をつけてもらい、ネタの数を大幅に増やした。22年父が帰国し、むかし家今松にいったん芸名を戻すが、同年5代目古今亭志ん橋に改めて真打ちに昇進。24年10代目金原亭馬生を襲名。以来、寄席やラジオで活躍し、41年からは東横落語会のレギュラーとなった。破天荒な芸風の父とは対照的に、一貫して古典落語正統派で在り続け、噺にまつわる歴史や背景を調べ上げるなどリアリズムを追求し、ゆるやかな口調とリズムで多くの人に愛された。また、高座を降りれば画や書、俳句をたしなむなど日本風の風格のある生活を送った。53年落語協会副会長に就任。55年より上野本牧亭で独演会「馬生十八番」を毎月1回開催するが、57年食道がんのため早逝した。主な演目に「子別れ」「笠碁」「船徳」「たが屋」「芝浜」「大坂屋火鳥」「あくび指南」など。弟子に金原亭伯楽、鈴の屋馬勇、2代目金原亭馬の助、五街道雲助、11代目金原亭馬生らがいる。女優・池波志乃は娘。

没年月日
昭和57年 9月13日 (1982年)

家族
父=古今亭 志ん生(5代目),弟=古今亭 志ん朝(3代目),娘=池波 志乃(女優)

親族
女婿=中尾 彬(俳優)

伝記
落語大看板列伝―枝雀・文治・柳昇・馬生・小さんシュルレアリスム落語宣言談志絶倒 昭和落語家伝もう一席うかがいます。三人噺―志ん生・馬生・志ん朝世の中ついでに生きてたいびんぼう自慢志ん生最後の弟子 ヨイショ志ん駒一代対談 落語芸談〈PART4〉貞丈のお笑い芸界銘々伝俳句は下手でもかまわない落語長屋の知恵 落語ファン倶楽部 編平岡 正明 著立川 談志 著,田島 謹之助 写真古今亭 志ん朝 著美濃部 美津子 著古今亭 志ん朝 著古今亭 志ん生 著,小島 貞二 編古今亭 志ん駒 著川戸 貞吉 編一龍斎 貞丈 著結城 昌治 著矢野 誠一 著(発行元 白夜書房白夜書房大和書房河出書房新社文芸春秋河出書房新社筑摩書房うなぎ書房弘文出版日本デザインクリエーターズカンパニー朝日新聞社青蛙房 ’09’08’07’06’05’05’05’02’93’90’89’86発行)


金原亭 馬生(8代目)
キンゲンテイ バショウ


職業
落語家

本名
小西 万之助

別名
前名=橘家 喬松,桂 小平,三遊亭 小円治,古今亭 延生,蝶花楼 馬の助,金原 馬の助,金原亭 馬の助

生年月日
明治29年 9月7日

経歴
衆議院の小使をしていたが、明治43年4代目橘家円喬の弟子となって喬松。初代桂小南門に移って小平。さらに2代目三遊亭小円朝門で清朝から大正7年8月小円治と改名するが、落語家を一旦廃業。宇都宮で幇間に転じて茶目平を名乗る。14年頃東京に戻り4代目古今亭志ん生門で延生の名で復帰。翌15年志ん馬となり8代目桂文楽門で桂文生を経て、昭和2年4代目蝶花楼馬楽(後4代目柳家小さん)門下となって馬の助、その後も改名を重ね、14年10月8代目金原亭馬生を襲名した。軽快な明るい口調で、俳優の声色も得意とし演目に「かつぎや」「芝居狂」「ほうじ茶」などがある。あだ名をゲロ万という。大成を期待されながらも病のため早世した。

没年月日
昭和18年 11月7日 (1943年)


金原亭 馬生(5代目)
キンゲンテイ バショウ


職業
落語家

本名
宮島 市太郎

別名
前名=金原亭 小馬三郎,林屋 正朝,春風亭 枝三郎,柳亭 小燕路

生年月日
元治1年

出生地
江戸・麻布(東京都)

経歴
噺家の浅草亭馬道の子。4代目金原亭馬生に入門。小馬三郎と名乗り、明治11年7月初高座を踏む。その後、3代目春風亭柳枝門で枝三郎、4代目林屋正蔵門で正朝、さらに3代目柳亭燕路門で小燕路と転々とし、32年8月5代目馬生を襲名、真打ちになった。37年大阪の三友派に出演。大阪で噺家の傍らおもちゃ屋を営み俗に“おもちゃ屋の馬生”といわれる。大正8年帰京するが、次の馬生ができていたため赤馬生として区別。昭和初期に浅草亭馬道となり寄席からは遠のいたが、馬生の名でラジオに出演した。

没年月日
昭和21年 4月15日 (1946年)


金原亭 馬生(4代目)
キンゲンテイ バショウ


職業
落語家

本名
平沼 佐七

別名
前名=金原亭 馬力,林々舎 馬勇

生年月日
文政7年 9月

経歴
人情噺の名人といわれた3代目馬生の門人で、初め馬力、のちに林々舎馬勇と改名。3代目馬生没後、遺族の反対を押し切って4代目馬生を襲名する。しかし、名を持ちきれずに終わり、噺家としてよりも策士として注目された。明治9年以来、落語家の税務係となって頭取の三遊亭円朝などを補佐する。浪花節がまだ外道の芸とさげすまれていた時代、浪花節の寄席進出を斡旋したため落語界から追い出され、困窮のうちに没した。

没年月日
明治22年 5月3日 (1889年)


金原亭 馬生(9代目)
キンゲンテイ バショウ


職業
落語家

経歴
4代目橘家円喬の門人東喬、大正1年5代目馬生の門に入り馬きんとなり、15年上方で6代目馬生を継いだ。東京にも大阪馬生とは別に馬生の名があるため、一度浅草亭馬道と改名し、東京8代目馬生の没後に9代目馬生を継ぎ、昭和19年に東西乱立した馬生名が統一された。

没年月日
昭和24年 1月1日 (1949年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金原亭馬生」の意味・わかりやすい解説

金原亭馬生(10世)
きんげんていばしょう[じっせい]

[生]1928.1.5. 東京
[没]1982.9.13. 東京
落語家。本名美濃部清。5世古今亭志ん生の長男。生まれは笹塚で,その後,本所業平のなめくじ長屋で育った。1943年父に入門,戦中で落語家が少なく,むかし家今松を名のり二つ目で高座に上がった。翌 1944年,1世古今亭志ん朝と改名。父志ん生が満州に慰問に行っている間,一家を支えた。1947年真打ちに昇進し,古今亭志ん橋となる。1949年 10世金原亭馬生を襲名。若い頃から努力と研鑚を積み,ネタ数の多さでは志ん生と双璧である。人情噺を得意とし『大坂屋花鳥』『お富与三郎』など独自の構成で噺を構築し,より深い一編として聞かせた。人情噺以上に寄席で演じる『代わり目』『ざる屋』などの軽い落語や,『長屋の花見』『青菜』『目黒のさんま』など季節を感じさせる落語に味わいがあった。趣味は日本舞踊と日本画。日本画は鴨下晁湖に師事した本格派。父と同様酒豪で酒にまつわる逸話も多い。弟は 3世古今亭志ん朝,長女は女優の池波志乃。

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20世紀日本人名事典 「金原亭馬生」の解説

金原亭 馬生(10代目)
キンゲンテイ バショウ

昭和期の落語家 落語協会副会長。



生年
昭和3(1928)年1月5日

没年
昭和57(1982)年9月13日

出生地
東京・笹塚

本名
美濃部 清(ミノベ キヨシ)

別名
前名=古今亭 志ん朝,古今亭 志ん橋

学歴〔年〕
豊山第二中学中退

経歴
落語の名手といわれた古今亭志ん生の長男に生まれ、14歳で志ん生に入門、二ツ目・むかし家今松から出発し、古今亭志ん朝を経て、古今亭志ん橋で真打に昇進、昭和24年10代目馬生を継いだ。俳句や書画を嗜む古典落語の正統派で、53年から落語協会副会長を務めていたが、早逝した。代表芸は「笠碁」「船徳」「たが屋」「芝浜」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金原亭馬生」の解説

金原亭馬生(10代) きんげんてい-ばしょう

1928-1982 昭和時代の落語家。
昭和3年1月5日生まれ。5代古今亭志ん生の長男。昭和18年父のもとに入門。むかし家今松,古今亭志ん朝をへて志ん橋で真打となり,24年10代を襲名。「大坂屋花鳥」「お富与三郎」などの人情噺を得意とした。戦前派と戦後派の橋渡し的存在で,落語協会副会長をつとめた。昭和57年9月13日死去。54歳。東京出身。本名は美濃部清。

金原亭馬生(初代) きんげんてい-ばしょう

?-1838 江戸時代後期の落語家。
4代坂東三津五郎の兄。初代三遊亭円生に入門し,円遊を名のる。のち一派をたてて金原亭馬生と改名,道具入り芝居噺(しばいばなし),続き物の元祖として知られた。門流は馬派(うまは)とよばれる。天保(てんぽう)9年8月26日死去。通称は銀次郎。別号に家猿(かえん),牡丹(ぼたん)。

金原亭馬生(2代) きんげんてい-ばしょう

五明楼玉輔(ごめいろう-たますけ)(初代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の金原亭馬生の言及

【三遊亭円遊】より

…(1)初代(?‐1838(天保9)) 初代三遊亭円生門下。のち金原亭馬生となる。道具入り芝居噺の祖として知られる。…

【落語】より

…一方,可楽よりもやや先輩として活躍したのは,〈身振り声色(こわいろ)芝居掛り鳴り物入り〉元祖と称した初代三遊亭円生だった。円生門下からは,〈続き物〉の祖初代金原亭馬生(きんげんていばしよう)(?‐1838),人情噺の名手初代古今亭(ここんてい)志ん生,おなじく人情噺をよくした2代円生などが輩出した。 上方落語界は,彦八の名跡が4代で絶えて以後は低調だったが,前記のように会咄,座敷咄が流行し,1792年(寛政4),京都から浮世咄の松田弥助が下るにおよんで復興の機運を迎え,初代桂文治(1773‐1815)が寄席興行を開催し,芝居がかりの落語を口演したころから隆盛に向かった。…

※「金原亭馬生」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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