コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

藤原師光 ふじわらのもろみつ

3件 の用語解説(藤原師光の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原師光
ふじわらのもろみつ

[生]?
[没]治承1(1177).6.2.
平安時代後期の廷臣。初め藤原通憲 (法名信西) に仕えたが,平治の乱に通憲が敗死したため出家。法名西光。のち後白河院の近臣として勢力をふるった。治承1 (1177) 年藤原成親らと鹿ヶ谷で平氏討滅をはかり,発覚して捕えられ,次いで斬殺された。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原師光 ふじわらの-もろみつ

?-1177 平安時代後期の官吏。
藤原家成の養子。藤原通憲(みちのり)に近侍し,平治(へいじ)の乱での通憲の死に際して出家。のち後白河法皇につかえて第一の近臣と称される。鹿ケ谷(ししがたに)での平氏打倒の謀議が発覚(鹿ケ谷事件)し,安元3年6月1日処刑された。「平家物語」によれば,拷問の座で平清盛をののしった剛の者という。法名は西光。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原師光
ふじわらのもろみつ
(?―1177)

平安後期の廷臣、後白河(ごしらかわ)院の近臣。父母は不詳。藤原通憲(みちのり)(少納言信西(しんぜい)入道)に仕え、その推挙で左衛門尉(さえもんのじょう)となる。平治(へいじ)の乱(1159)で通憲が死ぬと出家して西光(さいこう)と名のり、のち後白河院の寵臣(ちょうしん)として威を振るった。1177年(治承1)4月、子の加賀守(かがのかみ)師高(もろたか)が延暦(えんりゃく)寺との紛争で尾張(おわり)に流されたのを憤り、院に奏して天台座主(てんだいざす)明雲(めいうん)を伊豆に流した。ついで6月には藤原成親(なりちか)、僧俊寛(しゅんかん)らと鹿(しし)ヶ谷(たに)で平家打倒の密議をめぐらしたが発覚、平清盛(きよもり)に憎まれ殺された。「法皇第一の近臣」として院に対する讒言(ざんげん)など専横の言動があったようだが(玉葉(ぎょくよう))、剛胆に清盛を面罵(めんば)して処刑された最期のありさま(平家物語)は、激動期に生きた権臣の面目を伝えている。[谷口 昭]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の藤原師光の言及

【西光】より

…平安末期の院近臣。俗名藤原師光。父は中納言家成(白河院乳父顕季の孫)。…

【鹿ヶ谷事件】より

…1177年(治承1)後白河法皇の近臣が平氏打倒を企てた陰謀事件。権大納言藤原成親,僧西光(藤原師光)が中心となり,平康頼,僧俊寛,藤原成経(成親の子)らが加わった。俊寛の京都東山鹿ヶ谷の山荘で謀議をこらしたので,こう呼ばれる。…

※「藤原師光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

藤原師光の関連キーワード大善平清邦高階経敏藤原敦兼藤原敦隆藤原国兼藤原定通藤原季兼(1)藤原時房(1)藤原盛房

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

藤原師光の関連情報