平安後期の廷臣、後白河(ごしらかわ)院の近臣。父母は不詳。藤原通憲(みちのり)(少納言信西(しんぜい)入道)に仕え、その推挙で左衛門尉(さえもんのじょう)となる。平治(へいじ)の乱(1159)で通憲が死ぬと出家して西光(さいこう)と名のり、のち後白河院の寵臣(ちょうしん)として威を振るった。1177年(治承1)4月、子の加賀守(かがのかみ)師高(もろたか)が延暦(えんりゃく)寺との紛争で尾張(おわり)に流されたのを憤り、院に奏して天台座主(てんだいざす)明雲(めいうん)を伊豆に流した。ついで6月には藤原成親(なりちか)、僧俊寛(しゅんかん)らと鹿(しし)ヶ谷(たに)で平家打倒の密議をめぐらしたが発覚、平清盛(きよもり)に憎まれ殺された。「法皇第一の近臣」として院に対する讒言(ざんげん)など専横の言動があったようだが(玉葉(ぎょくよう))、剛胆に清盛を面罵(めんば)して処刑された最期のありさま(平家物語)は、激動期に生きた権臣の面目を伝えている。
[谷口 昭]
?~1177
平安末期の官人。鳥羽上皇・後白河上皇の近臣。家成の養子。藤原通憲(みちのり)(信西)の乳母子といわれる。法名は西光(さいこう)。1159年(平治元)平治の乱で通憲が殺害されたため出家したが,政界にとどまり,後白河上皇の第一の近臣と称された。子の師高が日吉社の末社と争って配流となったとき,上皇に奏して天台座主(ざす)の明雲を伊豆国へ配流。77年(治承元)鹿ケ谷(ししがたに)で藤原成親(なりちか)・俊寛(しゅんかん)らと平氏打倒を謀議したことが発覚,朱雀大路で斬首された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…平安末期の院近臣。俗名藤原師光。父は中納言家成(白河院乳父顕季の孫)。…
…1177年(治承1)後白河法皇の近臣が平氏打倒を企てた陰謀事件。権大納言藤原成親,僧西光(藤原師光)が中心となり,平康頼,僧俊寛,藤原成経(成親の子)らが加わった。俊寛の京都東山鹿ヶ谷の山荘で謀議をこらしたので,こう呼ばれる。…
※「藤原師光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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