堀内正和(読み)ホリウチ マサカズ

20世紀日本人名事典 「堀内正和」の解説

堀内 正和
ホリウチ マサカズ

昭和・平成期の彫刻家 京都市立芸術大学名誉教授;京都芸術短期大学名誉教授。



生年
明治44(1911)年3月27日

没年
平成13(2001)年4月13日

出生地
京都府京都市

学歴〔年〕
東京高等工芸学校(現・千葉大学)彫刻科〔昭和4年〕中退,アテネフランセ

主な受賞名〔年〕
高村光太郎賞〔昭和38年〕「海の風」,現代国際彫刻展大賞(第1回)〔昭和44年〕「立方体の二等分」,長野市野外彫刻賞(第3回)〔昭和50年〕,毎日芸術賞(第28回)〔昭和62年〕

経歴
昭和4年「首」で二科展に入選して東京高等工芸を中退、二科の番衆技塾に移り、アテネフランセの講師、青山学院中の図画教師などをしながら藤川勇造に学ぶ。22年二科会員(41年脱会)。正六面体、球などの幾何学的な形態分割したり、視覚トリックを使うなどユーモアと詩情漂う作風で知られ、鉄を溶接、構成した作品などを手掛けた。32年サンパウロ・ビエンナーレに参加するなど国際的にも活躍。38年「海の風」で高村光太郎賞、44年「立方体の二等分」で現代国際彫刻展大賞、62年毎日芸術賞を受賞。わが国の抽象芸術パイオニア的存在だった。25〜49年京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)教授。文章もよくし、著書に「アルプ」「ユーレーカ―堀内正和の彫刻」「坐忘録」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堀内正和」の意味・わかりやすい解説

堀内正和
ほりうちまさかず

[生]1911.3.27. 京都,京都
[没]2001.4.13. 東京,渋谷
彫刻家。日本の抽象彫刻の先駆者。常に抽象的な形態にこだわり続け,機知に富んだ作品で高く評価された。1929年二科展に初入選したのを機に東京高等工芸学校を中退し,番衆技塾で藤川勇造に師事した。第2次世界大戦中,思想的な統制に反発して制作を一時中断。1950~74年京都市立美術大学教授として後進の育成にあたった。1950年代半ばから鉄を溶接した,構成的な抽象作品を制作。1960年代末からは切断や分割によるシリーズを制作。直方体,正六面体などの幾何学的な形態を分割し,意表をついたユーモアあふれる作品を生み出した。1957年サンパウロ・ビエンナーレに出品(→ビエンナーレ)。1963年『海の風』で高村光太郎賞,1969年箱根彫刻の森美術館の現代国際彫刻展大賞,1970年神戸須磨離宮公園現代彫刻展で神奈川県立近代美術館賞を受賞。(→現代美術

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀内正和」の解説

堀内正和 ほりうち-まさかず

1911-2001 昭和-平成時代の彫刻家。
明治44年3月27日生まれ。昭和4年二科展に初入選,22年二科会会員。25年京都市立美大(現京都市立芸大)教授。38年「海の風」で高村光太郎賞。44年「立方体の二等分」が現代国際彫刻展で大賞。ユーモラスで幾何学的な立体作品を制作。現代抽象彫刻のパイオニア。平成13年4月13日死去。90歳。京都出身。東京高等工芸(現千葉大)中退。

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百科事典マイペディア 「堀内正和」の意味・わかりやすい解説

堀内正和【ほりうちまさかず】

彫刻家。京都市生れ。東京高等工芸学校中退。1929年二科展入選。藤川勇造に師事。1947年二科会会員。1966年退会。1950年―1974年京都市立美術専門学校教授。幾何学的形態の金属彫刻を主とする。1987年松濤美術館で回顧展。1996年《ユーレイカ 堀内正和作品資料集成》が刊行された。

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367日誕生日大事典 「堀内正和」の解説

堀内 正和 (ほりうち まさかず)

生年月日:1911年3月27日
昭和時代;平成時代の彫刻家
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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