行動薬理学(読み)こうどうやくりがく(英語表記)behavioral pharmacology(英),pharmacologie comportementale(仏),Verhaltens Pharmakologie(独)

最新 心理学事典 「行動薬理学」の解説

こうどうやくりがく
行動薬理学
behavioral pharmacology(英),pharmacologie comportementale(仏),Verhaltens Pharmakologie(独)

行動薬理学心理学と薬理学の融合領域であり,実験心理学の手法を用い,⑴薬物の行動効果や作用機序,⑵薬物作用における行動維持要因の関与,⑶薬物効果を利用した行動のメカニズムなどの解明や,⑷薬物の薬効評価を行なう学問領域である。狭義には,動物を用いて行なう場合を指す。精神薬理学psychopharmacologyと同義に用いられる場合もある。

【行動薬理学と行動分析学】 動物行動に及ぼす薬物作用の研究は19世紀末から見られるが,今日の行動薬理学の基礎は,1950年代にスキナーSkinner,B.F.のもとで学んだデュースDews,P.B.らにより築かれたといってよい。この背景となった大きな出来事として,1943年にごく微量で催幻覚作用を示すLSDが合成されたことと,1952年にクロルプロマジンchlorpromazineがそれまで確たる治療法のなかった統合失調症に著効を示したとの報告が挙げられる。前者は薬物が精神病様作用を惹起しうることを示し,生化学的変化と行動変容の関連についての研究を促進した一方,薬物乱用拡大のきっかけともなった。後者は,精神科領域の障害の薬物治療の可能性を示し,以後,多くの薬物開発の端緒を開いた。そして,この薬物の静穏効果(沈静効果)が条件回避事態で明らかにされ,臨床応用につながったことが大きな契機となり,心理学,とりわけ行動の定量的評価を可能にする行動分析学が,心の病の治療薬の効果予測・効果検定に広く用いられることとなった。

【薬物が行動に及ぼす効果】 デュースやそれに続く行動分析学者らは,実験的行動分析学の手法を用い,⑴薬物が行動に及ぼす効果,すなわち薬物効果そのものが行動基線を維持する操作(強化スケジュール)により変化すること,⑵薬物が反応を促進するか抑制するかは基線反応率に依存する場合が多いこと(薬物効果の「頻度依存性rate dependency」とよばれる),⑶薬物の効果はその反応を維持する強化子(たとえば餌や電撃)よりも,強化スケジュールに依存する度合いが大きいこと,⑷薬物効果が個体ヒストリー(履歴)によっても大きく変化すること(たとえばアンフェタミンamphetamineは電撃による反応抑制を強めるが,回避学習経験のある個体では著しい反応促進が見られる),などを明らかにしてきた。しかし近年では,行動変化に関与するさまざまな薬物受容体に特異的な物質が盛んに開発されており,また遺伝子操作も可能となっているためか,研究がそれらを利用した方向に流れ,このような薬物作用の行動解析がおろそかにされているきらいがある。

【薬物刺激効果stimulus effect of drug】 薬物は,他の外部刺激同様,さまざまな刺激機能を有する。主なものは,強化子としての機能(強化刺激効果reinforcing stimulus effect,強化効果reinforcing effectとよばれることが多い)と,弁別刺激としての機能(弁別刺激効果discriminative stimulus effect,自覚効果subjective effect)である。このような薬物刺激効果は,ヒトを含む哺乳類マウス,ラット,イヌ,サルなど)や鳥類(主にハト)のみならず,キンギョプラナリアなど,広い動物種で研究されている。ヒトの場合,いずれの効果も質問紙による検索が多いが,動物同様の厳密な条件下での検索では,質問紙ではとらえきれない側面があることが明らかとなっている(たとえば自覚効果が見られなくともモルヒネの自己投与行動が維持される)。

【薬物強化効果reinforcing effect of drug】 薬物依存drug dependenceの主な問題は,薬物の正の強化子positive reinforcerとしての機能を反映した薬物の探索行動・摂取行動の開始initiation,持続maintenanceおよび再発relapseである。薬物強化効果を調べる手法の一つである選択試験choice test,preference testでは,通常,薬物を混入した飼料あるいは水を普通飼料や水と併置し,嗜好性preference(選択率)を検討する。この方法は簡便だが,味が嫌悪的な薬物は選択されないなどの問題がある。このような欠点を補うものとして,静脈内にカテーテルを慢性的に植え込み,反応に対して薬液を直接注入する静脈内自己投与法intravenous self-administration methodが,ウィークスWeeks,J.R.によりラットで,また柳田知司らによりサルで,1960年代に確立された。反応に対して注入される薬物の用量が正の強化子であるならば,反応率は増加し,維持される。水に難溶な薬物では胃内に,また揮発性の物質では鼻腔内にカテーテルを留置する。これまでの研究では,ヒトで乱用される薬物は,幻覚薬を除き,動物でも自己投与されることが見いだされている。静脈内自己投与法は,⑴薬物強化効果の行動的・神経薬理学的メカニズムや,⑵薬物摂取の渇望や再発の研究のほか,⑶新規薬物の精神依存能(強化効果)の有無や,⑷薬物依存の治療薬の評価などに広く用いられている。評価に当たっては,注入1回当たりの単位用量は実験者が統制できるが,総摂取量は個体に依存しており統制できないこと,また用量により,薬物の行動抑制効果などが反応頻度に影響を与えうること,などを考慮する必要がある。薬物強化効果の強さの検定法としては,1回の注入に要求される反応数を累進的に増加させる累進比率スケジュールprogressive-ratio scheduleが一般的である。また近年では,1回に注入される用量(単位用量)とそれを得るための必要反応数を価格とみなし,価格に対する消費量(薬物摂取量)の変化,すなわち需要の価格弾力性という観点からこれをとらえる行動経済学behavioral economics的解析もよく用いられている。この手法の利点として,薬物の吸収速度や効果持続時間にあまり影響されないことが挙げられる。条件性場所選好conditioned place preference(条件づけ場所嗜好性試験)では,薬物投与後はある特定環境下(たとえば黒いボックス),生理食塩液投与後は別の環境下(たとえば白いボックス)に一定時間置き,特定環境と薬物効果とのレスポンデント条件づけを行なう。ついで,薬物フリーの状態で白黒ボックスの仕切りを外し,環境(場所)の選好を,各ボックスの滞在時間により観察する。これは強化効果を条件性強化子の選択という間接的な形でとらえる方法だが,簡便であり,報酬のみならず嫌悪効果も観察可能であること,薬物の影響下にない状態での選択であること,用量の統制が可能なこと,などの利点がある。新規性探索novelty-seekingの可能性を排除するため,2ボックスの選択ではなく,新規環境を入れた3ボックスの選択とする方法もある。ただし,用量ごとに群が必要であることから,用量効果関係を得るのに多くの被験体数が必要という欠点がある。また,この方法が汎用されている齧歯類では,ペントバルビタールやフェンシクリジンなどの典型的依存性薬物でも選好が見られないことや,けいれん薬であるペンチレンテトラゾールで選好が見られるなど,薬物強化効果のみを反映しているとはいいがたい例も報告されており,結果の解釈に注意を要する。

【薬物弁別刺激効果discriminative stimulus effect of drug】 薬物摂取後に主観的に感じられる薬物効果(たとえば風邪薬を飲むと眠くなる)は,薬物の自覚効果subjective effectとよばれ,これが報酬的であれば正の強化効果を生じると考えられる。このような内的な効果が光や音などの外刺激同様に弁別刺激として機能しうることは,1960年代より,薬物影響下での学習の非影響下への移行の有無などを検討する,状態依存学習state-dependent learningとして示されてきた。典型的な薬物弁別実験drug discrimination experimentでは,薬物投与後は2レバーのうち一方を,生理食塩液投与後は他方を選ぶと強化子(餌など)を与える訓練を行なう。この弁別完成後に他の用量や,さまざまな薬物を投与し,般化の有無による弁別効果の質的・量的類似性の検索や,薬物前処置による拮抗の有無などと併せ,効果発現のメカニズムをも検索する。これまで,サルではヒトでの質問紙による自覚効果の分類とほぼ同様の結果が得られているが,ラットではコカインなど中枢神経興奮薬とモルヒネなどオピオイド(アヘン類縁物質)との相互般化が不明確であったり,ハトではオピオイド間の般化が哺乳類と異なるなど,般化プロフィールに種差が見られている。 →オペラント条件づけ →強化 →強化スケジュール
〔高田 孝二〕

出典 最新 心理学事典最新 心理学事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の行動薬理学の言及

【向精神薬】より

…ド・クインシーの《アヘン常用者の告白》(1822)やボードレールの《人工楽園》(1860)もあるが,これらは薬の効果を詳しく観察したにとどまり,作用のしくみを解明できなかったので,向精神薬が科学的に研究されはじめたのは1952年の精神薬理学スタートの年とすべきであろう。精神薬理学の一分野として行動薬理学behavioral pharmacologyが発達し,ちょうど現れてきたK.ローレンツらによる動物行動学と手を携えて,動物やヒトの心理の解明に大きな貢献をすることになった。
[向精神薬と精神病]
 向精神薬の最大の貢献は精神障害を治せるようになったことであり,それまでほとんど治療手段がなくて隔離監禁放置されていた患者が速やかに社会復帰できるようになった。…

【精神薬理学】より

…つまり,心を動かす薬の,生理的影響,吸収,代謝,排出,治療への応用,などを調べる学問である。行動への影響に重点をおくときは行動薬理学behavioral pharmacologyと呼ぶ。薬理学が生理学や生化学の方法を使うのに対して,精神薬理学はそれらのほかに心理学,精神医学,行動学などの方法を使う点に特色がある。…

【薬理学】より

…従来解明が困難であった精神病発現機序の薬物による解明も含まれる。動物実験では,行動が精神機能の指標として用いられることから,精神薬理学の一分野として行動薬理学ということばも使われる。精神薬理学薬学【柳田 知司】。…

※「行動薬理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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