江戸時代に江戸・大坂などの大都市の町人居住地で,表通りに面していない路地裏に建てられた小商人・職人・日雇いなど下層庶民の借家住居のこと。多くは長屋建てであったので裏長屋とも呼ばれる。江戸町人地の場合,基本的な町割りは,京間で60間四方の街区のまん中に,会所地という20間四方の空地をとり,街路に面した奥行き20間の部分を間口5~6間の短冊形に割って屋敷地とするものである。個々の屋敷地内の,表通りに沿った,奥行き5間ほどの表部分には,地主が店舗を出すか,または,地借といって,比較的富裕な商人が地主から土地を借りて自己資金で店舗を建てた。これが表店で,それに対して,表店の間の路地を入った裏部分は商売に適さないため,会所地と同様に江戸時代初期には,さほど利用されていなかった。しかし17世紀後半の寛文~元禄期以後には,町人階級内部の階層分化の進行や,他所からの転入などによって増加した下層庶民の住居として,地主が,この屋敷地内の裏部分に長屋などの住居を建てて,借家経営を行うのが一般的となった。この借家人が店借(たながり)である。その形態は,個々の敷地内に1間幅ほどの路地をはさんで長屋が数棟建ち並び,その一画には住人共用の井戸,便所,ごみためが必ずまとまって配置されていた。長屋の1戸分は間口9尺,奥行き2間(俗に9尺2間の棟割長屋という)が標準で,内部は出入口のある路地側に台所を兼ねた土間があり,4畳半か6畳ほどの部屋が1部屋とれる程度の狭小なものであった。したがってこのような裏店が密集した地区の人口密度はかなり高かった。江戸の場合,地主が屋敷地内に住む(家持または居付地主と呼ばれた)ことは少なく,多くは家守(やもり)(大家,家主ともいう)が屋敷地内に住居を構え,地代・店賃徴収を代行し,また裏店住人の人別改め(戸籍調べ)や町触(法令)通達などを行い,棒手振(ぼてふり)などの小商人,大工・左官などの職人,そして日雇いなどと呼ばれた下層単純労働者など,裏店住人の事実上の支配者となっていた。
→長屋
執筆者:玉井 哲雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…近世において借家・店借の存在は,とりわけ都市域では量的にも質的にも重要な構成的比重をもった。都市に展開する多様な分業を底辺で支えた都市民衆の多くは,裏店(うらだな)と呼ばれる零細な棟割長屋の店借であり,彼らは家屋敷や動産の所持からまったく疎外されていたために,一つの階層を形成するに至った。このため,18世紀以降の諸都市において,借家・店借層の存在は,近世社会の矛盾の焦点の一つとなり,幕府や諸藩を悩ませ続けることになるのである。…
…なかでも江戸,大坂など人口の密集した都市では,個々の町屋敷内の表通りに面していない裏側に建てられた〈裏長屋〉が数の上でも多かった。これは〈裏店(うらだな)〉とも呼ばれ,その住人は大工,左官,桶職などの職人や棒手振(ぼてふり)と呼ばれる天秤棒をかついで魚や野菜を売り歩く小商人,さらに鳶(とび)や其日稼(そのひかせぎ)の者と呼ばれた日雇など,さまざまな都市下層庶民であった。江戸の場合,裏長屋の1戸分は間口9尺~2間,奥行2間~2間半程度で,内部は畳部分に板の間と台所を兼ねた土間がつく1部屋の零細なものであった。…
※「裏店」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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