襄樊(読み)じょうはん(その他表記)Xiāng fán

改訂新版 世界大百科事典 「襄樊」の意味・わかりやすい解説

襄樊 (じょうはん)
Xiāng fán

中国,湖北省北部の都市。人口87万(2000)。襄陽樊城が合併してできた。漢水が白河を合わせて,東南に流れを変える屈曲点にあり,襄陽は漢水の南岸に,樊城はその対岸に位置する。漢水を利用して西に漢中,東南は長江揚子江)流域に達するほか,陸路を経て南陽江陵,宜昌に向かうことができる。そのため商業が栄え,また南北に政権が分立するとき,あるいは異民族の中原支配が行われた際,しばしば抗争の地となった。とくに後漢末には,荆州豪族を背景に劉表が独立の勢いを示し,襄陽がその根拠地となった。諸葛孔明は若いとき,襄陽の西15kmの隆中に住み,劉備も劉表を頼って荆州に来た。劉備が諸葛孔明に三顧の礼を取り,諸葛孔明が劉備に天下三分の計を説いた諸葛孔明の旧宅がいまもある。曹操が南下して襄陽は魏のものになるが,関羽が荆州を確保せんとして江陵から北進し樊城を囲んだことも有名である。また南宋が金に対する前線基地として重要視したが,元が南宋を攻めるにあたり,回回砲(かいかいほう)を使用してこの地を陥れ,宋に徹底的打撃を与えた。戦国時代は楚に属し,秦の統一とともに南陽郡が置かれると襄陽県を設けたが,後漢末に南陽郡から分かれて襄陽郡となった。唐代に襄州となり,宋代に襄陽府に昇格されて清朝に及ぶ。現在樊城が商業地として繁栄し,米,麦,大豆などの集散地である。これに対し襄陽は文化・教育の中心であるが,唐代には漆器の生産地として名高かった。唐の詩人孟浩然や宋の画家米芾(べいふつ)(元章),米友仁親子が出た。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「襄樊」の意味・わかりやすい解説

襄樊
じょうはん / シヤンハン

中国中部、湖北(こほく)省北西部の襄陽(じょうよう)市の旧称。2010年改称。

[編集部 2017年8月21日]

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百科事典マイペディア 「襄樊」の意味・わかりやすい解説

襄樊【じょうはん】

中国,湖北省北西部の襄陽市の旧地名。漢水と白河の合流点にあり,漢水南岸の旧襄陽と北岸の樊城との合併都市。漢丹鉄路(漢西〜丹江口)に沿い武漢から小汽船が運航する。古来軍事・交通の要地で,南宋軍とモンゴル軍が戦った古戦場でもある。漢水上流の物産の集散地。襄陽市の人口は226万人(2014)。

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