西来寺(読み)せいらいじ

日本歴史地名大系 「西来寺」の解説

西来寺
せいらいじ

[現在地名]津市乙部

てら町北端にあり、竜宝山光明院と号し、天台真盛宗の別格本山本堂本尊阿弥陀如来坐像、恵心の作で、長野内蔵允の寄進と伝える。客殿の本尊は阿弥陀如来立像で慈覚の作、開祖慈摂(真盛上人)が延徳二年(一四九〇)当寺開創の時の本尊とも伝える。

寺伝によれば、延徳二年慈摂が安濃津あのつ町の観音寺で九〇日間説法し、町民の願いにより西来寺を建立したという。


西来寺
せいらいじ

[現在地名]北区中富町二丁目

小林山と号し、曹洞宗。本尊地蔵菩薩。祐禅(永正元年没)開基で、のちの御深井おふけ(名古屋城の一郭)の内の多利たりという所にあり、宝積山地蔵院と号する真言宗寺院であった。その後、洞門楽甫(文禄元年没)が中興して曹洞宗に改め、慶長年中(一五九六―一六一五)に現在地へ移ったという。正徳年中(一七一一―一六)に再建して法地となり、享保一五年(一七三〇)現称の小林山西来寺と改めた(徇行記、尾張志)


西来寺
さいらいじ

[現在地名]旭村大字明木 笛吹

明木あきらぎの北、明木川の西側に位置する。少林山と号し曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。

「寺社由来」によれば応永二六年(一四一九)の開創という。もと近くの古寺という所にあり能地(耳)山と号し、のち現在地に移った(寺伝)

境内に彦六・又十郎の碑がある。彦六は字古泉城こせんじよう(現古戦場)、又十郎は字菅蓋すげふた村民で、慶長九年(一六〇四)から一三年にかけて萩城が築かれた際、明木村から使役に出たが、腕の力が人並すぐれて功労が著しかったので、藩から賞賜されることになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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