西洋型船(読み)せいようがたせん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

幕末から明治時代に使われた、西洋式の船体構造・帆装をもつ船の総称。伝統的な和船を日本型船とするのに対するもので、国産・輸入の別を問わない。竜骨に多数の肋骨(ろっこつ)を配し、これに梁(はり)を組み合わせて骨格を造り、周囲を外板で張り詰めるのを特徴とする。また、帆装も、小型船以外は2本以上のマストに多数の帆を展張するもので、その形式によってバーク、シップ、ブリッグ、ブリガンチン、スクーナーなどとよばれる。
 日本での建造は、1600年(慶長5)に豊後(ぶんご)に漂着したオランダ商船の航海長アダムズ(三浦按針(あんじん))が、徳川家康の命で80トンと130トンの船をつくったのが最初で、当時は黒船とよばれた。その技術はある程度普及し、1613年に伊達政宗(だてまさむね)が遣欧使節用に新造したサン・ファン・バウチスタ号は約500トンのガレオン船で、太平洋を二往復したが、鎖国によってこのような外航船は不必要となり、技術も絶えた。それから200年後の幕末期、幕府は海防の危機感から強力な西洋型軍艦の必要性を認め、1849年(嘉永2)に浦賀で2本マストのスループ蒼隼(そうじゅん)丸という小型西洋式帆船を試作し、1853年のペリー来航の翌年5月には同じ浦賀で日本最初の西洋型大型軍艦鳳凰(ほうおう)丸(排水量約530トン、三檣(しょう)バーク)を竣工(しゅんこう)させ、日本人の手による西洋型軍艦建造の可能性を実際に示した。他方、薩摩(さつま)藩も幕府と連絡をとって同様の計画を進め、オランダの造船書を学んでペリー来航の直前に三檣バーク昇平(しょうへい)丸(排水量約300トン)を起工し、鳳凰丸より半年遅れて完成させた。また水戸藩も江戸石川島に造船所を設け、鳳凰丸よりも大きい三檣シップ旭日丸を完成するなど、幕末期の西洋型船建造は日本人の独学によって始められた。一方、鳳凰丸竣工の約1年後に伊豆の戸田(へだ)でロシア人の設計・監督による二檣スクーナー戸田号(排水量約120トン)が完成したが、これは伊豆で沈没したロシア軍艦ディアナ号の代船で、外人指導の西洋型船建造の最初である。
 ところが世界の造船の主流は帆船から蒸気船へ移行しており、それを察知した薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)はオランダの舶用蒸気機関の技術書を入手、1851年から江戸田町の藩邸で製作に着手し、苦心のすえ55年(安政2)7月に試運転に成功した。翌8月には実船に装備して、品川沖での実験にも成功した。これが初の国産蒸気船雲行(うんこう)丸である。しかし、日本の工業力では大型機関の製造は不可能であったため、蒸気船は西欧諸国から輸入して近代的海軍を整備した。その一方では国産技術の向上を図って、オランダの協力により長崎製鉄所を建設し、ここでつくられた60馬力の蒸気機関を搭載した千代田型(排水量138トン)が66年(慶応2)に完成して、実用化された国産蒸気船の第1号となった。[石井謙治]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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