西牧村(読み)にしまきむら

日本歴史地名大系 「西牧村」の解説

西牧村
にしまきむら

[現在地名]山鹿市西牧

菊池川が南に蛇行する右岸に位置し、東部南部西部を同川に囲まれ、北は保多田ほだた村、南は坂田さかた村と接する。「鹿郡旧語伝記」には「往古ココ牧アリトイヒ伝フ」とある。「古記集覧」所収の「中原雑記」によると隈部親永の弟親広が当村や保多田村など数ヵ村を領し、永禄一一年(一五六八)に当村の字小屋敷に居住したという。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によると田八町五反余・畠屋敷一二町八反六畝余・屋敷筆数八。


西牧村
にしまきむら

[現在地名]加古川市志方町西牧しかたちようにしまき

比室ひむろ村の西、大藤おおふじ山の南に位置する。中世牧場があったのが村名の起りという(増訂印南郡誌)。慶長国絵図に西牧とみえる。正保郷帳では田方三一五石余・畑方一八石余。宝永二年(一七〇五)の村明細帳(原家文書)によれば田二六町七反余・分米三六二石余、畑三町二反余・分米二四石余、新田畑三町三反余・分米一九石余、小物成は口米・夫米・犬米・草藁銀・柿渋、家数七九(本百姓六七・水呑一二)・人数四二七、坊主三、牛三一、浄土真宗称徳しようとく(現真宗大谷派)、池八(藤ノ池・なへ屋池・なへ屋上の池・うさき池・姥か池・奥の池・奥上の池・芦池)、ほかに三ヵ村立会の池四。寛延二年(一七四九)の姫路藩領一揆では当村民も参加し処分されている(「寛延一揆罪科人仕置書」九州大学法学部蔵)


西牧村
にしまきむら

[現在地名]田主丸町牧

東牧村の西に位置する。本高は一五五石余(元禄国絵図)。元禄一一年(一六九八)の稲次大七知行所畝高帳(篠山神社文庫)によると高一五〇石、総畝数二六町二反余、居屋敷百姓九人、越百姓一人、庄屋一人。ほか塩足しおたり村掛百姓源左衛門・五名ごみよう村掛百姓七兵衛が記される。「在方諸覚書」では古高一九〇石・役高五二六石。享保一二年(一七二七)の夏物成は大麦二八石余・小麦一五石三斗余・菜種七石六斗余(「本地夏物成帳」中村家文書)。寛政元年(一七八九)の撫斗代六斗八升、人数二四九、馬二六(上三郡取調手鑑)。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高五三〇石、文化四年(一八〇七)畝付帳では本田三町四反余・開田一反余・畑田二五町四反余・畑五町七反余・居屋敷四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android