計算機械(読み)けいさんきかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「計算機械」の意味・わかりやすい解説

計算機械
けいさんきかい

数の計算を行う機械。筆算でなく機械を使って計算をするという考えは古くからあった。簡単なものではそろばん計算尺など、複雑なものでは電子式計算機械がある。科学技術の発達に伴って複雑な計算を迅速に行うことが要求され、機械式計算機はさらに電子式へと発展した。電子式は、統計、集計などの情報を速く処理することも可能なので、科学的な計算だけでなく、広く情報処理機械として普及するようになった。

[中山秀太郎]

機械式計算機の発達

歯車を組み合わせて数の加算が容易にできる機械式計算機は1642年フランスの哲学者パスカルによって発明された。デジタルの機械式計算機の最初のものである。その後1671年ライプニッツが、乗算を加算の繰り返しで、除算を減算の繰り返しで行うことのできる四則計算機を製作したが、いずれも実用化に至らなかった。実用化された最初の計算機は1891年スウェーデンのオドナーW. T. Odhnerが製作した機械式計算機で、この形式のものは1924年(大正13)大本寅治郎(とらじろう)製作のタイガー計算機として日本の市場に出回った。

 一方、1885年アメリカのバローズW. S. Burroughs(1857―1898)によって加算機がつくられ実用化した。20世紀に入ってからハーマンCh. Hamannも機械式計算機の改良を行い、以後、機械式計算機は、電子式が普及するまで研究用また商業用に広く使われた。これらの計算機械にはハンドルで置数装置を回す手動式と、モーターで回す電動式とがあった。

[中山秀太郎]

自動式から電子式

産業革命が終わりに近づいた19世紀の初め、科学技術の進歩は数学などに使用されている数表の利用を広めた。ところが手計算によってできたこれらの数表には誤りが多かった。この誤りを正し、より完全な数表をつくるため、イギリスバベジは1829年デジタル式の自動計算機を製作、1833年までに16桁(けた)までの計算を正確に行えるものにした。この機械はテープに数値と手順とを記録し、それによって機械を操作するという画期的な計算機であった。記憶装置、演算装置制御装置などを備え、今日のデジタル型の基本的部分をもつ優れたものであった。しかし、当時の機械技術では満足なものはつくれず、この機械は実用化されなかった。

 1887年、アメリカのホレリスリレーを用いてカードを分類する自動統計機を製作した。この機械は1890年の国勢調査に使用され、統計処理の迅速化に役だった。これをもとにして、IBM(International Business Machine)社、RR(Remington Rand)社はリレー式の集計製表機、照合機、乗算機など数多くの事務用計算機を製作し、今日の事務用電子計算機発達の基礎を築いた。リレー式の計算機はその後もベル研究所、ハーバード大学などで研究が進み、24桁の乗算が6秒で行えるまでに計算速度が向上、計算過程も自動化された。

 一方、電子工学の発達により、ペンシルベニア大学では1946年、真空管を利用した自動電子計算機ENIAC(エニアック)を完成させた。第二次世界大戦後の1949年、ショックレーらがトランジスタを発明し、1958年ごろからエレクトロニクスの各分野にトランジスタ方式が採用され、日本、アメリカなどでオールトランジスタ式電子計算機が発表された。トランジスタはIC(集積回路)、LSI(大規模集積回路)へと発展し、1967年(昭和42)日本でICを使用した卓上電子計算機の生産が始まった。1969年にはLSI電卓の生産も日本で開始された。さらに1970年代にはIBM社によって超LSI技術が開発され、計算機の記憶容量の拡大、機械の小型・軽量化が実現。同時に計算機のコストも急激に下がった。

[中山秀太郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「計算機械」の意味・わかりやすい解説

計算機械 (けいさんきかい)
calculating machine

数の計算を実用的に簡便に行う装置。現代のコンピューターは,数値の計算と文字列の操作を基礎にして,数値計算,事務処理,情報検索,文書処理,推論,学習などを行うようになってきている。

 計算機械の歴史は,おそらく数千年の昔,地面に位取りの線を引き,小石を並べて計算を行ったことにまでさかのぼることができると推測されている。この方式はのちにアバクスやそろばんに発展し,現代にまで達している。イギリスが世界の海を支配し始めた17世紀初め,天文学や三角関数に基づいた航海術における計算需要を背景に,スコットランドの貴族J.ネーピアは対数計算を創始し,続いて1617年ころ〈ネーピアの計算棒〉と呼ばれる計算器具を発明した。これは,九九の表を分解記入した棒を並べて,乗除算を行うものであって,実用的に広く使われたという。その後,23年ころ,ドイツのシッケルトW.Schickerdは,ネーピアの計算棒による乗除算機構と歯車による加減算機構とを組み込んだ計算機械を試作しようとした。この機械は現在,復元されている。フランスの哲学者,数学者B.パスカルは,父親の煩雑な税務計算を助けるために,42年に歯車式の加減算機を作り,その後10年間に数十台を試作・製作した。ドイツの哲学者,数学者G.W.ライプニッツも,1671-94年にかけて加減乗除のできる計算機を試作している。これは,加減算を行う操作ハンドルを回転することによって乗除算を実現するものであった。乗除算を加減算の繰返しによって実現する方式は,その後のディジタルの計算機械のほとんどすべてに採用されている。パスカルやライプニッツの計算機は,簡単な数値に対しては正しく計算を行えたが,桁上げが数桁以上繰り上がるときには,正しく動作しなかった。それは,機械設計上の弱点と加工精度の不十分さとに起因していて,当時の技術では解決できなかったのである。実用的な手回し計算機は,1820年にトーマスCharles Xavier Thomasや,75年にボールドウィンFrank Stephen Baldwinなどによって商業的に生産されるようになった。

 日本では,1902年に矢頭良一が独自の構想による手回し計算機〈自働算盤〉を特許出願し,その後数年間に二百数十台を製造・販売した。23年には大本寅次郎が〈虎印計算機〉を作り,以後,70年ころまでに約50万台を製造・販売し,〈タイガー〉の愛称で親しまれた。この時期には,手で回す力をモーターの動力に代えた電動計算機も数多く作られた。これらの機械式の計算機械は,1969年ころ,電子式卓上計算機,すなわち電卓の価格が20万円を割ったことによって競争力を失い,突然終末を迎えることになった。しかしこれらは,コンピューター開発の素地を培ったのであり,また今日いたるところに普及している電卓の直接の前身でもあった。
計算尺 →コンピューター →算盤(そろばん) →電卓
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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