イギリスの数学者。スコットランドのマーチストンの出身といわれるが、詳しいことはわからない。1614年に出版した主著『驚くべき対数の規則の記述』には「著者であり発見者であるジョン・ネーピア・マーチストン男爵」と書いてあるから、貴族であったことがわかる。
ネーピアの業績は「対数の発見」であり、主著は対数の定義と対数計算法を述べたものである。すなわち、
としたとき、点Pは長さが一定の線分AZを、始点Aから終点Zへ向かって運動し、点Qは限りなく伸びている直線A′Z′を、A′を始点としてZ′のほうへ運動するものとする。P、Qは同じ速さで出発し、Qは速度を変えないで運動し、Pはそれの速さが、その点からZまでの距離に等しいように減じるように運動するものとする。たとえば、PがBにあるときはQはB′にあるとするとき、「はの対数である」というのがネーピアの定義である。これを現代流に解釈するために=a、=y、=xと置くと=a-yであるから、PのBにおける速さはd(a-y)/dtであり、これはyに等しいからd(a-y)/dt=yとなり、Aにおいてはt=0,y=aであるから-logey=t-logeaとなる。QがA′Z′に沿って等速運動をしているからdx/dtはAにおける速度に等しい。ゆえにdx/dt=a、したがってx=atとなる。ゆえにx=a(logea-logey)を得る。xはネーピアの対数であるから、これをNap・logyと書くと、Nap・logy=a(logea-logey)を得るが、これがネーピアの対数の現代的表現である。対数の発見は、天文学の数値計算を飛躍的に簡易化し、ラプラスは「対数の発見は天文学者の寿命を2倍にした」といったという。ネーピアは1617年4月4日にエジンバラの近くの村で死去した。
[小堀 憲]
イギリスの海軍大佐、外交官、8代ネーピア男爵。1833年12月、翌年からの東インド会社貿易独占権廃止に伴い、外相パーマストンから初代中国貿易首席監督官に任命された。34年7月マカオに到着した彼は、中国側の慣例に反し入港許可を受けずに広州に入り、さらに「公行」(ギルドを構成する中国の特許商人)を介しての請願による交渉方式をとらずに、両広総督に直接着任の通知をし、また、役人との会見の座席を対等に並びかえさせることなどをしたため、総督から、貿易停止の威嚇措置をもってマカオへの退却を迫られた。ネーピアは武力示威でこれに応じたが、事態が解決せぬまま9月に入り、激しいマラリア発作に襲われ、9月末マカオに退き、半月後同地で没した。
[石井摩耶子]
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イギリスの数学者。対数の発見者として知られる。スコットランドの貴族で,政治や宗教問題に関与したが余暇に数学や自然科学を研究した。1614年に《驚くべき対数の法則の記述》を発表,0°より90°まで1分おきの角の正弦の対数の表を添え,対数が天文計算などに有用なことを示した。それに感激し示唆を受けたブリッグズHenry Briggs(1556?-1631)は常用対数表(1624)を作った。ネーピアには計算器具,兵器などの考案もある。
執筆者:弥永 昌吉
ニュージーランド北島の東岸,ホーク湾に面した都市。人口11万8404(2006)。ホーク・ベイ地方の中心都市で,近くのヘースティングズとともに連合都市として扱われることがある。羊毛,水産加工(缶詰),ブドウ酒などの工業が立地し,羊毛の集散地として知られる。近くに日本企業との合弁による製材・パルプ工場がある。港から羊毛など農産物を輸出する。1856年開かれたが,1931年に大地震で破壊され再建された。
執筆者:谷内 達
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…この方式はのちにアバクスやそろばんに発展し,現代にまで達している。イギリスが世界の海を支配し始めた17世紀初め,天文学や三角関数に基づいた航海術における計算需要を背景に,スコットランドの貴族J.ネーピアは対数計算を創始し,続いて1617年ころ〈ネーピアの計算棒〉と呼ばれる計算器具を発明した。これは,九九の表を分解記入した棒を並べて,乗除算を行うものであって,実用的に広く使われたという。…
…リジューの司教となったニコル・オレームNicole Oresmeが温度の変化をグラフに表したり,分数指数を導入したりしたのは,当時としては先端的な発想であった。対数が発見されたのは16世紀の中葉になってからイギリスのJ.ネーピアやブリッグスHenry Briggs(1556‐1631)によるもので,ブリッグスは後述するケプラーの計算にも協力した。 13世紀のイタリアには,ダンテらによってルネサンスの機運が興り,美術上のルネサンスは15~16世紀に最盛期を迎える。…
…ビュルギJobst Bürgi(1552‐1632)は1603‐11年の間に対数表を作り,20年にそれを刊行した。それとは無関係に,J.ネーピアも1617年に対数表を公表し,これが対数の初めといわれる。 ふつうの記数法は十進法によるので,実用上の計算には10を底とする対数を用いるのが便利である。…
※「ネーピア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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