読売新聞争議(読み)よみうりしんぶんそうぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「読売新聞争議」の意味・わかりやすい解説

読売新聞争議
よみうりしんぶんそうぎ

第二次世界大戦後、労働組合再建期の代表的な労働争議

松尾 洋]

第一次

1945年(昭和20)10月23日、読売新聞社(2000余人)の従業員大会は、読売新聞社従業員組合を結成、社長以下全重役の総退陣、社内の民主化、労働組合の公認、待遇改善などの要求を決議し、正力(しょうりき)松太郎社長に提出した。正力はこれを拒否したうえ、主謀者として鈴木東民(とうみん)組合長以下5人を解雇したため、組合は会社の新聞編集を拒否して、組合が紙面を作成する業務管理闘争に入った。争議は全国的な関心をよび、争議団は労働組合結成の相談所の観を呈し、また各新聞社の組合運動を刺激、同月末には全日本新聞通信労働組合準備会が結成され、読売争議の応援にたった。政府は事態を憂慮して11月2日「労働争議の調停に関する通牒(つうちょう)」を発し、東京都はこれに基づいて労使・中立各3人からなる労働争議調停委員会を設け、仲裁にあたることになった。しかし、会社は応ぜず、解決が難航していた12月2日、正力が連合国最高司令部(GHQ)から戦争犯罪人の一人に指名され、拘置所入り前日の12日、社長の辞任、一定数以上の持ち株の処分、経営協議会の設置などの協定が成立、急転解決した。

[松尾 洋]

第二次

争議後、鈴木組合長が編集局長に就任するなど組合の影響が強まり、紙面が急進化したため、GHQ民間情報教育局(CIE)情報課からプレス・コード(新聞準則)に反すると警告を受けた。馬場恒吾(つねご)新社長は1946年6月12日、鈴木以下の編集幹部6人を解雇し、組合の団体交渉要求を拒絶したため、組合は解雇者の出社を強行したが、刷新派と称する反対派(1200人、7月末第二組合結成)が生じ、組合は真っ二つに分裂した。7月2日会社は組合幹部16人に転勤を命じ、組合は取消しを要求してストライキに入り、工務局を占拠して新聞の発行を停止させた。刷新派は17日、工務局に乱入して争議団を追い出し、新聞の発行を再開したが、争議団は産別会議(全日本産業別労働組合会議)、新聞通信労組の応援のもとに持久戦に入った。組合の提訴を受けた東京都地方労働委員会は、解雇者6人の依願退職、その他の処分の会社善処などの裁定案を示し、労使交渉に入ったが、会社は交渉の延期を通告した。新聞通信放送労組(7月23日放送支部が加入し改称)は、10月5日読売争議応援のゼネストを計画したが、反対が強くて突入できず、16日、争議団は6人の解雇のほか組合幹部31人の辞職をのみ、惨敗した。

[松尾 洋]

『労働省編『資料労働運動史』昭和20、21年版(1948・労務行政研究所)』『増山太助著『読売争議』(1976・亜紀書房)』『増山太助著『産別会議一〇月闘争――新聞放送ゼネストをめぐって』(1978・五月社)』『山本潔著『読売争議』(1978・御茶の水書房)』

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