寺伝の谷汲山根元由来記によれば、延暦一七年(七九八)の創建という。奥州
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
韓国,全羅南道求礼郡馬山面にある華厳宗の寺。智異山の南麓にあり,山号は智異山。新羅真興王5年(544)僧烟起の創建になり,景徳女王13年(754)再興と伝える大寺。豊臣秀吉による壬辰の乱(文禄の役。1592)に伽藍焼失後,碧巌禅師が再建に着手し,1703年に伽藍全体を竣工した。覚皇殿は現存する朝鮮最大の木造建築で,基壇は新羅時代のものといわれ,中に石刻の華厳経が遺存する。境内には新羅統一時代の石造物が多い。三層四獅子石塔は一般に舎利塔と呼ばれ,上成基壇は四方に獅子,中央に慈蔵の立像をすえて三層石塔を支えている。塔身の扉まわりに仁王,四天王,菩薩像の浮彫があり,様式上8世紀中ごろの建立と認められる。大雄殿の南方に東西両塔があり,東塔は簡素な造りで,西塔の二重基壇,初重塔身に十二支八部衆・四天王の陽刻を施す。覚皇殿前の石灯籠は現存最大のもので,新羅後期石塔の白眉とされる。ほかにも露盤,刹竿支柱などが残存する。
執筆者:宮本 長二郎
中国,山西省代州の五台山にあった華厳寺と,山西省大同の東南10kmにあり上寺,下寺に分かれる華厳寺がある。前者は,六朝時代の大孚霊鷲寺を唐代に改名した華厳の道場であったが,日本の円仁が訪れたときには天台の教えが栄えていた。後者は,遼時代の創建になり,上寺の大雄宝殿は金時代の古建築として高く評価され,下寺の薄伽教蔵殿には創建当初のものとされる31体の塑像芸術の傑作がある。
執筆者:礪波 護
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
韓国(大韓民国)、全羅南道(ぜんらなんどう/チョルラナムド)求礼(くれ)郡馬山面にある寺。智異山(ちいさん)中にあり、智異山華厳寺と号する。新羅(しらぎ)の544年(真興王5)インド僧の縁起(えんぎ)が3000人の学侶(がくりょ)を率いてこの山へ入り開創したと伝える。のち、新羅の643年(善徳女王12)慈蔵(じぞう)律師が唐から帰国してこの山へ入り、華厳学が一山の教学の中心となった。元暁(がんぎょう)は海会堂を開創して華厳を講じ、また義湘(ぎしょう)も海蔵殿で経典を講じ、華厳求法(ぐほう)十大刹(さつ)の一といわれた。新羅末期から高麗(こうらい)(918~1392)初期にかけて禅僧道詵(どうせん)が大いに堂宇をおこし、智異山中に大伽藍(がらん)を連ねたが、壬辰(じんしん)の乱(1592~96、豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮侵略)で焼失した。のち、浮休(ふきゅう)禅師の嗣(し)である碧巌(へきがん)禅師覚性(かくしょう)が無梁(むりょう)、中観(ちゅうがん)らと入って再建し、伝統の華厳学と禅をあわせた、いわゆる禅教の大寺院となって重きをなした。
[里道徳雄]
『韓国佛教研究院著『華厳寺』(1976・一志社)』
岐阜県揖斐(いび)郡揖斐川町にある天台宗の寺。谷汲山と号し、通称の谷汲山寺、谷汲観音(かんのん)の名で親しまれている。西国三十三所満願の霊場で、笈摺(おいずる)などが奉納される。寺伝によれば、798年(延暦17)奥州会津の大口大領(おおぐちだいりょう)が、京でつくらせた十一面観音像を会津へ移す途中、この地で霊験を得、山中に庵(いおり)を結んでいた豊然(ぶねん)上人を招き堂宇を建て、尊像を安置したのに始まるという。建立のとき巌(がん)中から油が湧(わ)きいで、それを灯明に献じたという故事にちなみ、醍醐(だいご)天皇から「谷汲山」の号と「華厳寺」の扁額(へんがく)を下賜された。花山(かざん)法皇が巡幸のとき、当寺を満願所と定めて3首の句を納めたので御詠歌が3首ある。南北朝時代に新田(にった)軍がこもって諸堂は焼失したが、1479年(文明11)に再興された。現在、広い境内に本堂(1875再建)、仁王門、経堂などがある。木造毘沙門天(びしゃもんてん)像は国の重要文化財。
[中山清田]
中国、山西省にある五台山(ごだいさん)の中心寺院。唐の則天武后(そくてんぶこう)(在位690~705)のとき、六朝(りくちょう)時代以来の大孚霊鷲寺(だいふりょうじゅじ)を改めて大華厳寺としたもので、唐代以前には東西二堂があり、北魏(ほくぎ)時代のおもかげを残していたが、唐代になって殿堂の大増建が行われ、日本の慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)が訪問したとき(9世紀中ごろ)には、般若(はんにゃ)院、涅槃(ねはん)院、菩薩(ぼさつ)堂院、庫院(くいん)、善住閣院、閣院など12院が存在した。これらの12院を含む大華厳寺の境内は、五台山(ごだいさん)の菩薩頂(ぼさつちょう)から台懐鎮(たいかいちん)一帯にわたる広大なものであった。唐の中期、華厳宗第五祖澄観(ちょうかん)が文殊(もんじゅ)菩薩を安置する五台山華厳寺に住し、さらに天台宗の志遠(しおん)が天台学を鼓吹したため、華厳寺は仏教史上において一躍有名となったが、しだいに衰亡した。
[鎌田茂雄]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…越美山地南端の山々に囲まれた根尾川沿いの低地にある。村内には延暦年間(782‐806)創建といわれる天台宗の華厳寺(谷汲観音),横蔵寺があり,早くから開けた。華厳寺は西国三十三所第33番札所で,笈摺(おいずる)を納める巡礼が訪れ,徳積地区に門前町が形成された。…
…生涯他宗僧侶との論争を重ね,真言宗の慧光・実詮,浄土宗の義海,同西山派の顕恵,天台宗の光謙・守一・性慶,真宗の法霖・知空・慧海・性均,日蓮宗の日達・日諦などと,相互に著書を著し応酬した。1715年(正徳5),先に京都松尾に創立した安照寺を華厳寺と改め,23年(享保8)松尾南丘松室最福寺の故地に移し,華厳の道場とした。著書は《起信論義記会本》など,華厳・三論・俱舎(くしや)・天台などに関するものがすこぶる多い。…
※「華厳寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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