(1)平曲の曲名。平物(ひらもの)。鬼界ヶ島に流刑となった平康頼入道が,和歌を記した卒都婆(そとば)を海に流したところ,そのなかの1本が本土に漂着したので,都の評判になった。これによく似た例が,唐土の蘇武の故事である。むかし漢の遠征軍が胡国との戦いに敗れたとき,大将軍の蘇武は捕らえられ,片足を斬って追放された。蘇武は,木の実や草の根を採り,田の落ち穂を拾いなどして生き長らえたが,田に降り立った雁を見て,その翼に都への文を結んで空へ放した。雁は秋には都の方へ移って行き,王宮の上林苑に蘇武の文が落ちたという(〈中音(ちゆうおん)〉)。書状のことを雁書というのは,それから始まったことである(〈初重(しよじゆう)〉)。漢王は,蘇武の生存とその忠節心を知って,再び軍を派遣して胡国を破り,蘇武は19年ぶりに都に帰ることができたという。蘇武といい康頼といい,時と所は変わっても人情に変りはないのである(〈三重〉)。《卒都婆流(そとばながし)》に引き続く内容の曲。(2)能の曲名。四番目物。非現行演目。《卒都婆流》と称するのが一般的だが,そのクセの部分で蘇武の故事を物語るので,〈蘇武〉とも称する。
→卒都婆流
執筆者:横道 万里雄
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中国、前漢の名臣。字(あざな)は子卿(しけい)。匈奴(きょうど)遠征に功をたてた父健の保任(父の官職により子、弟が官につくこと)により郎となる。武帝のときの紀元前100年、中郎将として、漢に拘留された匈奴の使者の返還のため匈奴に赴いた。匈奴は彼を屈服させようとしたが、これを拒否。そのため穴倉に幽閉され飲食も断たれ、雪と旃毛(せんもう)(毛織物の毛)で飢えをしのぎ、さらに北海の地に雄羊放牧のために移されると、野ネズミ、草の実を食べる生活を強いられ辛苦を重ねた。のち、匈奴に降(くだ)った李陵(りりょう)が降伏を説得したが聞き入れず、昭帝(在位前87~前74)のとき、両国和親によりやっと帰国が実現した。その間、19年。帰国後、典属国を拝命、関内侯を賜った。死後、麒麟(きりん)閣にその像が描かれ、彼の節を貫き通した行動が後世の模範とされた。
[飯尾秀幸]
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…そのときの悪友は提婆達多(だいばたつた)で善友は仏であったという。中国で有名なのは漢の蘇武(そぶ)が匈奴(きようど)に抑留され,雁に書信を託する。この雁が上林苑で射落とされ,蘇武の消息が知れたという。…
…(2)能の曲名。別称《蘇武》。四番目物。…
※「蘇武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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