精選版 日本国語大辞典 「赤壁の戦」の意味・読み・例文・類語 せきへき【赤壁】 の 戦(たたかい) 中国、後漢末の二〇八年、赤壁で呉の孫権と蜀の劉備の連合軍が魏の曹操の水軍を破った戦い。この戦いの結果、孫権は江南を、劉備は四川を確保し、曹操は華北に逃れ、三国時代の基礎が形成された。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「赤壁の戦」の意味・わかりやすい解説 赤壁の戦 (せきへきのたたかい) 中国,後漢末,曹操と劉備・孫権連合軍の決戦。華北を統一した曹操は湖北の劉表を攻撃,劉表は病死して湖北の一部は曹操に下った。劉表の下にいた劉備は諸葛孔明(亮)の策で江南の孫権と連合,さらに南下してきた曹操と長江(揚子江)中流の赤壁(湖北省嘉魚県)で対峙,水戦に慣れぬ曹操が敗退した(208)。この決戦で曹操の南進は阻止され,孫権は江南を確保,劉備は湖北で蜀に進出する地歩を固め,天下三分の形勢が定まる。執筆者:都築 晶子 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「赤壁の戦」の意味・わかりやすい解説 赤壁の戦【せきへきのたたかい】 中国,後漢末の208年に蜀の劉備・呉の孫権の連合軍が,南下してきた魏の曹操の水軍80万を,湖北省嘉魚県西方の赤壁付近の長江上で迎え討ち,少数の兵で大敗させた戦い。この結果,天下が魏・呉・蜀に3分される形勢となった。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by