高見順(読み)たかみじゅん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高見順
たかみじゅん

[生]1907.2.18. 福井,三国
[没]1965.8.17. 千葉
小説家。本名,高間義雄,のち芳雄。第一高等学校を経て 1930年東京大学英文科卒業。労働運動やナップに参加して 33年検挙され,転向。留置中妻に去られ,転向と家庭崩壊の二重苦のなかで書いた『故旧忘れ得べき』 (1935) が第1回の芥川賞候補作となり,一躍注目を浴びた。評論『描写のうしろに寝てゐられない』 (36) で饒舌的説話形式を主張して既成リアリズムの克服を目指し,長編『如何なる星の下に』 (39~40) や評論『文学非力説』 (41) によりインテリ作家として独自の地位を築いた。第2次世界大戦後は長編『激流』 (1部,59~63,2部,63,未完) ,『いやな感じ』 (60~63) などで現代史の動乱のなかに自己を相対化することに成功。戦争中の 41年1月から 65年の死の直前まで書き継いだ日記『高見順日記』 (64~66) ,『続高見順日記』 (75~77) は,昭和史の貴重な記録となった。そのほか鎌倉文庫の経営,日本近代文学館の創設や資料収集に尽力した。没後文化功労者追贈。

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デジタル大辞泉の解説

たかみ‐じゅん【高見順】

[1907~1965]小説家。福井の生まれ。本名、高間芳雄。プロレタリア文学運動に参加、検挙されて転向。鋭敏な感覚で、弧立した知識人の姿を描き出す。晩年日本近代文学館の開設に尽力。小説「故旧忘れ得べき」「如何なる星の下(もと)に」、詩集樹木派」「死の淵より」など。

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百科事典マイペディアの解説

高見順【たかみじゅん】

小説家,詩人。本名高間芳雄。福井県生れ。東大英文科卒。左翼運動から転向,1935年転向小説《故旧忘れ得べき》で世に出た。第2次大戦前では他に説話体の手法を提示,浅草の風俗を描いた《如何なる星の下に》などがある。戦後に小説《いやな感じ》,食道癌(がん)との闘病の絶唱《死の淵より》(詩集)のほか,《高見順日記》《昭和文学盛衰史》があり,また日本近代文学館の創設に尽力。
→関連項目転向文学三好十郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高見順 たかみ-じゅん

1907-1965 昭和時代の小説家,詩人。
明治40年1月30日生まれ。学生時代から左翼運動に参加。コロムビア・レコードに勤務し,昭和8年組合活動のため検挙され転向。小説「故旧忘れ得べき」が芥川賞候補となる。詩,評論でも活躍。戦後日本近代文学館の創設にもつくした。昭和40年8月17日死去。58歳。文化功労者を追贈された。福井県出身。東京帝大卒。本名は高間義雄,のち芳雄。小説に「いやな感じ」,詩集に「死の淵より」,日記に「高見順日記」など。
【格言など】喜劇は常に悲劇である(「わが胸の底のここには」)

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世界大百科事典 第2版の解説

たかみじゅん【高見順】

1907‐65(明治40‐昭和40)
小説家,詩人。本名高間芳雄。福井県生れ。一高時代はダダイスト,東大時代はコミュニストと,つねに時代の渦中を歩いた。転向後その閲歴を振り返って胸のモダモダを吐き出すごとく書いた《故旧忘れ得べき》(1935‐36)が第1回芥川賞候補となり,文壇に地歩を築いた。当時,彼は〈描写のうしろに寝てゐられない〉と独自の饒舌体を主張した。ファシズムにむかう時代の流れに抗し《人民文庫》の同人として散文精神を固守しようとしたが,《如何なる星の下に》(1939‐40)では浅草の風俗を描く方に傾いた。

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大辞林 第三版の解説

たかみじゅん【高見順】

1907~1965) 小説家。福井県生まれ。本名、高間芳雄。東大卒。転向左翼の苦悩と退廃を描く「故旧忘れ得べき」でデビュー、戦時下の良心的知識人のあり方を追求した。小説「如何なる星の下に」「いやな感じ」、評論「昭和文学盛衰史」、詩集「死の淵より」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高見順
たかみじゅん
(1907―1965)

小説家、詩人。明治40年2月18日、福井県三国町(現坂井(さかい)市)生まれ。父阪本之助(さんのすけ)(当時福井県知事)、母高間古代(たかまこよ)の間の庶子。本名高間芳雄(たかまよしお)。生後まもなく祖母、母とともに上京。府立一中、旧制一高を経て、東京帝国大学英文科に進む。その間ダダイズムやアナキズムに傾倒し、高洲基らと同人雑誌『廻転(かいてん)時代』(1925創刊)を出す。東大では壺井繁治(つぼいしげじ)らと左翼芸術同盟を結成、『左翼芸術』『大学左派』『十月』『集団』等のプロレタリア文学雑誌に小説、評論などを発表。1930年(昭和5)大学卒業後、研究社を経てコロムビア・レコード社に勤務。1933年組合活動のために検挙され、転向する。同じとき妻に裏切られ精神的苦悩は重なった。同年9月、渋川驍(ぎょう)、新田潤(にったじゅん)らと雑誌『日暦(にちれき)』を創刊し、心の苦しさを吐き出すように、短編『感傷』(1933)や、長編『故旧忘れ得べき』(1935)などを書きつづった。とくに後者は第1回芥川(あくたがわ)賞候補作になり、一躍文壇の注目を浴びることとなった。36年、『日暦』の同人とともに、武田麟太郎(りんたろう)の『人民文庫』に参加して『故旧忘れ得べき』の続編を連載、10月単行本として刊行。この時期に発表された「描写のうしろに寝てゐられない」などの短評も、彼のユニークな文学思想として見逃せない。日中戦争が長期化する情勢のなかで、高見は逃れるように浅草生活に入り、『如何(いか)なる星の下(もと)に』(1939~40)を『文藝』に連載する。この長編は三雲祥之助(みくもしょうのすけ)による挿絵とともに当時の浅草情緒をよく伝えた傑作である。
 戦後は『わが胸の底のここには』(1946~47。1957年続編を発表するが未完)、『今ひとたびの』(1946)、『胸より胸に』(1950~51)、『生命の樹(き)』(1956~58)、『いやな感じ』(1960~63)のほか、詩集に『樹木派』(1950)、『死の淵(ふち)より』(1964)、評論には文学的証言として貴重な『昭和文学盛衰史』(1958)、日記には膨大な『高見順日記』(正続16巻)がある。65年(昭和40)8月17日癌(がん)で倒れるまで、日本ペンクラブや日本近代文学館創立に尽力した。[遠矢龍之介]
『『高見順全集』20巻・別巻1(1970~77・勁草書房) ▽『高見順日記』正8巻・続8巻(1964~66、1975~77・勁草書房) ▽石光葆著『高見順』(1969・清水書院) ▽土橋治重著『永遠の求道者 高見順』(1973・社会思想社) ▽奥野健男著『高見順』(1973・国文社)』

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世界大百科事典内の高見順の言及

【故旧忘れ得べき】より

高見順の長編小説。1935‐36年,《日暦》および《人民文庫》に連載。…

【高見順日記】より

…作家高見順の日記。全8巻9冊は1964年から66年にかけて,生前から没後に刊行されたが,内容は敗戦前後を中心とする1941年1月から51年5月までの記録である。…

※「高見順」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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