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竹橋事件 たけばしじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

竹橋事件
たけばしじけん

明治初年の陸軍兵士の反乱事件。 1878年8月 23日竹橋 (現東京都千代田区北の丸公園) 在営の近衛砲兵隊二百数十人が,西南戦争恩賞遅延を理由に決起し,隊長,士官を殺害。大蔵卿大隈重信邸を襲撃し,仮皇居 (現在の迎賓館赤坂離宮) 門前で天皇に直訴しようとしたが,同日東京鎮台兵の手で鎮圧された。陸軍裁判所は,同年 10月 15日に死刑 53人,準流刑 118人,その他の刑を宣告。死刑はただちに執行された。この事件をきっかけとして政府は「軍人訓誡」「軍人勅諭」を発布し,軍律強化に努めた。

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デジタル大辞泉の解説

たけばし‐じけん【竹橋事件】

明治11年(1878)東京竹橋の近衛砲兵隊の兵士二百六十余名が起こした反乱事件。陸軍卿山県有朋はこの事件を契機に軍人訓戒・軍人勅諭を発し、軍の規律強化をはかった。

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百科事典マイペディアの解説

竹橋事件【たけばしじけん】

1878年8月23日,東京麹町(こうじまち)竹橋門にあった近衛(このえ)砲兵第1大隊兵260人余が,西南戦争論功行賞や給料の減額を不満として蜂起(ほうき)し,大隊長を殺し,参議大隈重信邸に発砲した事件。直ちに鎮圧,50余人が死刑。事件後,軍人訓誡が発せられた。

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世界大百科事典 第2版の解説

たけはしじけん【竹橋事件】

明治初期の近衛兵の反乱事件で,竹橋騒動ともいい,徴兵制下の最初の兵士暴動。1878年8月23日夜,近衛砲兵大隊の兵卒数百名が,給料の減額や西南戦争に対する論功行賞への不満などを理由として反乱を起こしたとされるが,最近では自由民権思想とのかかわりが指摘されている。そのことは,徴兵制による創設期の陸軍がフランス式であり,比較的自由な軍隊であったこととも関連するかもしれない。その意味では,この事件は,フランス式からやがてドイツ式へ移行する日本陸軍変質の過渡期の象徴的事件といえよう。

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大辞林 第三版の解説

たけばしじけん【竹橋事件】

1878年(明治11)、東京竹橋の近衛砲兵隊二百六十余名が給料減額や西南戦争での恩賞の不満などを理由に決起し、死刑五三名に及ぶ厳刑が科された事件。直後に、軍人訓誡を発し上官への絶対服従を説き、軍律強化の契機となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

竹橋事件
たけばしじけん

日本で初めての兵士反乱。当時は「徒党暴動」「近衛(このえ)砲隊暴動」と呼称された。1878年(明治11)8月23日夜、近衛砲兵大隊の兵営(現在の東京・北の丸公園の一部)から兵卒200余名が蜂起(ほうき)。制止する大隊長宇都宮茂敏(うつのみやしげとし)少佐と深沢巳吉(ふかざわみのきち)大尉を殺害、山砲を発し厩(うまや)に放火、砲兵大隊兵営と向かい合っていた近衛歩兵第二連隊に協同を呼びかけた。同隊から30余名が呼応。兵士90余名は山砲一門を引いて、当時仮皇居になっていた赤坂離宮に迫り、天皇に強訴しようとしたが失敗。翌24日午前2時ごろには全員逮捕され鎮圧された。同日朝から陸軍裁判所で黒川通軌(みちのり)裁判長の下で、反乱兵士にそろばん責め、箱責めの拷問など過酷な糺問(きゅうもん)が開始され、10月13日兵卒259名の犯罪処分断案を決定(死刑53、准流刑118、徒刑3~1年68、戒役15、杖(じょう)および錮(こ)1、錮4)。10月15日越中(えっちゅう)島の陸軍刑場で処刑された53名の死刑者は、近衛歩兵第二連隊兵卒1、近衛砲兵大隊兵卒47、東京鎮台(ちんだい)予備砲兵第一大隊兵卒5名で、そのほとんどが徴兵農民・平民出身の平均年齢24歳の青年であった。翌79年4月10日には鎮台予備砲兵大隊の梁田正直(やなだまさなお)曹長と平山荊(ひらやまいばら)火工下長の死刑が執行された。暴動関係者として収監中の東京鎮台予備砲兵第一大隊長岡本柳之助(りゅうのすけ)少佐は、同年2月奪官の判決を受け出獄、部下の内山定吾(さだご)砲兵少尉には自裁(切腹)の判決があったが実施されず、82年5月無期流刑に変更された。蜂起の理由は、当時から近年まで、西南戦争の賞典がなかったこと、経費削減による減給、官給品減省などの不満とされてきた。真相はいまだ闇(やみ)に包まれている。しかし現在関係者遺族などの掘り起こし研究が進み、地租改正反対一揆(いっき)や自由民権運動の影響がみられる史実が明らかにされつつある。この騒動直後の78年10月、陸軍卿(きょう)山県有朋(やまがたありとも)の名で軍人訓誡(くんかい)、82年1月軍人勅諭が出されるなど、天皇の軍隊への確立が推進された。[松尾章一]
『竹橋事件百周年記念出版編集委員会編『竹橋事件の兵士たち』(1979・徳間書店)』

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世界大百科事典内の竹橋事件の言及

【岡本柳之助】より

…和歌山藩の砲兵大隊長をつとめ,廃藩後,陸奥宗光らの推薦で陸軍省に出仕,西南戦争には大阪鎮台参謀として参戦した。1878年近衛砲兵の暴動(竹橋事件)が起こったとき,東京鎮台予備砲兵第1大隊長の地位にあり,暴動を予知しながら上部へ報告もせず説諭もあいまいであるなど謎めいた行動をとったが,そのとがで奪官の刑に処せられた。後年,陸奥の推挙で朝鮮の宮内府顧問となり,日清戦争後の95年10月,王妃閔妃(びんひ)殺害事件に参画,投獄されたが証拠不十分で免訴。…

※「竹橋事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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