出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都中央区の南東部,隅田川河口に臨む島。現在は北側の石川島とともに佃1~3丁目に属する。寛永年間(1624-44)に摂津国佃村の漁民数十人が江戸幕府より鉄砲洲東側の砂州を拝領し,周囲を石垣で固めて100間(180m)四方の島を築造,44年(正保1)に完成したという。漁民は日本橋の魚市場に出荷するとともに,幕府よりシラウオ漁の特権を与えられ,毎年11月から翌年3月中旬にかけて,毎朝,将軍家にシラウオを納めた。また売物にならない雑魚を利用した佃煮を製造した。後には紀州の漁民も移住してきたが,全島民が西本願寺の信徒であったという。1645年に故郷摂津の住吉神社の分霊をまつったが,その例祭は江戸時代から著名で,また佃ばやしは江戸三大ばやしの一つに数えられた。住吉神社を中心とする一画は,関東大震災にも第2次世界大戦中にも被害をこうむらず,狭い道路や立てこんだ家並みなど,伝統的な景観をとどめている。1964年に佃大橋が架橋されるまでは〈佃の渡し〉があった。
執筆者:正井 泰夫+吉原 健一郎
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東京都中央区南東部、隅田(すみだ)川左岸にある旧地区名。隅田川が晴海(はるみ)運河とよぶ支流と分かれる河口の三角州からなる島であったが、その後の埋立てで、北の石川島、南の月島と地続きになった。現在の佃1丁目にあたり、石川島は佃1~2丁目にあたる。かつて名もなき小島であったが、江戸初期、徳川家康との縁故によって、摂津(大阪府)西成郡佃村の名主孫右衛門(まごえもん)が漁夫30余名を連れて移住し、郷里の名を島名とした。将軍家献上のシラウオや諸侯に納めた魚類の残りの雑魚(ざこ)を味つけして煮つめたのが佃煮で、江戸名物として現在に至っている。1646年(正保3)大坂の住吉大社の分霊を祀(まつ)る住吉神社が建立され、祭りの際の佃囃子(ばやし)は江戸三大囃子の一つとされた。漁師町は幾多の災害を免れ、江戸の情緒を今日まで伝えている。対岸の明石町(あかしちょう)との間の佃の渡しは、最後の隅田川の渡しとして1964年(昭和39)まで続いたが、佃大橋の完成で廃止された。
[沢田 清]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…第1は大阪湾岸の漁民の移住によって江戸の漁師町のいくつかが成立したということである。幕府の御菜魚を上納していた佃島(つくだじま)は天正年間以降,摂津西成郡佃・大和田両村の漁民が移住してきたものだというし,深川漁師町についても同じころやはり摂津漁民の移住によってできたという。第2は主として紀州漁民が近世初期から中期にかけて,まかせ網(旋網類),八手網(敷網類)などの進んだ漁労技術をもって房総沿岸の各地に出漁し,やがて移住してきて関東漁業開発に大きな役割を果たしたことである。…
※「佃島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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