日本大百科全書(ニッポニカ) 「趙之謙」の意味・わかりやすい解説
趙之謙
ちょうしけん
(1829―1884)
中国、清(しん)末の書家、画家、篆刻(てんこく)家。字(あざな)は益甫(えきほ)、のち撝叔(きしゅく)と改め、梅庵(ばいあん)、冷君、悲盦(ひあん)、憨寮(かんりょう)、无悶(むもん)などと号した。浙江(せっこう)省紹興の人。31歳のときに郷試に及第したが、北京(ペキン)で行われる会試には5回応じてことごとく失敗し、子供に読み書きを教えたり、書画や篆刻を売って生計をたてた。晩年は江西省の知県を歴任したが、過労のために没した。書は初め顔真卿(がんしんけい)を習ったが、やがて包世臣(ほうせいしん)の「逆入平出(ぎゃくにゅうへいしゅつ)」の用筆法を取り入れて北碑を学び、鬱勃(うつぼつ)たる熱情を近代的な知性と感覚で造型して各体をよくし、「北魏(ほくぎ)書」と評される独得の書風を創始した。画は惲寿平(うんじゅへい)や徐渭(じょい)の風を慕って優麗な没骨(もっこつ)の花卉(かき)を得意とし、近代初頭の花卉画の代表的作家となった。篆刻は漢印や鄧石如(とうせきじょ)を基礎として、理知的かつ繊細で、静かな高い風格を示す。大正時代以来、日本の書道界に与えた影響は大きく、作品も多く伝来している。作品集に『悲盦賸墨(あんようぼく)』『二金蝶堂(にきんちょうどう)遺墨』『二金蝶堂印譜』『趙撝(ちょうき)叔印譜』などがあり、著書に『六朝別字記』『補寰宇(かんう)訪碑録』『梅庵集』などがある。
[筒井茂徳]
『西川寧編『二金蝶堂遺墨』(1979・二玄社)』▽『謙慎書道会編『趙之謙書画集』(1986・東方書店)』▽『小林斗盦編『中国篆刻叢刊26・27 趙之謙 1、2』(1981・二玄社)』▽『中田勇次郎編『書道芸術10 趙之謙他』(1972・中央公論社)』