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陳淳 ちんじゅんChen Chun

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

陳淳
ちんじゅん
Chen Chun

[生]紹興23(1153)
[没]嘉定10(1217)
中国,宋の儒者。字は安卿。号は北渓。朱子の門人。その著書『性理字義』 (2巻) は,朱子学の重要概念を簡明に解説したもので,後代大いに読まれた。

陳淳
ちんじゅん
Chen Chun

[生]成化20(1484).6.28.
[没]嘉靖23(1544).10.21.
中国,明の文人画家。長洲 (江蘇省蘇州) の人。字は道復のち復甫,号は白陽山人。詩書に長じ,一生仕官せず隠棲して文雅の生涯をおくった。文徴明の門下として文芸一般を学び,のち米 芾 (べいふつ) や沈周 (しんしゅう) の画法を修め,写生と写意を総合した水墨淡彩の花卉に独自の画境を開き,徐渭,八大山人らの画風の先駆となる。著書に『白陽山人集』がある。

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百科事典マイペディアの解説

陳淳【ちんじゅん】

中国,明代の画家。江蘇省長洲の人。字は道復,復甫,号は白陽山人。文徴明の弟子のうちで特に高名で,美しい墨調の水墨花卉(かき)画を得意とした。これは沈周(しんしゅう)の好んだモティーフを発展させたもの。
→関連項目趙之謙

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世界大百科事典 第2版の解説

ちんじゅん【陳淳 Chén Chún】

1484‐1544
中国の明代の文人画家。字は道復,また復甫,号は白陽山人。長洲大姚村(江蘇省蘇州)の名家の出身。若いころより文徴明に師事して学芸を学び,入室の弟子と称され,呉派隆興の一翼を担った。画は米法山水のほか花卉(かき)画を得意とし,ことにその水墨による花卉はのちの徐渭,八大山人ら写意派の画風の先駆となった。【嶋田 英誠】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陳淳
ちんじゅん
(1159―1223)

中国、南宋(なんそう)の学者。字(あざな)は安卿(あんけい)、号は北渓(ほくけい)(しょうしゅう)竜渓(福建省)の人。官は泉州安渓県主簿(しゅぼ)。黄(こうかん)(1152―1221)と並ぶ朱熹(しゅき)(朱子)の高弟。思索に長じ、主として哲学理論の面で師の説を継承し、その宣揚に努めた。主著『字義詳講』(別名『北渓字義』あるいは『性理字義』。門人王雋(おうしゅん)録)は彼の特徴をよく表した書で、命・性・心・理など朱子学の重要な哲学用語26(版本によっては25)について、それぞれの意味を詳論している。[山本 仁]
『宇野茂彦訳注『陳北渓』(『朱子学大系 第10巻 朱子の後継 上』所収・1976・明徳出版社)』

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世界大百科事典内の陳淳の言及

【北渓字義】より

…中国宋代,朱熹(しゆき)(子)の高弟陳淳が著した一種の哲学辞典。《性理字義》ともいう。…

※「陳淳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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