精選版 日本国語大辞典 「左氏伝」の意味・読み・例文・類語
さしでん【左氏伝】
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…歴史的には前漢時代と清代後半とに行われたが,特に後者をさす場合が多い。春秋時代の魯国の歴史記録である《春秋》には,その解釈として《公羊伝》《穀梁伝(こくりようでん)》《左氏伝》の3伝があるが,前漢の武帝が董仲舒(とうちゆうじよ)らの献策をいれて儒学を政治原理として用い,博士官を設けて経学の伝授を行ったとき,先秦時代の古文経書ではなくて今文(前漢時代に通用していた隷書)で書かれた経書を教科書とした。また当時の経学は経術ともよばれて政治の実際と深く結びついており,ことに《春秋公羊伝》は天下統一の理念を強く示しているために重視され,漢代の春秋学は実際は公羊学を意味していた。…
…中国における五経の一つ《春秋》の三つの伝(釈義書),《公羊(くよう)伝》《穀梁(こくりよう)伝》《左氏伝》のこと。《春秋》には孔子の理念が託されているとの認識に立ち,その真義を解明しようとして,二つの方法が現れた。…
…おそらく諸子の散文の発展に刺激されて,歴史の記述に変化が起こる。《左氏伝》は《春秋》を補足する形をとり,魯の国のほか晋や楚の年代記などを利用し,前4世紀にできたと思われる。人物のいきいきとした描写,事件の展開のむだのない記述に手腕をみせる《左氏伝》は《春秋》とならんで編年体の歴史書の模範となった。…
…趙匡が啖助を訪問したのはこの一度だけだったようであるが,彼は啖助の没後,彼の子啖異躬と弟子の陸淳とから啖助の遺稿の補訂を求められ,啖助の研究の不十分な点を補っているが,趙匡の業績は要するに《春秋》三伝の批判的研究の根拠を確立したことにある。啖助の研究が三伝の統一的解釈の樹立にあったのに対して,趙匡はそれまで《公羊(くよう)伝》《穀梁伝》に対して優利な地位にあった《左氏伝》の権威を《左氏伝》・左丘明批判によって失墜させ,これによって啖助の創(はじ)めた新解釈の意義を高めたのである。その意味で彼は啖助の学灯の継承者と認められている。…
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