日本大百科全書(ニッポニカ) 「車両工業」の意味・わかりやすい解説
車両工業
しゃりょうこうぎょう
[三輪芳郎]
特質
近代社会発展の一つの主要な基礎となった鉄道交通のための鉄道車両工業は、とくに第二次世界大戦後の自動車、航空機の発展に食われ、衰退産業に追いやられている。とはいえ鉄道は、大都市周辺の大量旅客輸送手段として、あるいは「新幹線」や将来のリニアモーターカー等の超高速輸送、あるいは広大な国土面積をもつ旧ソ連地域、アメリカ、中国、インドなどでの遠距離貨物輸送手段として、さらには将来の新交通システムとしての見直し問題など、新しい課題も負わされている。
鉄道車両工業は、第一に、少数特定需要者(日本では国鉄あるいは私鉄)からの注文生産品である。第二に、鉄道新設時を除くと、更新需要が主体となるため、生産の成長率がきわめて低い。たとえば、日本の鉄道車両の生産は、戦前の1929年(昭和4)に1.9万台、40年に5.7万台であったが、第二次大戦後の65年(昭和40)に東海道新幹線新設用を含んで6.9万台を示したものの、その後は漸減し、83、84年には2万~3万台にすぎず、いわば、昭和初年に逆戻りの状態である。このような低成長産業(質の向上はともかく)は、特殊な産業を除けばほかにあまり類をみないであろう。第三に、特殊な技術を要する総合組立て産業ではあるが、以上の特質のため、少量生産産業で、しかも競争条件が限られているため、メーカー数もかなり少数固定的で、当然の結果として、技術進歩、価格も相対的に非弾力的(親方日の丸的)な傾向が強い。
[三輪芳郎]
日本の車両工業
日本の車両工業は、明治初年の鉄道創業以来、まず部品を輸入し、客貨車の組立てから始まった。明治後期から大正初期にかけ、蒸気機関車、電気機関車の国産化も行われ始めた。とくに1906年(明治39)鉄道国有化後は、軍事的目的もあり国家の保護育成政策、中国大陸侵略政策(例、南満州鉄道)なども「てこ」となり、第二次大戦前に、すでに国際水準に達するまでに至った。戦後は、低成長のなかにあっても、東海道新幹線用車両の成功で、国際水準を抜く技術水準に達するに至っている。
しかし、戦後の自動車、航空機の急発展で、たとえば旅客輸送量(人キロ)での鉄道(国鉄と私鉄合計)の占める割合は、1955年までの約8割強、65年の約7割が、70年以降は5割から83年には4割に低下し、乗用車、バス、航空機に食われている。貨物輸送量(トンキロ)でも、83年には内航海運が48%、自動車が46%で、鉄道はわずか6~7%を占めるにすぎなくなっている。鉄道貨物輸送量の国際比較をみても、中国が15年間に約3倍(年率7%前後)と高成長であるほかは、おしなべて低成長であるが、日本の減少ぶりは15年間に半減ともっとも著しい。国鉄の在籍車両数をみても、電車とコンテナを除き、他は急減している。したがって、輸出が志向されるわけだが、輸出比率も高くなく、じり貧状態に近く、その他の産業機械、鉄骨等への兼業化や転換が主流となっている。
[三輪芳郎]
世界の車両輸出
世界の鉄道車両輸出状況をみると、ドイツ、アメリカ、フランス、日本、イギリスの5か国の輸出額が飛び抜けて大きく、主要10か国中、この5か国で約9割強を占める。1982年でみると、旧西ドイツはオランダ、エジプト向けが大きく、アメリカはメキシコ、カナダ、チュニジア、インドに、フランスはベネズエラ、メキシコ、旧東ドイツ、オランダに、日本はアメリカ、インドネシア、パキスタン、中国に、イギリスは香港(ホンコン)にと、輸出先にかなり特色がある。
[三輪芳郎]