改訂新版 世界大百科事典 「転化問題」の意味・わかりやすい解説
転化問題 (てんかもんだい)
transformation problem
マルクスが価値と生産価格の関係を〈価値の生産価格への転化〉として論じて以来,マルクス的価値(体化労働)を基礎にして生産価格(均等利潤率を成立せしめる価格)を導出する議論が転化問題,あるいは転形問題とよばれるが,この問題の歴史は長い。マルクスの転化論はつぎの三つの総計一致命題からなる。すなわち,費用価格(不変資本プラス可変資本。〈不変資本・可変資本〉の項参照)は価値の次元でも生産価格の次元でも同一である(第1命題),総剰余価値は総平均利潤に等しい(第2命題),総価値は総生産価格に等しい(第3命題)。マルクスは,第1命題を所与として第2命題が成立するように剰余価値を配分して生産価格を導き,第3命題の成立をもって価値が生産価格を規制することの証明とした。
これに対していち早く反論したのはベーム・バウェルクで,彼はマルクスの転化論は成功していないと断ずると同時に,《資本論》第1部(価値論)と第3部(生産価格論)の間には〈融和しがたい矛盾〉があるとして〈マルクス体系の終結〉を宣した(1896)。ヒルファディングはエンゲルスの歴史・論理説(論理的なものは歴史的なものから偶然的なものを捨象したものであるという解釈)に依拠して,価値は単純商品(資本主義以前の商品)に妥当する概念であり,生産価格は資本制的商品に妥当する概念であって,両者は質的に異なると反論した。この論争は戦間期の日本でも小泉信三と櫛田民蔵の間で再現され,櫛田は〈価値と生産価格の矛盾は事実の矛盾であって論理の矛盾ではない〉として小泉を反論したが,この反論は歴史・論理説そのものに難点があるために有効であったとはいえない。転化問題の正しい解決の方向に向かって新しい軌道を設定したのは,L.vonボルトキエビチである(1906-07)。彼は転化問題を,(1)生産価格体系を生産価格の価値からの乖離(かいり)率を変数として連立方程式で定式化し,(2)マルクスの第1命題を廃して,費用価格も生産価格を用いて方程式体系に導入することによって,マルクスの第2命題と第3命題は同時には成立しないことを立証した。彼の議論は転化問題の解決にとって決定的な一歩をふみだしたものであったが,P.M.スウィージーによって再発掘される(1942)まで注目されないままであった。これ以降欧米の経済学者の間で転化問題が論ぜられるようになるが,1960年代前半までの議論は,ボルトキエビチの第2・3命題同時成立不可能論を承認したうえで,両命題のいずれを不変命題として採用するのがマルクスの真意に適合的であるかという点が中心的な係争点であって,相対主義的帰結にとどまっていた。
転化問題が新しい局面を迎えるのは1960年代末以降である。これは数理経済学的手法を用いて転化問題を再定式化することから始まる。これには二つの流れがある。第1に,線形代数を用いることによって,生産価格体系と最大の均等成長率で拡大する財の世界の間に双対dualの関係があり,均等利潤率と最大の均等成長率は同値であることが明らかにされた。この命題を用いて〈マルクスの基本定理〉が証明されることになるが,転化問題においてもこれによって総計一致の第2命題と第3命題が同時に成立できるように価格を規準化することが可能となり,転化問題は少なくとも流動資本モデルでは解決されたのである。第2に,マルコフ連鎖を用いて反復過程をくりかえしていけば,価値から出発して生産価格に収斂(しゆうれん)することが証明された。この収斂結果は財世界のデータを所与とするかぎり,第3命題を規準化原則とした場合のボルトキエビチの解法結果と同じになるが,反復過程中に利潤率だけでなく,生産量のほうも最大の均等成長率で拡大する経済に収斂するようにモデルを設定すれば,第1で述べたのと同じになる。
以上が転化問題の現在の到達点である。これによって長い歴史をもつ転化問題は基本的な点では決着したといえる。最終段階では森嶋通夫と置塩信雄の貢献が大きかった。残された問題は大きく分けて二つある。第1は,結合生産や固定資本(これも結合生産の一種とみなされる)を導入した場合に転化問題はどうなるかということである。結合生産が行われる場合には,正の利潤率が成立するもとで負の価値あるいは負の剰余価値が発生しうることが,マルクス価値論に対する反証として指摘されているので,この点を含めて転化問題を再展開する課題は残されている。第2は,今までの転化論の方法論的基礎づけである。今までの転化論は,最大の均等成長率をもつ架空の経済における均等利潤率と均等成長率の同値命題を決め手として一応の決着に達した。この架空の経済の想定,およびそこで展開された転化論をマルクス経済学の方法論でいかに基礎づけるか,これも残された課題である。
執筆者:高須賀 義博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報