理論経済学者。1923年(大正12)7月18日、大阪市生まれ。日本の近代経済学を世界的水準に引き上げた草分け的存在で、数学的手法を駆使し新古典派経済学の発展に大きく貢献。長く「日本人初のノーベル経済学賞」の有力候補とされた。1970年(昭和45)以降は活躍の場をロンドンに移し、マルクス、ワルラスらの経済理論を現代的手法で解釈し直し、独創的な経済理論に発展させた。
京都帝国大学経済学部卒業。在学中の1943年に学徒出陣し、海軍中尉で敗戦を迎えた。1950年京都大学助教授につき、イギリスのオックスフォード大学、アメリカのエール大学に留学。1963年からは大阪大学教授を務め、日本の経済学研究の一大拠点となる大阪大学社会経済研究所の設立に貢献した。
ノーベル経済学賞を受賞した、イギリスの理論経済学者ジョン・ヒックスの『Value and Capital』(1939、邦訳『価値と資本』)のモデルを厳密に数学的に点検、拡張した『動学的経済理論』(1950)を20代で発表。需要と供給のミスマッチを解消する均衡状態が、価格調整機能で達成されるかどうかを分析する新古典派の均衡理論モデルを精緻(せいち)化・体系化した。さらに均衡理論を『Equilibrium,Stability and Growth』(1964、邦訳『均衡、安定・成長』)で成長理論に発展させた。一連の業績で、1965年には日本人として初めて国際計量経済学会の会長を務めた。
しかし人事をめぐる軋轢(あつれき)などから日本を去り、1968年にイギリスのエセックス大学に招かれ、1970年にはロンドン大学教授に就任。マルクスの業績を経済学史のなかで再構築した『Marx's Economics:A Dual Theory of Value and Growth』(1973、邦訳『マルクスの経済学』)を発表。『Walras's Economics:A Pure Theory of Capital and Money』(1977、邦訳『ワルラスの経済学』)などの一連の著作で、19世紀の大経済学者の理論を近代経済学の手法で解釈、発展させた。過度に数理技術的になったアメリカの経済学には批判的で、過去の歴史や社会実態に即した理論形成に力を注いだ。
経済の領域にとどまらず、活発に批評・評論活動したことでも知られる。冷戦期には「外交と国際協力による国防論」を唱え、当時早稲田大学教授であった関嘉彦(せきよしひこ)(1912―2006)と防衛論争を展開。欧米で進む経済の広域化を踏まえ、1990年代には、日本、韓国、中国などの「東北アジア共同体論」(AU)を提唱した。また、『なぜ日本は没落するか』で人口減と戦後世代の倫理性の欠如を指摘して日本の将来に警鐘を鳴らした。イギリスの病院で、老衰のため死去。1976年に文化勲章受章。
[矢野 武]
『『動学的経済理論』(1950・弘文堂)』▽『高須賀義博訳『マルクスの経済学』(1974・東洋経済新報社)』▽『西村和雄訳『ワルラスの経済学』(1983・東洋経済新報社)』▽『『血にコクリコの花咲けば』(1997・朝日新聞社)』▽『『なぜ日本は没落するか』(1999・岩波書店)』▽『『森嶋通夫著作集』全14巻・別巻(2003~05・岩波書店)』▽『村田安雄・森嶋瑶子訳『なぜ日本は行き詰ったか』(2004・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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