農民協同党(読み)のうみんきょうどうとう

改訂新版 世界大百科事典 「農民協同党」の意味・わかりやすい解説

農民協同党 (のうみんきょうどうとう)

第2次大戦後の小政党。1948年11月の農民政治力結集全国大会以降,河口陽一,松本六太郎,北二郎らの衆議院議員を中心に,農民新党結党の準備がすすめられた。49年5月,院内で国民協同党とともに新政治協議会を結成。同年10月に農民新党(暫定呼称)全国協議会を開催,新党の性格について国民政党か職域政党かを論議して,職域政党として国民協同党との合同を拒否する方針を確立した。同年12月8~9日の第1回大会では,協同社会主義の指導理念のもとに農山漁民政治力を結集する方針を提示,新政治協議会を離脱,農民協同党と改称して独自の歩みを開始した。51年2月5~6日の第2回大会で中央執行委員長に松本六太郎,書記長に中村寅太らを選出衆議院で8名,参議院で4名の党派となった。52年2月,国民民主党と改進党を結党。一部は同年7月,平野力三グループと協同党を結党,のちに社会党右派に投じ,職域政党の寿命を終えた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「農民協同党」の意味・わかりやすい解説

農民協同党
のうみんきょうどうとう

1949年(昭和24)12月9日、旧農民新党を母体に国民協同党の一部が加わって結成した保守中道政党。「協同社会主義による国民経済の改革」を唱え、農山漁村の政治力結集、食糧自給強化、農業生産力の増強を目ざした。結党時の院内勢力は衆議院8名、参議院4名で、委員長松本六太郎、書記長中村寅太(とらた)。日本協同党以来の「協同組合主義」の理念を受け継ぎ、保守の進歩派として独自の領域を保持したが、講和後の政党再編成機運のなかで1952年2月改進党が結成されると事実上分裂し、中村ら6名は改進党に合流、残留派の寺崎覚ら4名は同年7月平野力三らの社会民主党と合流して協同党を結成した。

[吉田健二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「農民協同党」の意味・わかりやすい解説

農民協同党
のうみんきょうどうとう

日本の政党。1949年12月に結成。1948年12月に全国農村青年連盟の農民政治力結集の提唱で,従来の農民党的な勢力と国民協同党の一部を合わせて農民新党を結成,翌 1949年12月農民協同党を結成。結成時,衆議院議員 8人。背後農業協同組合と,その政治活動団体としての農青連,農民同盟などの組織をもち,協同組合主義を掲げた。1952年改進党結成に伴って,主流の 4議員は同党に,2議員は社会民主党と合同して協同党を結成した。

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百科事典マイペディア 「農民協同党」の意味・わかりやすい解説

農民協同党【のうみんきょうどうとう】

農民の政治力結集をめざした政党。1949年創立。農業協同組合などの組織をもち〈協同社会主義〉を掲げた。1952年主流派は改進党参加,他は協同党を結成。

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