御家流(読み)オイエリュウ

デジタル大辞泉 「御家流」の意味・読み・例文・類語

おいえ‐りゅう〔おいへリウ〕【御家流】

和様書道流派の一。江戸時代幕府の文教政策で広く一般に流布した青蓮院しょうれんいんをいう。
香道の流派の一。三条西実隆さんじょうにしさねたか創始

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精選版 日本国語大辞典 「御家流」の意味・読み・例文・類語

おいえ‐りゅう おいへリウ【御家流】

〘名〙
① 書道の流派の一つ。鎌倉時代、伏見天皇皇子青蓮院(しょうれんいん)門主尊円法親王が創始。小野道風、藤原行成の書法に宋風を加えた、穏和で、流麗な感じの書体。室町時代に盛んとなり、江戸時代には朝廷、幕府などの公用文書に用いられた。御家(おいえよう)。尊円流。青蓮院流。粟田口流
※評判記・役者口三味線(1700)京「御手跡は御家流のただ中。万(よろづ)にきゃしゃ成お物ずき」
② 香道の流派の一つ。三条西実隆を始祖とするもの。〔香道濫觴伝書(1759)〕
[語誌]①の書風は、徳川家康が奨励し、江戸幕府も使用を強制したため、寺子屋でも書道の手本となり、実用書体として全国に普及し、その影響は明治時代にも残った。

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改訂新版 世界大百科事典 「御家流」の意味・わかりやすい解説

御家流 (おいえりゅう)

尊円親王を祖とする中・近世における日本書道の代表的書流。尊円は初め藤原行成を始祖とする世尊寺流を学んだが,さらに小野道風や宋の書風を加えて,流麗豊肥で親しみやすい一流を完成させた。この書流は彼が青蓮院門跡(第17世)であったので青蓮院流,または尊円流,粟田流とも呼ばれている。この書風は歴代の青蓮院門主に伝授継承され,室町時代には一典型となって盛んに行われたが,やがて江戸時代に入ると朝廷,幕府,諸藩の公文書,制札などにこの書流が採用された。寺子屋などでもこれを教え,庶民の間にも根強い勢力をもつにいたった。蒲生君平遺稿の《尊円氏真跡摸帖序》には,官府に用いられるようになって〈御家流〉の名称ができたと記されるが,別に,伏見天皇がその書を〈御家の流〉とせよといわれたことによるとも伝えられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御家流」の意味・わかりやすい解説

御家流
おいえりゅう

京都・粟田口青蓮院(あわたぐちしょうれんいん)の第35代門跡(もんぜき)尊円(そんえん)法親王(1298―1356)の書流。法親王は歴朝屈指の能書伏見(ふしみ)天皇の皇子。書をよくし、その穏和で平明な書風は多くの人々に愛好されて、追随する者が輩出、一つの書流を形成した。尊円流、青蓮院流、あるいは粟田口流とよぶ。以後の青蓮院門跡は代々その書風を継承、広く用いられたが、とくに江戸時代になって圧倒的な盛行をみた。御家流の名でよばれ、朝廷、幕府の公文書をはじめ、諸大名から市井(しせい)の寺子屋の手本にまで登場した。しかし、それは低俗に堕した形骸(けいがい)化著しいものであって、当時の書壇に絶対多数を占めた御家流の書家の作品にはみるべきものはない。御家流の名称については、法親王が伏見天皇より進境をたたえられ、その書を家の流とせよ、と仰せられたことに由来するというが、根拠はない。家は青蓮院家をさし、御家は宮門跡である青蓮院に対する尊称、と考えるのが妥当であろう。ちなみに、藤原行成(こうぜい)の世尊寺(せそんじ)流には「家様(いえよう)」という呼び名もあった。

[尾下多美子]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「御家流」の解説

御家流
おいえりゅう

青蓮院(しょうれんいん)門跡尊円入道親王を始祖とする書流。青蓮院流・尊円流,また青蓮院が粟田口(あわたぐち)にあることから粟田流ともいう。御家流と一般によぶのは,青蓮院門跡に対する人々の敬意の表れと考えられている。尊円親王ははじめ世尊寺行房・行尹(ゆきただ)兄弟に書法を学び,さらに小野道風や宋の書風を加えて発展させ,一流を創始した。その書流は中・近世に流布して和様書道の中心となり,他派を圧した。平明で温和な書風であるところから,江戸初期には数多くの支流を生んだ。上は幕府の公用書体として,下は庶民教育の手本にされるほど幅広い支持層を得,隆盛を誇ったが,時代がくだるにつれて芸術性が失われ,形骸化して衰退した。

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百科事典マイペディア 「御家流」の意味・わかりやすい解説

御家流【おいえりゅう】

青蓮院(しょうれんいん)流

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旺文社日本史事典 三訂版 「御家流」の解説

御家流
おいえりゅう

書道の一流派。青蓮院門跡尊円入道親王を始祖とし,江戸時代,幕府・大名の公文書に用いられた。

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世界大百科事典(旧版)内の御家流の言及

【書】より

…名筆として知られた伏見天皇(1265‐1317)は平安時代の書に習熟し,復古的な流麗さをもって著名で,その皇子尊円親王は世尊寺流に宋風を加味した尊円流を創めた。青蓮院(しようれんいん)流とも呼び,後世の御家流(おいえりゆう)の基礎となった。 平安末期ごろから中国の宋との貿易が活発となり,各種の文物とともに新しい宋風の書が輸入された。…

【青蓮院流】より

…親王は世尊寺流の上代様に新しく中国宋代の張即之の強さを加えた秀れた書風を生み出したが,末流はもっぱら豊潤を宗とするようになって世の好みに合い,したがってまた卑俗にもなった。青蓮院流は江戸時代には御家流といわれ,勢力をもったが,これに反発して多くの新しい流派も興った。【田村 悦子】。…

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