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御家流 オイエリュウ

百科事典マイペディアの解説

御家流【おいえりゅう】

青蓮院(しょうれんいん)流

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世界大百科事典 第2版の解説

おいえりゅう【御家流】

尊円親王を祖とする中・近世における日本書道の代表的書流。尊円は初め藤原行成を始祖とする世尊寺流を学んだが,さらに小野道風や宋の書風を加えて,流麗豊肥で親しみやすい一流を完成させた。この書流は彼が青蓮院門跡(第17世)であったので青蓮院流,または尊円流粟田流とも呼ばれている。この書風は歴代の青蓮院門主に伝授継承され,室町時代には一典型となって盛んに行われたが,やがて江戸時代に入ると朝廷,幕府,諸藩の公文書,制札などにこの書流が採用された。

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大辞林 第三版の解説

おいえりゅう【御家流】

京都粟田口の青蓮院しようれんいん門跡、尊円法親王(1298~1356)を祖とする書流。世尊寺流に上代書法を取り入れた、流麗で平明・穏和な書風。中世にも愛好されたが、特に江戸時代には御家流の名で呼ばれて朝廷・幕府・諸藩の公文書類で用いられたほか、寺子屋でも教えられて盛行した。青蓮院流。尊円流。粟田口流。粟田流。家様。
香道の一流派。三条西実隆を始祖とする。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

御家流
おいえりゅう

京都・粟田口青蓮院(あわたぐちしょうれんいん)の第35代門跡(もんぜき)尊円(そんえん)法親王(1298―1356)の書流。法親王は歴朝屈指の能書伏見(ふしみ)天皇の皇子。書をよくし、その穏和で平明な書風は多くの人々に愛好されて、追随する者が輩出、一つの書流を形成した。尊円流、青蓮院流、あるいは粟田口流とよぶ。以後の青蓮院門跡は代々その書風を継承、広く用いられたが、とくに江戸時代になって圧倒的な盛行をみた。御家流の名でよばれ、朝廷、幕府の公文書をはじめ、諸大名から市井(しせい)の寺子屋の手本にまで登場した。しかし、それは低俗に堕した形骸(けいがい)化著しいものであって、当時の書壇に絶対多数を占めた御家流の書家の作品にはみるべきものはない。御家流の名称については、法親王が伏見天皇より進境をたたえられ、その書を家の流とせよ、と仰せられたことに由来するというが、根拠はない。家は青蓮院家をさし、御家は宮門跡である青蓮院に対する尊称、と考えるのが妥当であろう。ちなみに、藤原行成(こうぜい)の世尊寺(せそんじ)流には「家様(いえよう)」という呼び名もあった。[尾下多美子]

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世界大百科事典内の御家流の言及

【書】より

…名筆として知られた伏見天皇(1265‐1317)は平安時代の書に習熟し,復古的な流麗さをもって著名で,その皇子尊円親王は世尊寺流に宋風を加味した尊円流を創めた。青蓮院(しようれんいん)流とも呼び,後世の御家流(おいえりゆう)の基礎となった。 平安末期ごろから中国の宋との貿易が活発となり,各種の文物とともに新しい宋風の書が輸入された。…

【青蓮院流】より

…親王は世尊寺流の上代様に新しく中国宋代の張即之の強さを加えた秀れた書風を生み出したが,末流はもっぱら豊潤を宗とするようになって世の好みに合い,したがってまた卑俗にもなった。青蓮院流は江戸時代には御家流といわれ,勢力をもったが,これに反発して多くの新しい流派も興った。【田村 悦子】。…

※「御家流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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