リーチ(読み)りーち(英語表記)Edmund Leach

デジタル大辞泉 「リーチ」の意味・読み・例文・類語

リーチ(reach)

テニスで、ラケットの届く範囲。
ボクシングで、腕を伸ばして届く距離・範囲。
ホッケーで、選手がスティック前後左右に伸ばしたときのプレーできる範囲。
テレビやインターネット上の広告が、訴求対象となる人々の目にとまること。→リーチ率リーチ数

リーチ(Bernard Leach)

[1887~1979]英国の陶芸家。香港生まれ。1909年(明治42)来日。柳宗悦やなぎむねよしらの民芸運動に協力し、1920年(大正9)帰英。日本と英国の陶芸を融合した独自の作風を開いた。

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精選版 日本国語大辞典 「リーチ」の意味・読み・例文・類語

リーチ

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] reach )
  2. 腕を伸ばした長さ。
  3. 特に、ボクシングで、選手が腕を伸ばした際の届く距離・範囲をいう。
    1. [初出の実例]「遠くからポイントを稼いで行け。リーチはお前の方が長いんだから」(出典:太陽の季節(1955)〈石原慎太郎〉)
  4. テニスのネットプレーで、左右の守備の広さ。
  5. ホッケーで、一人の選手のプレー可能な範囲。スティックを体の周囲に伸ばした時、届く範囲。

リーチ

  1. ( Bernard Leach バーナード━ ) イギリスの陶芸家。イギリスで美術を学んだのち、明治四二年(一九〇九)来日。陶芸を学び、日本民芸運動に加わる。日本とイギリスの陶技を融合した作風をもち、両国の工芸の発展に尽くす。(一八八七‐一九七九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リーチ」の意味・わかりやすい解説

リーチ(Edmund Leach)
りーち
Edmund Leach
(1910―1989)

イギリスの社会人類学者。ケンブリッジ大学で工学を専攻し、中国などで数年過ごし、その後ロンドン大学でマリノフスキーに師事して人類学を学んだ。ラドクリフ・ブラウン流の構造機能主義が主流となっていたイギリス人類学のなかで、彼は理論と民族誌の根源に帰って「人類学の再考」を行い、現代社会人類学の全領域にわたり、つねに知的挑戦に満ちた問題提起を続けた。

 名著とされる『高地ビルマ政治体系』(1954)では、高地ビルマ諸社会を、(1)専制的・階層的なシャン国家型、(2)カチンの無階層的なグムラオ型、(3)両型の中間のグムサ型、と分類する。そして(3)が(1)や(2)に変化する原動力は、個々人が地位と力で競い合って生じる社会経済変化によると説いた。また『プル・エリヤ――セイロンの村』(1961)では、所有継承関係を規定しているのは、フォーテスの説くような出自関係によるのではなく、生態環境(地縁関係)であると主張した。また儀礼の考察などを通じて、レビ・ストロースの構造人類学の立場に近づいていった。『人類学再考』(1961)、『神話としての創世記』(1969)、『文化とコミュニケーション』(1976)、『社会人類学』(1982)などの著書がある。

[宮坂敬造 2019年1月21日]

『青木保・井上兼行訳『人類学再考』(1974/新装版・1990・思索社)』『江河徹訳『神話としての創世記』(1980・紀伊國屋書店/ちくま学芸文庫)』『青木保・宮坂敬造訳『文化とコミュニケーション――構造人類学入門』(1981・紀伊國屋書店)』『長島信弘訳『社会人類学案内』(1985・岩波書店)』


リーチ(Bernard Leach)
りーち
Bernard Leach
(1887―1979)

イギリスの陶芸家。香港(ホンコン)に生まれる。父は弁護士。1906年ロンドン美術学校に入学しエッチングを学ぶ。09年(明治42)来日。上野桜木町に住み、白樺(しらかば)派同人に銅版画を教えたのを機に富本憲吉との交流が始まる。ついで柳宗悦(むねよし)、浜田庄司(しょうじ)、河井寛次郎ら民芸運動の指導者とも親交を結び、6代目乾山(けんざん)に入門して楽焼(らくやき)を習得。20年(大正9)浜田を伴い帰国、セント・アイビスに築窯して作陶生活に入る。第二次世界大戦後もたびたび来日して展観や講演活動を続け、国際文化交流に貢献、64年(昭和39)勲二等瑞宝(ずいほう)章を受章した。李朝(りちょう)陶磁や日本の民芸陶磁を原点とした東洋陶磁の特質にイギリスの伝統陶技を盛り込み、独自の作風を展開した。セント・アイビスに没。著書『陶工の本』が知られている。

[矢部良明]

『石川欣一訳『陶工の本』(1955・中央公論美術出版)』『C・W・ニコル著、松田銑訳『バーナード・リーチの日時計』(1982・角川書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「リーチ」の意味・わかりやすい解説

リーチ
Bernard Howell Leach
生没年:1887-1979

イギリスの陶芸家。父は弁護士,ホンコンに生まれ,3歳まで京都や彦根に住む。1897年イギリスに帰り,ロンドン美術学校に学ぶ。1909年来日,東京,上野桜木町に住み,武者小路実篤,柳宗悦ら《白樺》の同人に銅版画を教えたことから彼らとの交友が始まった。12年,ある茶会で楽焼に絵付したことが契機となって富本憲吉とともに六代目尾形乾山に入門,16年,師の本窯を譲り受けて千葉県我孫子(あびこ)の柳邸内に築窯,将来陶芸家となることを志し,作陶に専念。20年浜田庄司を伴って帰国し,翌年マージョリ・ホーン夫人の援助でコーンウォールのセント・アイブズに築窯。本格的作家生活に入る。翌年ロンドンの工芸家ギルドでイギリスでの初の個展を開催。その後ホーン夫人から独立,〈リーチ・ポタリー〉を設立し,毎年ロンドンで個展を開くことによって彼の作品はしだいに愛好家や批評家の注目するところとなった。しかし,彼が陶芸家として世間に知られるようになったのは第2次大戦後である。ことに戦後しばしば彼は日本で個展を開き,また民芸運動を目ざす柳宗悦や浜田庄司らと伝統的な地方の窯場を旅している。彼の作品は李朝の陶器や日本の民芸陶器を原点として,これにイギリス中世のガレナ釉による水さしや18世紀のスリップウェアの素朴な伝統を蘇生させることによって,失われた焼物の美に新たな生命を吹き込んだのである。彼は作陶のかたわら数多くの著作を残したが,なかでも彼の《APotter's Book(陶工の本)》(1940)は,西洋の陶芸家の聖典として広く読まれている。
民芸
執筆者:


リーチ
Edmund Ronald Leach
生没年:1910-89

第2次世界大戦後のイギリスを代表する社会人類学者。そのつねに革新的な発想と強い論理力に裏打ちされた主張は,1950年以降のイギリスの人類学会の流れを左右してきた。富裕な家庭に生まれ,ケンブリッジ大学では数学と工学を修めた。卒業後,上海で商業の実務についたが,中国滞在中,台湾のヤミ族を訪れたことが彼を人類学へと向かわせた。帰国後,ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでB.マリノフスキーの指導のもとに人類学を学び,39年,ビルマ(現ミャンマー)の調査に向かった。折しも第2次世界大戦が勃発し,現地で士官として従軍した。その間作成したフィールド・ノートを日本軍に奪われるなど,調査は通常の形を取りえなかったが,戦後,高地ビルマの社会組織に関する論文を著し,54年にそれを書き改め,《高地ビルマの政治体系》として公刊した。ロンドン・スクールで人類学を講じた後,53年にケンブリッジ大学に講師として移り,66年には同大学,キングズ・カレッジの学長,72年には教授の地位を得,79年に引退した。彼の著作は,前述のビルマやスリランカに関するもの,また61年に行った挑戦的な講演《人類学再考》を標題とする論文集など,どれもつねに旧来の人類学に対する論争的性格をもっている。イギリスでは人類学者としてと同時に,社会・文明批評家としても知られ,67年にBBCのラジオ放送で行った現代の科学や家族に関する一連の講演は,彼自身伝統的カレッジの学長でかつ徹底した無神論者であることとあいまって一躍彼の名を広めた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リーチ」の意味・わかりやすい解説

リーチ
Leach, Bernard (Howell)

[生]1887.1.5. ホンコン
[没]1979.5.7. セントアイブス
イギリスの陶芸家。幼年時代日本で過ごし,銅版画を志してロンドンの美術学校に学んだ。在学中 L.ハーンを愛読して日本に憧れ,1909年再来日。東京上野で銅版画の学校を開いたが,柳宗悦富本憲吉らを知って陶芸に興味をもち,宮川香山,6世尾形乾山について陶技を学んだ。 1917~19年千葉県我孫子で乾山の本窯を譲り受けて製陶。 1920年に浜田庄司を伴って帰国し,イングランド南西部の漁村セントアイブズに日本式の登り窯を築く。 1936年ダーティントンホールに移り,そこを本拠として作陶と後進の指導にあたる。またヨーロッパやアメリカでも指導し,欧米の工芸家たちの活動を助成して工芸隆盛に重要な役割を果たした。第2次世界大戦後もたびたび来日,通算 21回に及び,民芸窯で制作しては個展を開いた。日本,朝鮮の陶芸にイギリス陶芸の伝統を合わせた独自の民芸調陶器を制作し,日本の民芸運動にも貢献した。 1966年,勲二等瑞宝章を受章。主著に『陶工の書』A Potter's Book (1940) がある。

リーチ
Leach, Edmund Ronald

[生]1910.11.11. シドマウス
[没]1989.1.6.
イギリスの社会人類学者。ケンブリッジ大学教授 (1972) 。台湾,クルディスターン,ビルマ,ボルネオ,スリランカ各地で調査。鋭い理論批判を展開し,イギリス社会人類学会の中心的な存在として活躍した。主著『ビルマ高地の政治体系』 Political Systems of Highland Burma (54) ,『人類学再考』 Rethinking Anthropology (61) ,『神話としての創世記』 Genesis as Myth and Other Essays (69) ,『文化とコミュニケーション』 Culture and Communication (76) ,『社会人類学案内』 Social Anthropology (82) 。

リーチ
Leech, John

[生]1817.8.29. ロンドン
[没]1864.10.29. ロンドン
イギリスの風刺漫画家。初め医学を学んだが美術に転向,エッチング,木版,銅版によって上品でユーモラスな作品を数多く制作した。 1841年以来死ぬまで,イギリスの風刺雑誌『パンチ』誌に多くの社会的,時事的漫画を発表。主要作品は『アイルランド小旅行』 (1859) 。

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百科事典マイペディア 「リーチ」の意味・わかりやすい解説

リーチ

英国の陶芸家。ホンコンに生まれ,幼時を京都で過ごし,のちロンドン美術学校に学ぶ。1909年銅版画家として来日,《白樺》の同人と交友。楽焼に興味をもち,富本憲吉とともに6世乾山に学ぶ。のち千葉県我孫子(あびこ)に築窯して作陶,柳宗悦浜田庄司らと交友し民芸運動に協力。1920年に帰英し,各地で個展を開き陶芸家としての声価を高めた。
→関連項目河井寛次郎

リーチ

英国の社会人類学者。ラドクリフ・ブラウン流の機能主義が社会を常に均衡のとれた統合体としてモデル化したのとは異なり,《高地ビルマの政治体系》で矛盾への契機を含んだ動態的システムとして社会を描き,高い評価を受けた。また,レビ・ストロースに代表される構造主義の方法論に依り,儀礼,時間と空間,神話,親族関係等を素材に,人間の観念の構造を分析した。主著は他に《人類学再考》《神話としての創世記》《レビ・ストロース》《文化とコミュニケーション》《社会人類学案内》《聖書の構造分析》。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「リーチ」の解説

リーチ Leach, Bernard Howell

1887-1979 イギリスの陶芸家。
1887年1月5日香港生まれ。明治42年(1909)来日し,「白樺」の同人に銅版画をおしえる。浦野乾哉(けんや)に師事して陶芸をはじめ,富本憲吉,柳宗悦(むねよし),浜田庄司らと交遊,民芸運動に協力した。大正9年帰国し,セント-アイブズに窯をきずいて東西両洋の陶技を融合した作品を発表。以後も来日をかさねた。1979年5月6日死去。92歳。ロンドン美術学校中退。著作に「陶工の本」など。

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デジタル大辞泉プラス 「リーチ」の解説

リーチ

ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社が販売するオーラルケア用品のブランド名ならびに商品名。「奥歯集中ケア」「歯間も徹底ケア」「歯周病対策アルファ」などがある。同社の登録商標。

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ブランド用語集 「リーチ」の解説

リーチ

リーチとは媒体の到達度のことをいう。対象者に占める媒体への接触者の割合で表す。媒体が放送の場合には視聴率ともいう。

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とっさの日本語便利帳 「リーチ」の解説

リーチ

腕の長さ。パンチの届く範囲になるため、作戦上、重要になる。

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世界大百科事典(旧版)内のリーチの言及

【ボクシング】より

…ウサギを殺すのに,この部分を打つことが語源。 リーチこぶしの届く範囲。つまり腕の長さに相当する。…

【儀礼】より

… ターナーVictor Turnerは,彼の調査したあるアフリカ社会では,たとえば儀礼の中に用いられる白・赤・黒の3色が,それぞれに精液・血・排泄物と関係し,生命・力・死を表現していることを明らかにするとともに,さらにそれら3色が単に一つずつの意味を持つのではなく,赤・白,白・黒といった対比において,それぞれの色は多義的な意味合いを持つことを論証した。リーチEdmund Leachも力点の違いこそあれ同様に,個々の社会によって色の分類とその意味体系は異なり,ある色の示す意味はそれと対比されている色との関係で,またその色の用いられる文脈との関係で決まることを主張した。 この色の分類に関する分析は単なる一例にすぎないが,ここに見られる構造主義的記号論の考えは,同じくシンボリズム研究を行ったレビ・ストロースの神話研究にも顕著である。…

【儀礼】より

… ターナーVictor Turnerは,彼の調査したあるアフリカ社会では,たとえば儀礼の中に用いられる白・赤・黒の3色が,それぞれに精液・血・排泄物と関係し,生命・力・死を表現していることを明らかにするとともに,さらにそれら3色が単に一つずつの意味を持つのではなく,赤・白,白・黒といった対比において,それぞれの色は多義的な意味合いを持つことを論証した。リーチEdmund Leachも力点の違いこそあれ同様に,個々の社会によって色の分類とその意味体系は異なり,ある色の示す意味はそれと対比されている色との関係で,またその色の用いられる文脈との関係で決まることを主張した。 この色の分類に関する分析は単なる一例にすぎないが,ここに見られる構造主義的記号論の考えは,同じくシンボリズム研究を行ったレビ・ストロースの神話研究にも顕著である。…

※「リーチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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