デジタル大辞泉 「リーチ」の意味・読み・例文・類語
リーチ(reach)
2 ボクシングで、腕を伸ばして届く距離・範囲。
3 ホッケーで、選手がスティックを前後左右に伸ばしたときのプレーできる範囲。
4 テレビやインターネット上の広告が、訴求対象となる人々の目にとまること。→リーチ率 →リーチ数
イギリスの社会人類学者。ケンブリッジ大学で工学を専攻し、中国などで数年過ごし、その後ロンドン大学でマリノフスキーに師事して人類学を学んだ。ラドクリフ・ブラウン流の構造機能主義が主流となっていたイギリス人類学のなかで、彼は理論と民族誌の根源に帰って「人類学の再考」を行い、現代社会人類学の全領域にわたり、つねに知的挑戦に満ちた問題提起を続けた。
名著とされる『高地ビルマの政治体系』(1954)では、高地ビルマ諸社会を、(1)専制的・階層的なシャン国家型、(2)カチンの無階層的なグムラオ型、(3)両型の中間のグムサ型、と分類する。そして(3)が(1)や(2)に変化する原動力は、個々人が地位と力で競い合って生じる社会経済変化によると説いた。また『プル・エリヤ――セイロンの村』(1961)では、所有継承関係を規定しているのは、フォーテスの説くような出自関係によるのではなく、生態環境(地縁関係)であると主張した。また儀礼の考察などを通じて、レビ・ストロースの構造人類学の立場に近づいていった。『人類学再考』(1961)、『神話としての創世記』(1969)、『文化とコミュニケーション』(1976)、『社会人類学』(1982)などの著書がある。
[宮坂敬造 2019年1月21日]
『青木保・井上兼行訳『人類学再考』(1974/新装版・1990・思索社)』▽『江河徹訳『神話としての創世記』(1980・紀伊國屋書店/ちくま学芸文庫)』▽『青木保・宮坂敬造訳『文化とコミュニケーション――構造人類学入門』(1981・紀伊國屋書店)』▽『長島信弘訳『社会人類学案内』(1985・岩波書店)』
イギリスの陶芸家。香港(ホンコン)に生まれる。父は弁護士。1906年ロンドン美術学校に入学しエッチングを学ぶ。09年(明治42)来日。上野桜木町に住み、白樺(しらかば)派同人に銅版画を教えたのを機に富本憲吉との交流が始まる。ついで柳宗悦(むねよし)、浜田庄司(しょうじ)、河井寛次郎ら民芸運動の指導者とも親交を結び、6代目乾山(けんざん)に入門して楽焼(らくやき)を習得。20年(大正9)浜田を伴い帰国、セント・アイビスに築窯して作陶生活に入る。第二次世界大戦後もたびたび来日して展観や講演活動を続け、国際文化交流に貢献、64年(昭和39)勲二等瑞宝(ずいほう)章を受章した。李朝(りちょう)陶磁や日本の民芸陶磁を原点とした東洋陶磁の特質にイギリスの伝統陶技を盛り込み、独自の作風を展開した。セント・アイビスに没。著書『陶工の本』が知られている。
[矢部良明]
『石川欣一訳『陶工の本』(1955・中央公論美術出版)』▽『C・W・ニコル著、松田銑訳『バーナード・リーチの日時計』(1982・角川書店)』
イギリスの陶芸家。父は弁護士,ホンコンに生まれ,3歳まで京都や彦根に住む。1897年イギリスに帰り,ロンドン美術学校に学ぶ。1909年来日,東京,上野桜木町に住み,武者小路実篤,柳宗悦ら《白樺》の同人に銅版画を教えたことから彼らとの交友が始まった。12年,ある茶会で楽焼に絵付したことが契機となって富本憲吉とともに六代目尾形乾山に入門,16年,師の本窯を譲り受けて千葉県我孫子(あびこ)の柳邸内に築窯,将来陶芸家となることを志し,作陶に専念。20年浜田庄司を伴って帰国し,翌年マージョリ・ホーン夫人の援助でコーンウォールのセント・アイブズに築窯。本格的作家生活に入る。翌年ロンドンの工芸家ギルドでイギリスでの初の個展を開催。その後ホーン夫人から独立,〈リーチ・ポタリー〉を設立し,毎年ロンドンで個展を開くことによって彼の作品はしだいに愛好家や批評家の注目するところとなった。しかし,彼が陶芸家として世間に知られるようになったのは第2次大戦後である。ことに戦後しばしば彼は日本で個展を開き,また民芸運動を目ざす柳宗悦や浜田庄司らと伝統的な地方の窯場を旅している。彼の作品は李朝の陶器や日本の民芸陶器を原点として,これにイギリス中世のガレナ釉による水さしや18世紀のスリップウェアの素朴な伝統を蘇生させることによって,失われた焼物の美に新たな生命を吹き込んだのである。彼は作陶のかたわら数多くの著作を残したが,なかでも彼の《APotter's Book(陶工の本)》(1940)は,西洋の陶芸家の聖典として広く読まれている。
→民芸
執筆者:前田 正明
第2次世界大戦後のイギリスを代表する社会人類学者。そのつねに革新的な発想と強い論理力に裏打ちされた主張は,1950年以降のイギリスの人類学会の流れを左右してきた。富裕な家庭に生まれ,ケンブリッジ大学では数学と工学を修めた。卒業後,上海で商業の実務についたが,中国滞在中,台湾のヤミ族を訪れたことが彼を人類学へと向かわせた。帰国後,ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでB.マリノフスキーの指導のもとに人類学を学び,39年,ビルマ(現ミャンマー)の調査に向かった。折しも第2次世界大戦が勃発し,現地で士官として従軍した。その間作成したフィールド・ノートを日本軍に奪われるなど,調査は通常の形を取りえなかったが,戦後,高地ビルマの社会組織に関する論文を著し,54年にそれを書き改め,《高地ビルマの政治体系》として公刊した。ロンドン・スクールで人類学を講じた後,53年にケンブリッジ大学に講師として移り,66年には同大学,キングズ・カレッジの学長,72年には教授の地位を得,79年に引退した。彼の著作は,前述のビルマやスリランカに関するもの,また61年に行った挑戦的な講演《人類学再考》を標題とする論文集など,どれもつねに旧来の人類学に対する論争的性格をもっている。イギリスでは人類学者としてと同時に,社会・文明批評家としても知られ,67年にBBCのラジオ放送で行った現代の科学や家族に関する一連の講演は,彼自身伝統的カレッジの学長でかつ徹底した無神論者であることとあいまって一躍彼の名を広めた。
執筆者:船曳 建夫
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…ウサギを殺すのに,この部分を打つことが語源。 リーチこぶしの届く範囲。つまり腕の長さに相当する。…
… ターナーVictor Turnerは,彼の調査したあるアフリカ社会では,たとえば儀礼の中に用いられる白・赤・黒の3色が,それぞれに精液・血・排泄物と関係し,生命・力・死を表現していることを明らかにするとともに,さらにそれら3色が単に一つずつの意味を持つのではなく,赤・白,白・黒といった対比において,それぞれの色は多義的な意味合いを持つことを論証した。リーチEdmund Leachも力点の違いこそあれ同様に,個々の社会によって色の分類とその意味体系は異なり,ある色の示す意味はそれと対比されている色との関係で,またその色の用いられる文脈との関係で決まることを主張した。 この色の分類に関する分析は単なる一例にすぎないが,ここに見られる構造主義的記号論の考えは,同じくシンボリズム研究を行ったレビ・ストロースの神話研究にも顕著である。…
… ターナーVictor Turnerは,彼の調査したあるアフリカ社会では,たとえば儀礼の中に用いられる白・赤・黒の3色が,それぞれに精液・血・排泄物と関係し,生命・力・死を表現していることを明らかにするとともに,さらにそれら3色が単に一つずつの意味を持つのではなく,赤・白,白・黒といった対比において,それぞれの色は多義的な意味合いを持つことを論証した。リーチEdmund Leachも力点の違いこそあれ同様に,個々の社会によって色の分類とその意味体系は異なり,ある色の示す意味はそれと対比されている色との関係で,またその色の用いられる文脈との関係で決まることを主張した。 この色の分類に関する分析は単なる一例にすぎないが,ここに見られる構造主義的記号論の考えは,同じくシンボリズム研究を行ったレビ・ストロースの神話研究にも顕著である。…
※「リーチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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