道徳的正邪、善悪、有徳、悪徳などの判定の能力として人間に備わると考えられる感覚をいう。とくに18世紀前半のイギリスでシャフツベリ伯、ハチソン、バトラーらの道徳感覚学派とよばれる一群の道徳思想家はその存在を主張した。ヒューム、A・スミスなどにも同種の傾向を認めるときがある。歴史的背景としては、個人の内面の光や良心を伝統的権威よりも重んじたプロテスタンティズムなども考えられるが、とくに17~18世紀以降では宗教的背景を離れて人間本性に根ざす道徳感覚が重視された。たとえば、シャフツベリは、他人の幸福を願う自然の愛情としての「仁愛(じんあい)」の源泉である道徳感覚の存在を主張し、これを「正邪の感覚」とよんだ。ハチソンはこの見解を心理的解釈のもとに組織化し、バトラーは「自愛」以外の道徳感覚として「良心」の存在を説く。ヒュームの、愛憎の変形としての道徳感情や共感も類似の系統にたつ。
[杖下隆英]
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