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道首名 みちのおびとな

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

道首名
みちのおびとな

[生]天智2(663).近江
[没]養老2(718).4.11. 筑後
奈良時代前期の廷臣。儒学にすぐれ『大宝律令』の撰修に参加。和銅4 (711) 年従五位下,翌年には遣新羅大使に任命された。同6年筑後守,次いで,肥後守となり,池溝を開き,農事を奨励し,国守としての治績をあげた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

道首名 みちの-おびとな

663-718 奈良時代の官吏。
天智(てんじ)天皇2年生まれ。「大宝律令」制定にくわわる。和銅5年(712)遣新羅(しらぎ)大使,翌年筑後守(ちくごのかみ)となり,肥後(熊本県)も兼治。肥後味生(あじう)池をつくるなど善政をしき,死後神としてまつられたという。養老2年4月死去。56歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

道首名

没年:養老2(718)
生年:天智2(663)
官人,学者。大宝律令の制定に参加し,その功により褒賞を受けた。和銅5(712)年には遣新羅大使に任じられ,翌年帰国。北陸の地方豪族の家系から出て,当代の知識人となった人物といえる。6年,筑後守となって肥後国(熊本県)を併せ治めた際,人民に教えて生業に励むようにさせ,また管内に池を造って灌漑をはかるなど,地方政治に力をそそぎ,人民からも慕われた。死後は神として祭られたという。『懐風藻』に詩1首が残る。正五位下,筑後守で死去した。

(東野治之)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

みちのおびとな【道首名】

?‐718(養老2)
奈良時代初め,古代律令制成立期の貴族,実務官僚。700年(文武4)大宝律令選定の功によって賜禄増位され,701年(大宝1)大安寺に僧尼令を説くなど律令の普及に努めた。712年(和銅5)遣新羅大使,帰朝後は筑後守と肥後守を兼ねた。時に従五位下。当時の国司として良吏の典型的人物とされ,任国で人に生業を勧め,制条を作り耕営を教えるなど,農業生産の拡充に力を入れ,死後百姓はこれをまつったという。平安時代にもその治績が回顧されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

道首名
みちのおびとな
(663―718)

奈良初期を代表する地方長官。君(きみ)姓をもち、若くから律令(りつりょう)を身につけ、吏務に通暁した能吏であったが、711年(和銅4)4月に貴族官僚の末席に列し、翌年9月に遣新羅(しらぎ)使に任ぜられ、713年8月に帰国した。同月筑後守(ちくごのかみ)となり、肥後守を兼ねたが、律令制初期の典型的な良吏であり、718年(養老2)4月、正五位下筑後守で没した。彼の厳しい法令主義に不満を抱いた農民たちも、やがてその農業振興の成果に感服し、没後に彼を祀(まつ)ったという。[野村忠夫]

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世界大百科事典内の道首名の言及

【筑後国】より

…7世紀後半の百済の役には多くの人々が動員されたらしく,唐の捕虜となった上陽咩(かみつやめ)(八女)郡人の大伴部博麻は690年に約30年ぶりに帰国している。8世紀初頭の筑後守道首名(みちのおびとな)は大宝律令の編纂にも参画した学者で,肥後守を兼任して農事奨励や池溝開鑿など民政に治績をあげ,任地で没したが,当代を代表する能吏の一人に数えられる。また738年(天平10)の財政報告書である当国の正税帳が正倉院に現存する。…

【肥後国】より

…《延喜式》には府官内の他国が正税公廨各20万束程度であることに比して,正税公廨各40万束とあり,また国分寺料4万7000余束,府官公廨35万束,救急料12万束,俘囚料17万余束などをはじめ計118万束弱があり,さらに肥後から年に穀2000石を対馬に送り,島司や防人(さきもり)の粮米にしている。このような農業生産や殖産振興に努めた話として,肥後国守として史料初見の道首名(みちのおびとな)の善政の記事が《続日本紀》に見られる。首名は和銅年間(708‐715)に筑後守と肥後守を兼任するや,制条を定めて耕営の法を教え,菓菜を植えることから雞や豚の飼育に至るまで細かく規定し守らせた。…

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