日本大百科全書(ニッポニカ) 「選民思想」の意味・わかりやすい解説
選民思想
せんみんしそう
自分たちは神によって選ばれた特別な民族・人種である、という信仰、確信。このもっとも代表的なものがユダヤ教における選民思想である。ここでは、現在、抑圧されて不幸な状態にあるユダヤ民族が神の召命によって解放され、やがて正義と仁慈に満ちた世界を実現する民族的使命をもつもの、として描かれていた。そしてこの信仰が、2000年もの間、国を失い世界に四散していたユダヤ民族の結束を保ってきたのである。こうした選民思想は、キリスト教の終末論にも受け継がれ、ピューリタン革命期には、ピューリタンたちは、革命に参加し邪悪な絶対君主を打倒することが、神に選ばれた者の証(あかし)であると考えて革命推進の原動力となったし、また革命派中のセクト、第五王国派の至福千年説なども選民思想の典型といえよう。そして、この選民思想は、近代に入ると、民族的な優越意識としてナショナリズムと結び付いた形で現れる。たとえば、ヘーゲルの歴史哲学では、ドイツ民族が、神の世界計画や世界精神の体現者として、フランス革命後の近代世界を先導する者として位置づけられているのがその典型である。また中国に古くからある世界の華(はな)つまり「中華」という選民思想は、19世紀中葉以降における西欧の思想・制度の中国への導入を妨げ、中国の近代化を後らせる要因となった。帝国主義華やかなりし時代に、キリスト教徒たる白人は野蛮・未開の植民地人を文明化させる使命がある、として唱えられた「白人の責務」という思想も選民思想の一種である。
この選民思想は、20世紀に入って、とくに第一次世界大戦後のイタリア、ドイツ、日本における経済的・政治的危機状況のなかで、ナショナリズムと結び付いたファシズム運動となり、再度、悲惨な世界戦争を引き起こす誘因となった。イタリアでは、ムッソリーニが、民族とは生成・発展する「精神の力」であり、国家は民族が政治形態において具現化されたもの、と述べ、古い民族国家は指導者階級が「上から」つくった国家であるが、ファシズム国家は「下から」形成された新しいタイプの国家であるとして、イタリア民族の世界史における使命感を鼓舞したのであった。ドイツでは、1870年代以降、ゴビノーの『人種不平等論』(1853~55)やH・S・チェンバレンの『19世紀の基礎』(1899~1901)などの人種理論を根拠に、アーリア人種の優越性と「血の純潔」の思想が強調されてきた。ここでは、民族は生活の基礎としての耕すべき土地をもたなければならないから、土地を離れたユダヤ人は名誉を知らない民族である、とされた。そして第一次大戦後のナチズム運動のなかで、「血と大地」「ゲルマン民族の優越性」「反ユダヤ主義」がますます高唱され、『世界に冠たるドイツ』という国歌の下に、ドイツ民族の統一を図り、ドイツ人による世界支配を正当化する思想が内外に喧伝(けんでん)された。日本の場合には、日本民族は万世一系、神聖不可侵の天皇をいただく天孫民族であり、日本は「神国」であるとして、とくに「十五年戦争」時代に入ると、天孫民族による世界支配すなわち「八紘一宇(はっこういちう)」の思想によって「大東亜共栄圏」の実現という名目で日本のアジア侵略が正当化された。
第二次大戦後のアメリカによる自由社会を守るという思想や行動は、イデオロギーと結び付いた選民思想の変種といえるし、また中東にみられる宗教的対立による紛争も選民思想を根底にしている場合が多い。
[田中 浩]