改訂新版 世界大百科事典 「原始キリスト教」の意味・わかりやすい解説
原始キリスト教 (げんしキリストきょう)
Urchristentum[ドイツ]
原始キリスト教とは,最初期のキリスト教のことである。しかし,この時期にすでにキリスト教にはかなりの多様性があるので,その内容については,これに後続する時期のキリスト教,すなわち初期カトリシズムの特徴から否定的に定義せざるをえない。ところで,初期カトリシズムの特徴は,自己の属する〈教会の時〉から〈使徒たちの時〉を明確に区別し,教会を統べる単独の監督(司教)を〈使徒伝承〉の正当な継承者とみなし,この伝承を一つの〈信条〉(〈使徒信条〉の原型としての〈古ローマ信条〉)に定型化し,信条を基準にして聖書の〈正典〉を結集しはじめ,監督と信条と正典を認めないキリスト教諸派(とくにグノーシス主義)を〈異端〉として正統教会あるいは〈普遍的教会〉(ギリシア語で〈カトリケ・エクレシアkatholikē ekklēsia〉)から排斥することにある。これらの特徴の若干はすでに原始キリスト教後期にも認められるが,そのすべてが出そろうのは後2世紀の中ごろからである。したがって,原始キリスト教の下限は2世紀前半ということになる。その上限は,イエスをキリストと信ずる信徒たちを成員とする共同体が成立した時期であるが,これが〈教会〉という形をとるのはイエスの死後,後30年代に当たる。
原始教会の成立
最初の教会(いわゆる〈原始教会〉)は,《使徒行伝》の著者ルカによれば,聖霊の降臨にあずかった十二使徒を中心としてエルサレムに成立し,ペテロに代表される彼らの宣教内容はイエス・キリストの復活にあった。キリスト信仰の成立に,かつてのイエスの弟子たちの有した,復活のイエスの顕現体験に基づく復活信仰が大きな役割を果たしたことは事実である。また,このような信仰を共有する共同体の一つがエルサレムに誕生し,このエルサレム原始教会がエーゲ海周縁地域に成立していった他の原始諸教会に対し,ローマ軍によるエルサレム神殿の破壊(70)に至るまで,一定の影響を与えたことも事実である。しかし,〈十二使徒〉はルカまたはルカ時代(80年代~90年代)のキリスト教の理念であって,史的存在ではない。またルカによれば,原始教会がまずエルサレムに成立し,ここから,エルサレム教会に対するユダヤ教徒の迫害を契機に,その際律法と神殿に対する批判のゆえに殉教したステパノのグループ(いわゆる〈ヘレニスタイ〉)に担われて,福音がサマリア,シリアへと宣教されていき,それにまずペテロが,次いでパウロが加わって,福音はエーゲ海周縁諸都市から遂にはローマにまで達した(60ころ)といわれる。このような福音宣教の経過は,大筋において史実に合致するが,エルサレムからローマへというキリスト教の直線的展開の描写には,〈エルサレム中心主義〉に傾くルカの傾向が強く出ていて,必ずしも史実と一致しない。エルサレム以外の地,たとえばガリラヤの周辺にもキリスト教共同体が成立していたこと,またパウロとは独立にエルサレムからユダヤ主義に傾くキリスト者がガラテヤ,ピリピ(フィリッピ),コリント(コリントス)の諸教会に〈異なる福音〉をもたらし来たこと,またイエスの言葉伝承を担った人々がパレスティナからシリアに入り,その一部が共同体(いわゆる〈Q教団〉)を形成したことなどが,パウロの手紙や福音書から想定できるし,ローマのみならずアレクサンドリアにもペテロやパウロとは独立に教会が設立されていることも,《使徒行伝》から推定できる。
原始教会の信仰内容は,パウロの手紙や福音書に前提されている諸伝承から,次の二つに大別できる。(1)ケリュグマ伝承。これは,主としてパウロの手紙に前提され,〈神がイエスを死人の中からよみがえらせた〉〈イエスは主である〉という信仰告白(《ローマ人への手紙》10:9)に基づき,キリストの福音を宣教(ギリシア語で〈ケリュグマkērygma〉)する目的で形成された伝承で,これには,(a)キリストの死を人間の罪のゆるしとみなし,その死と復活を旧約聖書における預言の成就として解釈するユダヤ型の伝承(《コリント人への第1の手紙》15:3~4)と,(b)キリストの死を,神とともにあった〈神の子〉の,神に対する従順のきわみとみなし,それゆえにキリストは神により〈主〉として天に挙げられたというヘレニズム型の伝承(《ピリピ人への手紙》2:6~11)に分けられる。(2)イエス伝承。これは(a)イエスの業(わざ)(主として奇跡行為)と,(b)言葉に関する伝承であり,(a)はしだいに(b)の中にとり入れられ,終末論的に解釈されていく。(b)の伝承者の一部は,(1)の(b)の要素をも採用し,一つの教団(〈Q教団〉)を形成するが,他の一部はカリスマ的巡回宣教者として活動した。いずれにしても彼らにおいて,復活し天に挙げられた〈人の子〉または〈栄光の主〉とともに生きることが強調され,(1)の(a)の伝承者の贖罪信仰は後景に退く。
パウロ
ユダヤ教徒として律法に対する熱心のあまり,キリスト教を迫害さえしたパウロは,〈イエス・キリストの啓示によって〉(《ガラテヤ人への手紙》1:12)キリスト教に回心し(34ころ),3回の伝道旅行によりエーゲ海周縁諸都市に教会を設立し,遂にはローマにまで至った。第一伝道旅行の後(これをその前とみなす学者たちもある),彼はアンティオキアからエルサレムに上り,同地の教会の〈おもだった人たち〉(イエスの弟ヤコブ,ペテロ,ヨハネ)と会談し(いわゆる〈エルサレム使徒会議〉,48ころ),割礼を前提することなしに異邦人に福音を宣教する承認を得た(《ガラテヤ人への手紙》2:1~10,《使徒行伝》15:1~35)。にもかかわらず律法の順守を救済の条件とするユダヤ人キリスト者に対し,パウロは上記(1)の伝承に拠りつつ,信仰によってのみ義とされるといういわゆる〈信仰義認論〉を展開したが,この世にあって義とされ救われた存在を持続する手段として律法の有効性を認めた(《ローマ人への手紙》3:21~31)。他方彼は,〈栄光のキリスト〉にあって生きることにより,すでに終末が実現されたとみなして熱狂主義と放埒主義に陥った異邦人キリスト者の一部に対しては,キリストの十字架を身に引き受けることと終末の将来性とを強調した(《コリント人への第1の手紙》)。こうしてパウロは,教会内におけるあらゆる差別をキリスト信仰のゆえに排棄したが(《ガラテヤ人への手紙》3:28,《コリント人への第1の手紙》12:12~13),生前のイエスの生には信仰に対する有効性を認めず(《コリント人への第2の手紙》5:16),社会的・政治的には現状の是認に傾いている(《コリント人への第1の手紙》7:17~24,《ローマ人への手紙》13:1~7)。
パウロ以後の原始キリスト教
エルサレムのユダヤ人教会は,その指導者ヤコブの殉教(60あるいは62)以後,とりわけ第1次ユダヤ戦争(66-73)を避けてヨルダン川東方のペラに移住して以来,キリスト教に対する影響力を失い,みずからセクト化して,2~3世紀にはユダヤ主義的〈異端〉(いわゆる〈エビオン派〉)になり下がった。これに対して,異邦人キリスト者がローマを中心としてしだいに〈正統〉教会を形成していくことになるが,その歴史的過程を復元することは,資料不足のために困難である。ただしその信仰内容は,この時期に成立した,福音書をはじめとする,真正なパウロ書簡以外の新約聖書諸文書や使徒教父文書によって立証されている。
まずマルコは,受難・復活に至るイエスの生涯を上記(2)の伝承の編集によって復元し,(1)の伝承の宣教内容(福音)に史的状況をとり戻して,ガリラヤの民衆の位置に立ったイエスとの生を示唆することを目的として福音書を創出した。マタイの場合は,《マルコによる福音書》と(2)の伝承,とりわけQ資料(マタイとルカが,《マルコによる福音書》以外に共通の資料としたと考えられている,主としてイエスの言葉から成る仮説的な資料のこと。Qとはドイツ語Quelle(資料)の頭文字をとったもの)および特殊資料(各個福音書にのみ見いだされる特殊な資料)に拠り,彼独自の福音書を編集して,イエスの教えを旧約の律法の完成とみなす立場を打ち出した。これに対してルカは,マタイと同様《マルコによる福音書》とQ資料および特殊資料に拠りながらも,神による救済の歴史の中心に〈時の中心〉としてキリストを据え,〈十二使徒〉によって担われたエルサレム原始教会の中に〈真のイスラエル〉の完成を見いだし,〈時の中心〉から〈原始教会の歴史〉を質的に区別して,福音書と《使徒行伝》を著した。こうして,ルカは初期カトリシズムの立場に一歩近づく。他方ヨハネの場合は,地上のイエスを,十字架を通して天に挙げられた〈人の子〉または〈栄光のキリスト〉の〈しるし〉として描き出しており,このキリストに従う人々(〈光の子〉)とこの世に属する人々(〈闇の子〉)を二元的に峻別する立場は,終末の現在性の強調とともに,新約聖書の中では,ルカとは逆に,グノーシス主義に近づいている。ただしヨハネは,みずからの聖霊体験に基づく復活信仰に拠り,福音書の中にイエスの生を同時代史的に描くことにより,この意味におけるキリスト論を人間理解の本質的前提としている限りにおいて,グノーシス主義そのものとは本質的に区別されている。
→福音書
ところでパウロの立場は,《第2パウロ書簡》(《コロサイ人への手紙》と《エペソ人への手紙》)や《牧会書簡》(《テモテへの手紙》と《テトスへの手紙》)の著者たちによって継承されるが,とくに《牧会書簡》においてはパウロ的伝統が〈健全な教え〉として特徴づけられ,これを担う監督(司教)と執事(助祭)に期待される徳目が,偽りの教えを説く者の不品行と対置されている。使徒的伝承を委託された教会の伝統,これを排他的に担う教職位階性(監督=司教→長老=司祭→執事=助祭),これらを認めずにキリストを介して神との直接性を主張するグノーシス的〈異端〉の排除,--要するに初期カトリシズムの特徴は,《ヨハネの手紙》《クレメンスの手紙》《イグナティオスの手紙》などにしだいに散見されるようになってくる。他方,ローマ帝国によるキリスト教徒迫害が,この時期から地域的(とくに小アジア)に強化され,これに対して《ヨハネの黙示録》は皇帝を象徴的に悪魔化し,帝国の滅亡が近いことを予告して信徒を激励する。《ペテロの第1の手紙》や《クレメンスの第1の手紙》は,迫害に苦しむ信徒たちに対してキリストの苦難を提示し,みずからの苦難に耐えることを勧めるが,ローマの官憲には服従することを要求している。なお,迫害下にある教会は多くの棄教者を出すことにもなるが,《ヘブル人への手紙》は彼らに悔い改めの可能性を否定するのに対して,《ヘルマスの牧者》はこれを肯定し,終末以前の〈今〉の時を悔い改めの最後の機会とみなしている。いずれにしても,とりわけこの《ヘルマスの牧者》から看取されるように,このころになるとキリスト教徒が属する社会層は平均的に中産階級,あるいはそれ以上となっている。信仰よりも行為,具体的には貧者への配慮の業を説く《ヤコブの手紙》も,その例外ではない。
→イエス・キリスト →キリスト教
執筆者:荒井 献
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