那須烏山(市)(読み)なすからすやま

日本大百科全書(ニッポニカ)「那須烏山(市)」の解説

那須烏山(市)
なすからすやま

栃木県中東部に位置する市。2005年(平成17)、那須郡南那須町、烏山町が合併して市制施行、那須烏山市となる。那珂川(なかがわ)が市域の中央部東寄りを北から南へ貫流する。その西岸は河岸段丘と塩那(えんな)丘陵が広がり、那珂川支流の荒(あら)川や、市の南部で荒川に入る江(え)川などが南東流する。東岸は八溝(やみぞ)山系の西斜面にあたる。那珂川西岸の段丘上に烏山市街、荒川西岸の段丘上に南那須市街がある。JR東北本線から分岐するJR烏山線(からすやません)が南部を通り、終点の烏山駅に向かう。那珂川沿いを国道294号が走り、北端部を293号が横切る。那珂川西岸に古墳時代末期の大桶古墳群(おおけこふんぐん)、荒川流域に千人塚古墳群(せんにんづかこふんぐん)などが分布する。鴻野山(こうのやま)地区の長者ヶ平(ちょうじゃがだいら)には源頼義・義家父子の奥州征伐にかかわる長者屋敷焼討伝説が残る。近年の発掘調査で、長者ヶ平遺跡から大規模な建物群が発見され、古代の那須郡衙にかかわる施設、東山道の駅家跡などと推定する説が発表されている。中世は那須氏の一族の勢力下にあった。1186年(文治2)那須(森田)光隆が森田(もりた)に城を築き、以後那須氏一族が森田城主であったという。江戸時代、森田町は烏山城下と奥州道中喜連川(きつれがわ)宿(さくら市)を結ぶ街道沿いの要衝を占め、旗本大田原氏の陣屋町(陣屋は隣村だった小(おばな)に所在)として発展。烏山城は1418年(応永25)に那須資重の築城と伝える。江戸時代、烏山町は烏山藩の城下町として整備され、現在の烏山市街一帯は南北に走る関街道(奥州道中の脇往還)と、那珂川沿いに設けられた河岸場が交わる水陸交通の要衝として発展、那須郡南部の物資集散地として賑わった。

 現在の基幹産業は農林業で、那珂川、荒川、江川流域の平野部での米作、ナシ、ウメなどの果樹栽培や畜産、スギ、ヒノキなどの八溝材の生産、シイタケやワサビ栽培などが盛ん。特産の伝統和紙(烏山和紙)は著名。昭和50年代以降、富士見台工業団地や烏山東工業団地には機械、電気工業等の企業が進出。那珂川県立自然公園、八溝県民休養公園があり、恵まれた自然を生かして観光客の誘致にも力を入れている。烏山市街の八雲神社の祭礼では、氏子がヤマを作って芸能を奉納する烏山の山あげ祭(国指定重要無形民俗文化財)が行われ、2016年にユネスコの無形文化遺産に記載された。三箇(さんが)地区の松原(しょうげん)寺では、出羽三山に奥参りした地区の行人が豊作を祈願する塙(はなわ)の天祭(国選択無形民俗文化財)が行われる。

 面積174.35平方キロメートル、人口2万4875(2020)。

[編集部]


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