郵便物を差し出すために設置された容器。ポストの名で親しまれているが、郵便法で定められた正式名称は「郵便差出箱」という。
[小林正義]
日本で郵便が創業された1871年(明治4)には、書状集箱(あつめばこ)、集信(しゅうしん)箱という名称で、東京、京都、大阪の3都と、東海道筋の宿場に設置された。郵便局やポストを設置したこと、郵便切手を使用したことなどが、従来の飛脚制度と近代的な郵便制度が異なる点であり、新式郵便と称された理由の一端がある。翌1872年には、木製黒色(チャン塗り)の四角い柱形のポストがつくられ、この形のものが、明治時代のポストの座を占めることになった。郵便創業当時の著名なエピソードに、ポストをトイレと間違えたという話がある。それはこの形のポストで、当時はポストの正面に「郵便箱」と表示されていたが、それを「垂便箱」と読んだのが原因であった。
1901年(明治34)には、鉄製で円筒形の赤いポストの試用が始まったが、これを試作したのは民間の俵谷高七(たわらやたかしち)(1854―1912)、中村幸治である。このテストを踏まえ、1908年10月の公達第808号によって、ポストは鉄製で円筒形、色は赤と定められた。同じく鉄製の掛形式の掛函(かけばこ)も、このとき定められている。のちの鉄製で円筒形のポストと違うところは、郵便物の差出口が回転盤となっており、この回転盤を回すと、差出口が現れる構造であった。
1929年(昭和4)4月に航空郵便の取扱いが開始され、このときに一般のポストより胴が細めの空色のポストが登場した。航空郵便専用郵便柱函(ちゅうかん)とよばれるもので、青色の速達専用ポストのいわば先駆けとなったものである。なお、掛函式のポストに対し、柱形のポストは「柱函」とよばれていた。
ポストの正式名称が郵便差出箱となったのは1949年(昭和24)で、ナンバーをつけてその種類が区別されるようになった。以前は、路上に設置する郵便柱函(現在の柱形)と、壁面などに掛けて設置する郵便掛函(現在の箱形)に2分類されていた。1871年(明治4)の郵便創業時の白木造りのポストは、この掛函の祖形と考えられる。1883年には、掛函の色が、草色となったこともあった。
1908年(明治41)に、円筒形の赤い鉄製のポストの仕様が定められたが、当時は、まだ黒い木製のポストが多かった。1937年(昭和12)ごろになると、戦時体制が強化され、武器、弾丸などをつくるため、鉄製ポストが供出された。そのため、コンクリートや陶器製の「国策ポスト」とよばれるものが登場し始め、掛函も木製となった。円筒形の赤い鉄製ポストが、新しい装いのもとに復活したのは、第二次世界大戦後の1950年である。
[小林正義]
昭和30年代の高度経済成長とともに、郵便の利用が急上昇し始めたため、ポストは改善され、また新種のポストも次々と出現した。特徴としては、ポストが角型化する点にあった。1951年(昭和26)には、道路事情等にあわせて、従来型円筒の鉄製ポストが改善され、胴の上部と下部が自由に動き、差出口と取出口の位置が変えられるものとして再登場した。これは1号ポストとよばれた。同年には、容量の大きい角型の3号ポストも初登場した。また壁面などにかける箱形のポストは2号ポストとよばれた。1959年に、配達する郵便物を事前に運び、保管しておく格納庫を備えた前送保管箱つきポスト(6号ポスト)と、速達専用の青色のポスト(4号ポスト)が登場した。1960年には箱形で大型(5号ポスト)が登場し、ポストの制式が1号から6号となった。これによって、ポストをナンバーでよぶことが定着した。1962年には、都内あてと他府県あてというように、あて先を分けて差し出してもらう、差出口が二つある方面別ポスト(7号ポスト)が登場した。ポストが大型化し、角型化したのは、内部に取集袋をセットして取集作業を効率化したためである。この7号ポストは、東京、大阪などの大都市に多く建てられたが、翌1963年には、郵便差出しが比較的少ない地域に設置する8号ポストが登場した。
1970年(昭和45)に、角型の1号ポストが登場し、従来からの円筒形のものとともに1号ポストとよばれるものが2種となった。郊外に大型の住宅が建設されるようになると、壁面にかける形では不都合が生じ、路上に設置できる9号ポストが1974年に登場した。1981年9月1日、告示第668号によって、ポストの制式を一括告示し、柱形14種、箱形2種とした。それ以前にも記念ポストが建てられていたが、このとき、通常ポストの上部に、記念等のためにデザインした装飾を設置できることにした。1998年(平成10)12月に、従来の角型ポスト上部の屋根に緩やかなカーブをつけ、角に丸みを感じさせる新式のポスト14種が開発され、これを加えたポストの制式が新しく告示された。翌1999年には、この新しい角型のポストが各地に登場し始めた。なお、全国各地のポストの設置数は、1998年度末で約17万3000本、2018年度末で18万0774本となっている。
ポストの形状、色彩は、各国の風土的な状況などに対応し、青、赤、黄、緑と個性的である。その名称もそれぞれに異なっている。フランスはboîte aux lettres、イギリスはpost boxあるいはletter boxといい、アメリカはmailboxとよぶ。ドイツではBriefkastenといい、中国では郵筒(ユートン)とよんでいる。
[小林正義]
郵便を差し出す容器を一般にポストあるいは郵便ポストと呼んでいるが,郵政省の正式名称は郵便差出箱である。郵便局で設置しているもの(官設)と,郵便利用の多い企業等が郵便局の承認を得て設置しているもの(私設)とがあり,両者を合わせ約16万8000個(1997年3月現在)のポストが日本に設置されている。形の上から分類すると,路上に立つ柱形のものと,壁面に掛ける掛箱形の2種に大別できる。
ポストの歴史は古く,フランスではルイ14世の1653年にパリ市内の要所に設置され,イギリスでは1852年に登場した。日本では郵便創業の1871年に東京,京都,大阪および東海道筋の宿駅ごとに設置されたのが始まりである。今日の日本の郵便が従前の飛脚制度に対して,とくに新式と呼ばれ,近代郵便制度と呼称される理由の一つは,切手を用いることなどと並び,郵便をどこからでも容易に差し出せるようポストを設置したことがあげられる。
創業当時の名称は一定せず,書状集箱,集信箱等と呼称される白木造りのものであった。創業の翌72年には杉の木をくりぬいた黒塗りの角柱のポストが登場した。柱函と以後呼称され,ポストの主要な座を占めた。赤い円筒形で鉄製のポストが全国に出現するのは1908年であるが,これより先1901年から赤いポストは試験的に使用されていた。創業当初のポストは掛箱に近い形式のもので,今日的な掛箱は創業の翌年に登場した。1883年には草色ペンキ塗りの掛箱が設置され,1929年には速達用の青ポストの前身ともいえる空色の航空郵便専用のポストが設置された。第2次大戦後,郵便物数が増加し始めたことに対応し,51年に角形のポストが開発され,郵便物数が急激に増加した昭和30年代後半には集配作業の効率的な処理等の観点から,差出口の二つある,いわゆる方面別ポストが開発された。昭和40年代にはポストは円筒形から角形に変わる一方,郵便物の差出しの多い地域には方面別ポストが立てられた。ポストは,その形状を公示することになっており,1997年3月現在,標準型郵便ポストとして告示されているのは1号から14号までの14種類である。1号には丸いポストとして明治以来親しまれた丸型と,近代的な街の景観との一体感を考慮して1970年に登場した角型のポストがある。2号のみが掛箱式で,他は路上に立てる柱型である。このほか万国郵便連合加入75年記念(東京中央局前),郵便創業100年記念(日本橋局前等),平和記念(広島中央局前)などの記念ポストが全国65ヵ所(1997年3月現在)に設置されている。
執筆者:小林 正義
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