郵便とは、信書および所定の条件を備えた物品をあて先に送達する制度をいう。
[山口 修・小林正義]
そもそも「郵」とは、古代中国において「宿場」のことであった。また宿場を通じて人馬により文書などを継ぎ立てたから「伝達」の意味にも用いられた。さらに宋(そう)代以後になると、公文書を伝達する方法として駅逓(えきてい)と郵逓との区別が設けられた。駅逓はその字のとおり、騎馬によって送達される。郵逓は歩逓ともよばれ、人間の脚によって送達した。そこから「郵」は、人間が歩いて、あるいは走って、文書を伝達するという意味をもつようになる。
日本の江戸時代において、幕府御用の継飛脚(つぎびきゃく)は、ひたすら走って公用文書を送達した。民間で発達した町飛脚は、遠路の場合には馬に乗ったが、ゆっくり歩き、また近距離の場合には人間の脚で送達した。そこから漢学者のなかには、飛脚による送達を「郵便」と表現する者もあった。1871年(明治4)近代郵便の制度が発足するにあたり、立案者である前島密(ひそか)は、こうした沿革を踏まえて「郵便」の語を採用したわけである。当時は交通機関が発達していなかったから、当然のことながら、差し出された文書は人間の脚によって送達され、配達されたのであった。
[山口 修・小林正義]
近代の郵便制度は1840年にまずイギリスで始められた。この制度の根幹は、国家機関が運営(国営)し、同一種類の郵便物は全国を通じて料金を均一にする(均一料金)、また料金は郵便切手をもって収める(料金前納)、というものであった。日本の近代郵便も、このような趣旨を踏まえて発足したのであった。
郵便事業を国営とする理由はいくつかあげられよう。郵便は、信書の送達を業務とするものであり、信書の秘密は利用者の基本的人権を守るためにも、これを確保しなければならない。すなわち郵便事業は、国営によって、その確保を期そうというわけである。次に郵便は、国民の日常生活に欠くことのできない基本的な通信手段であるから、その料金は、できる限り安くしなければならない。営利を目的とする民営をもってしては、この要請に応じることが困難であろう。
また郵便事業のように、広く国民一般が簡便に利用する公共性の高いものは、全国を通じた一つの組織をもって経営することが適当である。これによって全国隅々までサービスをあまねく公平に提供することができる。しかも、経営上の都合によってサービスの提供が停止されるようなことがあってはならない。さらに郵便は、外国とも交換するものであるから、その連絡は、それぞれの政府相互の間で行うことが便宜である。以上のような理由により、郵便事業は各国とも国家機関によって経営されてきた。2003年(平成15)4月1日、郵政事業庁から郵便事業を含む郵政三事業を引き継いで発足した日本郵政公社も、国営の公社であった。その後、郵政民営化により、2007年(平成19)10月1日、日本郵政公社は日本郵政グループへと分社化され、日本における郵便事業は国営というかたちではなくなったが、きわめて公共性の強い特殊な事業であることに変わりはないといえよう。
[山口 修・小林正義]
日本の郵便の基本法である郵便法(昭和22年法律165号)も、郵便事業を経営する原則に関して次のように規定している。すなわち、郵便事業は「郵便の役務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによつて、公共の福祉を増進することを目的とする」(1条)。そして「郵便は、国の行う事業」(2条)であり、国以外の個人や法人が「郵便の業務」あるいは「他人の信書の送達」を業としてはならない(5条)。検閲の禁止と、通信の秘密の確保は、国民の権利として日本国憲法第21条に保障されている。郵便物に関しては郵便法が明白に規定した。すなわち「郵便物の検閲は、これをしてはならない」(8条)、および「郵政事業庁の取扱中に係る信書の秘密は、これを侵してはならない」(9条)ことである。さらに郵便の業務に従事する者は、郵便物に関して知りえた他人の秘密を、在職中も、退職後も、守らなければならないことも規定されている。これらの原則は、日本郵政公社となっても基本は変わらないが、2条、5条、9条が次のように改正された。2条は「郵便の業務は、この法律の定めるところにより、日本郵政公社が行う」となった。5条の「事業の独占」では、公社以外の者は、何人も「郵便の業務」を業としてはならない。ただし、公社が、契約により公社のための業務の一部を行わせることを妨げない。また、「公社(契約により公社のため郵便の業務の一部を行うものを含む。)以外のものは、何人も、他人の信書の送達を業としてはならない」となり、9条の「郵政事業庁」は「公社」となった。その後、2005年10月に成立した郵政民営化法により、日本郵政公社は民営・分社化されることになり、郵便法も次のように改正された。第2条の郵便の実施については「日本郵政公社」から「郵便事業株式会社」に改められた。郵便に関する料金は第67条第1項で「あらかじめ、総務大臣に届け出なければならない」とされ、第一種・第二種郵便物(一般の手紙・葉書)の料金が認可制から事前届出制へ変更された。ゆうパック(一般小包)、EXPACK(エクスパック)500(定型小包)、ポスパケット(簡易小包)、ゆうメール(冊子小包)などの小包は、郵便法の適用外となり、郵便物ではなくなった(小包は貨物自動車運送事業法等の対象となり、料金は事前届出制から事後報告制へ変更)。また、書留、引受時刻証明、配達証明、内容証明、特別送達の提供については義務づけられているが、速達、代金引換、年賀特別郵便の提供は郵便事業会社の任意となった(第44条第1項)。内容証明、特別送達の取扱いについては、信頼性を維持するという観点から、郵便認証司(新設された国家資格。内容証明および特別送達の取扱いに係る認証を行う者であり、認証事務に関し必要な知識および能力を有する者のうちから、それぞれの会社の推薦に基づいて総務大臣が任命)が行うことになった(第48条第2項、第49条第2項、第59条)。
[山口 修・小林正義]
郵便という機能が通信文の送達ということにあると考えれば、そのような施設をもっとも早くつくった国は、古代ペルシア帝国であったといえるであろう。ペルシアにおいては紀元前6世紀のなかば、キロス大王がオリエント世界を統一すると、いわゆる駅伝制度を整備した。すなわち、広大な領域の中を走る道路の、一定の距離ごとに馬と人員とを置き、重要な命令や報告は、馬を乗り継ぎながら全速力で疾走して送達したのである。このような駅伝制度は、やがてローマ帝国の採用するところとなった。ローマが堅固な街道を開いたことは有名であるが、やはり一定の距離ごとに宿場や駅場を設け、公用の通信は使者が馬や車を乗り継いで送り届けた。駅伝制度は、帝国の秩序を維持するためには必須(ひっす)の施設であった。
同様の制度は、古代中国においても整備されていた。そもそも「駅」とは馬を置いた施設であり、「伝(傳)」とは車を置いた施設を表す。ローマの盛時と同時代にあたる秦(しん)・漢の帝国において、やはり駅伝制度は確立されていた。後の唐代に至ると、いよいよ整備される。この唐代の駅伝制度を日本も取り入れ、律令(りつりょう)時代の駅制となるわけである。しかし古代の駅伝制度は、いずれも公用のものであって、一般の人民が利用することはできない。中国においても公衆の通信を取り扱う施設(民信局)が発足するのは、明(みん)代、15世紀以後のことである。
[山口 修・小林正義]
ヨーロッパでは中世のキリスト教世界において、教皇庁と僧院、また僧院と僧尼との間に、通信を運ぶ使者の往来が盛んとなった。また12世紀以後、大学が建てられ、各地から学生が集まると、その故郷との通信のために、いわゆる大学飛脚が登場した。さらに商業の発達は、取引のうえでの通信を盛んにし、ことに腐敗しやすい肉類を運ぶ肉屋は、機能の優れた車や馬を使用した。これが信書をも運ぶようになったのである。肉屋郵便とよばれ、到着を知らせる「らっぱ」は、今日に至るまで郵便のマークとして用いられている。こうした各地の飛脚や郵便を統合し、16世紀初めに広く一般の利用に供する郵便事業を開いたのはタキシス家である。タキシス家は神聖ローマ皇帝から、領内における郵便事業の独占と、これを世襲する権利を与えられ、以後、タキシス家はヨーロッパの各地を結んで、タキシス郵便の業務を発達させた。
[山口 修・小林正義]
イギリスにおいては、国営の郵便が16世紀初めから開かれていた。ただし、これは王室の専用で、民衆は利用できない。ようやく1635年、国営の郵便が一般国民に開放されるに至る。それまでにも民営の試みはあったが、政府の弾圧によって永続できなかったわけである。1680年、ロンドンの商人ドクラW.Dockwraが創設したペニー郵便は、1ペニーという安い料金で郵便物を引き受け、料金の収納印を押して、戸別に配達するという、画期的な事業であった。しかし、たちまち営業停止を命じられ、その仕組みは国営の郵便のなかに吸収されてしまった。
この後の郵便業務は、受取人による料金の後納を認め、しかも料金は手紙の枚数と距離の遠近によって異なるうえ、しだいに引き上げられてゆく。これに根本的な改革を加えたのがローランド・ヒルであった。ヒルの提案によって1840年、郵便の最低料金は1ペニーに抑え、全国を距離にかかわらず均一の料金とした。しかも料金は前納に限り、前納の方法として、郵便切手を発行した。ここに近代郵便の制度は確立し、各国もしだいにイギリスの例に倣うようになったのである。欧米の諸国が近代郵便の制度を整備すると、外国との郵便交換にも統一された組織がつくられることを期待するようになる。ドイツのシュテファンらの尽力によって、1874年にスイスのベルンで万国郵便連合(UPU)が結成された。
[山口 修・小林正義]
律令によって整備された駅制は、律令制の衰微によって衰え、やがて駅にかわって宿(しゅく)が発生した。この宿を結んで、鎌倉時代には早馬(はやうま)が走る。ただし、駅を結んだ駅馬(えきば)も、武家の早馬も、いわば公用の施設であった。江戸幕府が開いた継(つぎ)飛脚も幕府御用の通信施設である。17世紀の後半、江戸―京都―大坂間を結ぶ町飛脚が開業され、ここに初めて公衆の利用に供する民営の郵便が発足する。飛脚の通う路線もしだいに拡大し、また市街地を巡る飛脚も生まれた。しかし飛脚の料金は高く、送達の速度も一定していない。一般の庶民には利用しにくかった。
[山口 修・小林正義]
明治政府が成立し、交通運輸の事務を担当した前島密(ひそか)は、飛脚に支払う料金があまりに高額であることに着目した。そこで外国の制度に倣い、郵便の国営を提案した。前島の構想によって1871年4月20日(明治4年3月1日=旧暦)に発足したのが「新式郵便」である(4月20日を逓信(ていしん)記念日とするのはこれにちなむ)。初めて郵便切手も発行された。郵便の路線は、まず東京―京都―大阪間に開かれたが、次々に延長され、1872年8月にはほぼ全国に拡大された。また料金も当初は距離制によったが、1873年4月には全国に均一料金を実施するに至る。このころまで旧来の飛脚も営業を続けていたが、同年5月には郵便事業を政府の専掌とし、ここに近代郵便の基盤が確立したのである。
[山口 修・小林正義]
創業以来郵便事業を管掌した官庁は駅逓寮であり、初めは大蔵省に、のち内務省に属して(1874)、駅逓局と改称され(1877)、さらに農商務省に属した(1881)。1885年12月、内閣制度の発足に伴って逓信省が新設され、郵便をはじめ為替(かわせ)貯金や海運・航空までを統轄する中央官庁となる。逓信省は第二次世界大戦中の機構改革によって運輸通信省傘下の通信院あるいは逓信院となったが、1946年(昭和21)7月に復活し、さらに1949年6月、郵政省と電気通信省(のち日本電信電話公社となり、さらに日本電信電話株式会社(NTT)グループとなる)とに分割される。中央省庁再編により、郵政省は総務庁、自治省とともに再編統合され、2001年(平成13)1月から総務省となり、郵政三事業は企画部門と実務部門に分かれた。このうち実務部門が「郵政事業庁」となり、2003年(平成15)には新型の国営公社「日本郵政公社」に引き継がれた。その後、郵政民営化により、2007年10月1日、日本郵政公社が日本郵政グループへと分社化された。日本郵政グループは、持株会社「日本郵政株式会社」と、四つの事業会社「郵便局株式会社(郵便局)」「郵便事業株式会社(日本郵便)」「株式会社ゆうちょ銀行」「株式会社かんぽ生命保険(かんぽ生命)」からなり、日本郵政公社の事業を引き継いだ。
郵便の現業機関として、当初は郵便役所のほか、民間の有志を郵便取扱人(役)に任命し、その自宅をもって郵便取扱所が開設された。1875年(明治8)よりこれらの機関はすべて郵便局と称したが、取扱役の名称や役柄は変わらず、1886年4月からは三等郵便局に列せられた。これが、いまの特定郵便局の前身である。郵便の現業業務の多くは、取扱所―三等局―特定局が担ってきたのであった。
郵便の法令としては、1871年12月に郵便規則が公布(1872施行)され、年ごとに改定を加えて公布が続けられた。1882年12月、新たに郵便条例が公布され事業の基本法となる(1883施行)。1892年6月には小包郵便法を公布し、10月から小包郵便の取扱いを開始した。さらに1900年(明治33)10月、旧来の法規を整理し、郵便法(旧法)などを施行して、事業に関する法体系を確立した。取扱いの手続などについては別に郵便規則、郵便取扱規程などが制定されている。第二次世界大戦を経て日本国憲法が公布(1946)され、旧来の法規も憲法の精神にのっとって新しい内容と形式を備えたものであることが求められ、1947年12月に新たな郵便法が公布された。その後、2003年に日本郵政公社が発足し、郵便法の改正が行われた。第2条の「郵便の国営」は、「郵便の実施」に改められ、条文も「郵便は、国の行う事業であって、総務大臣が、これを管理する」が、「郵便の業務は、この法律の定めるところにより、日本郵政公社(以下「公社」という)が行う」となり、郵便料金などについても、改正された。さらに、2005年10月に成立した郵政民営化法により、日本郵政公社は民営・分社化されることになり、2007年10月1日の民営化実施に伴い解散、郵政事業は、日本郵政グループに移管された。これに伴い、郵便法も改正された。第2条の郵便の実施については「日本郵政公社」から「郵便事業株式会社」に改められ、ほかにも郵便物の種別・適用、郵便料金、特別送達や内容証明の取扱いなどについての変更が行われた。
[山口 修・小林正義]
郵便の業務は、創業の直後に書留の制度が設けられたのに始まり、事業の発展に伴って、さまざまの特殊取扱いが加えられている。その沿革については年表「日本の郵便制度の歴史」を参照されたい。とくに1985年以後は、郵便の差出しに関する各種の制限も撤廃され、時代の要求に応じて多様なサービスが開設されている。
近年は、電気通信の発達によって、情報社会が大きく進展しているが、やはり郵便は、通信手段のなかでも、簡便かつ安価であり、しかも記録性を保有している。将来にわたって、郵便は、貴重な通信手段として、社会的な役割を果たし続けるであろう。
[山口 修・小林正義]
郵便事業を統轄してきた主務官庁は総務省(旧郵政省)で、郵便事業のほか、郵便貯金・郵便為替(かわせ)・郵便振替の事業、簡易生命保険および郵便年金の事業を経営し、電気通信に関する行政事務をあわせ、一体的に遂行してきたが、前記日本郵政公社の発足に伴い、総務省は、「郵政事業の適正かつ確実な実施の確保」のため、「郵政事業に関する制度の企画及び立案、日本郵政公社の監督、信書便事業の監督」が、所掌事務となった。従来の郵政企画管理局が組織改正され、新設の郵政行政局があたる。郵便事業をつかさどるのは企画部門が前記総務省郵政行政局と、公社の経営企画部、郵政総合研究所などの企画部門、実務部門が公社の郵便事業本部である。公社の地方機関として郵便の業務を分掌しているのが、全国12か所に設けられた地方支社、および沖縄事務所である。また別に地方監査本部が設けられ、犯罪や事故の調査・処理にあたっている。
[山口 修・小林正義]
公社地方支社の管轄のもとで、郵便の現業事務を行っている機関が、全国に約2万局設置されている郵便局である。郵政省設置法(1948。2001年からは郵政事業庁設置法、2003年から日本郵政公社法)に基づいて設けられた郵便局は、普通郵便局と特定郵便局とに大別される。ただし一般の人にとって、両者の区別はむずかしい。郵便局の機能のうえからは、集配局と無集配局とに分けられる。郵便局とは別に簡易郵便局法(1949)によって設置されている簡易郵便局がある。
[山口 修・小林正義]
こうした郵便局は、郵便物を正確かつ迅速にあて先へ届けるまで、どのような作業を行っているのであろうか。一般の郵便物は、差出人が郵便差出箱(ポスト)に入れるか、あるいは郵便局の窓口に差し出す。差出箱に入れられた郵便物、あるいは無集配局および簡易郵便局の窓口に差し出された郵便物は、一定の時間に「取集め」られて集配局に送られる。集配局では、取り集められた郵便物を、種類別に取りそろえて、郵便切手や(葉書などの)料額印面を通信日付印(スタンプ)で消印する。そのうえで、あて先別に「区分」し、方面別にまとめて郵袋(ゆうたい)(またはコンテナ)に入れ、全国84か所に設けられている地域区分局のうちの受持ち局に送り出す。大都市には集中局が設けられ、完全な機械作業によって取集した郵便物を処理し、また各局間の継送業務を行っている。集中局は、まさしく現代を担う、新しい形の郵便局といえるであろう。各局間の「運送」は、自動車や航空機、および船舶など、利用できる限りの交通機関によって行われる。かつては鉄道による運送、すなわち鉄道郵便が大きな役割を占めていたが、1984年(昭和59)2月、自動車主体のシステムに切り替えられ、1986年10月、鉄道郵便局は廃止された。
こうして名あて局に到着した郵便物は、外務職員によって「配達」されるわけである。郵便物は、あて先まで配達することが原則であるが、局内に郵便私書箱を設け、私書箱で郵便物を受け取ることもできる。また郵便物を一定期間、局に「留置(とめお)」き、受取人が出頭して受け取ることもできる。3階以上の建造物には1階に「郵便受箱」を設けることが義務づけられており、郵便物はその受箱に配達される。
なお、郵便物の区分作業を能率的に行うため、今日、世界各国で郵便番号制が採用され、あて名のコード化と区分作業の機械化が進められている。日本では1968年に5桁(けた)の郵便番号が導入されたが、1998年(平成10)2月から7桁の新郵便番号が実施されている。
[山口 修・小林正義]
郵便の利用は創業以来順調な進展を示してきたが、第二次世界大戦とその後の占領時代にあたっては大幅に減少した。郵便物数が昭和前期(1930年代)の水準にまで回復するのは1955年(昭和30)のことである。しかも、かつては信書のように個人的な利用が主体であった。ところが昭和20年代の後半から、経済の高度成長と消費革命の進行を反映して、業務用通信が増加してゆく。とくに広告媒体としてダイレクト・メール(DM)の利用が盛んとなった。1980年代中盤以降の10年間の普通通常郵便の利用状況をみると、私人からの差出通数は全体の20%に満たないのに対し、私人の受取通数は60%を大きく超えている。この傾向は1990年代後半になっても変わらず、2000年度(平成12)の調査では、私人の差出通数は17.5%、受取通数は66.2%を占めている(郵政事業庁「郵便利用構造調査」より)。
[山口 修・小林正義]
郵便物は内国郵便物と国際郵便物とに分けられ、それぞれ通常郵便物と小包郵便物とに大別される。まず内国郵便物についてその種類をみてゆこう。
[山口 修・小林正義]
通常郵便物は第1種から第4種まで4種類に分類されている。かつては第5種までに分類されていたが、1966年(昭和41)の郵便法改正により、従来の第5種(印刷書状)が廃止され、第1種に統合された。
(1)第1種郵便物 第1種郵便物は、「筆書した書状」を内容とするもの、郵便書簡、および第2種・第3種・第4種郵便物に該当しないものすべてを含む。そして郵便書簡を除いた第1種は、定形と定形外とに分類される。定形郵便物の最大限は、長さ23.5センチメートル(以下センチと省略)、幅12センチ、厚さ1センチであり、重量50グラムまで。この制限は、郵便物を機械によって処理するために設けられた。この制限を超えたものは定形外として処理される。その最大限は長さ60センチ、縦+横+厚さ=90センチ、重量は4キログラム(以下キロと省略)まで。そして最小限は14×9センチとされている。円筒状のものは、長さ14センチ、直径3センチが最小限である。こうした制限は第3種、第4種においても同様となっている。郵便書簡は、愛称「ミニレター」とよばれ、簡易な通信の用に供するとともに、郵便物の定形化を目的として設けられた。一定の規格によって作成され、料額印面付き便箋(びんせん)兼用の封筒であり、重量は25グラムまで。料金も定形郵便物より低く設定されている。
(2)第2種郵便物 第2種郵便物は郵便葉書であり、通常葉書、往復葉書、小包葉書(2003年4月1日より販売中止)に区別される。このうち通常葉書と往復葉書には、日本郵政公社が発行する官製葉書と、一般民間で調製する私製葉書とがある。私製葉書は、官製葉書の規格および様式を標準としたものにつき、作製が認められる。1900年(明治33)10月から私製葉書が認められたことにより、絵葉書の私製が盛んになった。
(3)第3種郵便物 第3種郵便物とは、毎月1回以上発行する定期刊行物であって、一定の基準で認可されたものをいう。第3種として認可されれば、低料で郵送することができる。この制度は、文化の普及向上に貢献すると認められる刊行物の郵送料を安くして、その入手を容易にし、社会や文化の発展に資するという趣旨で設けられた。さらに第3種は、その発行回数などにより、一般第3種と低料第3種に分けられる。低料第3種として取り扱われるものは、毎月3回以上発行する新聞紙、心身障害者団体の発行する定期刊行物である。一般、低料とも、第3種の重量は1キロを超えてはならない。
(4)第4種郵便物 第4種郵便物は、特定の目的で国民の福祉増進に貢献するものの郵送料を安くするために設けられた。これには、通信教育のための郵便物、盲人用の点字郵便物や録音物などの郵便物、農産種苗などを内容とする郵便物、および学術刊行物が含まれる。その重量制限は、盲人用の郵便物が3キロ、その他は1キロである。ただし、盲人用郵便物は無料である。なお第3種、第4種とも、開封として差し出さなければならない。
[山口 修・小林正義]
小包郵便物は、信書および郵便禁制品(発火性の物、毒物など)以外で、大きさや重量の制限以内のものであれば、表面に「小包」と記載して差し出すことができる。その重量制限は20キロ、大きさは1辺が1メートル、2辺と厚さの合計が1.5メートルまでである。そして普通小包のほか、冊子小包(旧書籍小包)、心身障害者用冊子小包、聴覚障害者用小包、盲人用点字小包の制度が設けられており、いずれも料金は低くなっている。
[山口 修・小林正義]
これら郵便物の料金は、かつては国会の審議を経て、法律により定められていた。しかし1971年(昭和46)の郵便法改正により、第1種、第2種以外は郵政省令(2001年から総務省令)に委任され、さらに1981年度からは第1種、第2種の料金も省令に委任された。2003年の日本郵政公社発足後は、総務大臣の認可、あるいは総務大臣への届け出によって、郵便料金の決定、変更ができるようになった。
[山口 修・小林正義]
郵便物の特殊取扱いとは、郵便物の引受け、運送および配達についての普通取扱いに対するものであって、社会の要請に応じて設けられ、その種類も幾たびか変遷した。現在行われている主要な特殊取扱いは次のとおりである。
[山口 修・小林正義]
現在の書留制度は、1951年6月から実施されている一般書留と、1966年7月から実施の簡易書留との2種類からなっている。一般書留は、その引受けから配達までの全送達経路を記録し、確実な送達を図るものである。取扱い中に万一、亡失または毀損(きそん)した場合には、差出人が申し出た損害賠償額の範囲内で、その実損額が賠償される。簡易書留は、引受けと配達の際のみ記録して、送達途中は1通ごとの記録は行わない。また事故の場合には、一定金額までの実損額を賠償する。
[山口 修・小林正義]
速達とは、当該郵便物を、これと同一種類の郵便物で速達としないものに優先して送達する制度である。したがって速達郵便物は、もっとも速やかな運送便で運送し、配達局に到着したのちは、もっとも速やかな配達便で配達する。
[山口 修・小林正義]
郵便物の引受時刻を証明する制度である。この制度は、鉱業権を取得するための出願や、特許、実用新案、商標の登録のための出願など、願書を先に発送した者に優先権が与えられる場合に利用される。こうした取扱いは、1891年(明治24)に鉱業関係の郵便物について行われ、1901年には特許、意匠、商標についても取り扱われるようになった。そして1908年、制度として開設されるに至ったものである。なお引受時刻証明は、一般書留郵便物について行われ、郵便物の種類や内容に関しては制限がない。
[山口 修・小林正義]
郵便物を配達し、または交付した事実を証明する制度である。配達証明の取扱いは、一般書留郵便物について行われ、郵便物を差し出した際ばかりでなく、差し出したあとでも、差出しの日から1年以内はこの取扱いを受けることができる。この制度は1892年に設けられた。
[山口 修・小林正義]
郵便物の内容である文書について、いつ、いかなる内容の郵便物を、だれからだれにあてて差し出したということを、差出人が作成した謄本によって証明する制度である。法律上の権利に関する文書などの内容を、後日の証拠として残しておく必要のある場合などに利用される。この制度は1910年に設けられた。内容証明とすることのできる郵便物は、仮名、漢字、数字そのほか所定の文字または記号によって記載した文書、1通のみを内容とする通常郵便物で、一般書留とするものに限られる。文書以外の物品を封入することはできない。また内容証明には、普通の内容証明のほか、同文内容証明というものがある。これは、同時に2個以上の内容証明を差し出す場合において、その内容文書が同一内容のものをいう。
[山口 修・小林正義]
郵便物を、代金と引換えに名あて人に交付し、その代金を郵便為替(かわせ)または郵便振替で差出人に交付する制度である。通信販売などに多く利用され、1896年11月に開始された。その取扱いは、一般書留とするものに限られ、郵便物の種類や内容に関しては制限がない。
[山口 修・小林正義]
裁判所から訴訟関係者にあてて差し出す訴訟関係書類などを、特別の方法によって送達し、その送達の事実を差出人に証明する制度である。特別送達とすることができる郵便物は、刑事訴訟法などの法律の規定に基づいて、民事訴訟法に掲げる方法によって送達すべき書類を内容とする通常郵便物で、一般書留としたものに限られる。この制度は1891年7月より訴訟書類郵便送達手続として開設された。1909年11月には特許審判書類特別取扱郵便も加えられ、さらに1929年10月、訴訟、審判および審査書類郵便として取扱いの内容が整備された。現行のように特別送達と改称されたのは1948年1月である。
[山口 修・小林正義]
年賀状の取扱いを簡便にするため、年内の一定期間に差し出された年賀状を、翌年1月1日の最先便から配達する制度である。年賀郵便の特別取扱いは1899年から行われたが、1906年に制度化された。従来は葉書のみが特別取扱いの対象となっていたが、1986年から書状も認められている。
[山口 修・小林正義]
所定の郵便局に設置した郵便私書箱を使用する者にあてて、所定の郵便局に一定の時刻までに差し出された郵便物を、指定した運送便によって運送し、一定の時刻に当該の私書箱に配達する制度である。ビジネス郵便は郵便の大口利用者のために、書留と速達を組み合わせたもので、1968年10月から取扱いが開始され、1982年11月から制度として整備された。
[山口 修・小林正義]
新超特急郵便は、利用者から電話などにより利用の申し出があった場合、所定の郵便局からバイクなどで集荷に赴き、郵便物を引き受けて、そのまま速やかにあて先に配達するサービスである。新超特急郵便物は一般書留以外の特別取扱いとすることができない。1985年7月から、まず東京都区内の一部で実施され、1986年以後は、東京23区、大阪、名古屋、札幌、福岡の5地域内で行われてきたが、2003年4月に廃止された。また、新特急郵便は、バイクと新幹線または航空機とを組み合わせ、その日のうちに届けるもので、東京23区、大阪、名古屋の三つの地域内配達、それに札幌、福岡を加えた5地域間遠隔輸送配達を行ってきた。しかし、2003年4月以降、3地域の域内配達は続けるが、新幹線や飛行機を使った5地域の遠隔サービスは廃止した。
[山口 修・小林正義]
所定の用紙を使用して作成された文書を郵便局の窓口に差し出し、あるいは郵送すると、引き受けた郵便局では、ファクシミリ送受信装置によって速やかに送信する。受信した局では電子郵便封筒に納めて封かんしたうえ、速達の例によってあて先に送達する。なお差し出した文書は、差出し時に請求があれば返還される。1984年に開始した国際電子郵便も、開始当初は好評で1991年には約8万通に達したが、その後利用者は激減し、2003年4月に廃止された。
[山口 修・小林正義]
国際郵便の取扱いについては、万国郵便連合Universal Postal Union(UPU)の憲章および一般規約、またUPUの加盟国が定期的(原則として5年ごと)に開催する郵便大会議において締結された郵便に関する諸条約に基づいて定められる。国内においては国際郵便規則が制定され、これによって取扱いの方法、料金などが定められている。
[山口 修・小林正義]
国際郵便物の種類は、内国と同じく、通常郵便物と小包郵便物とに大別される。また利用する運送機関によって、航空便と船便(平面路)とに分けられる。航空路の発達と普及によって、近時は航空便の比重がきわめて大きくなった。国際郵便料金は、通常郵便物の船便に関しては、UPUの加盟国あて同一種類のものは均一料金が適用される。ただし一般連合のほか、各国はその地域に応じて限定連合を結成している。日本が加盟しているのはアジア太平洋郵便連合(APPU)であり、この加盟国あての船便による書状および葉書の料金は、一般連合あて料金よりも引き下げられている。航空路による料金は、あて先により第1地帯から第3地帯まで3段階に分けられる。
[山口 修・小林正義]
通常郵便物は次の4種に分類される。
(1)書状 内国郵便物の第1種に相当する。重量制限は定形50グラム、定形外2キログラムまで。また航空郵便用として航空書簡(エログラム)が発行されている。
(2)郵便葉書 官製の国際郵便葉書のほか、私製葉書を利用することができる。ただし通常葉書のみであり、往復葉書は東京大会議(1969)の結果、1971年に廃止された。
(3)印刷物および点字郵便物 印刷物は、一般の印刷物と、内国郵便物の第3種および学術刊行物に相当するもの、との2種類に分けられ、後者は料金が低減されている。点字郵便物は、最高重量7キログラムまで無料である。
(4)小形包装物 小包と同様の形態であるが、重量2キログラムまでのものは小形包装物とすることによって、通常郵便物の線路により、すなわち小包よりも速く送達される。
[山口 修・小林正義]
小包郵便物については、UPUが小包に関する約定を結んでおり、その加盟国あてに差し出されるものは連合小包とよばれる。その料金は船便・航空便とも、地帯別に分けられている。しかし約定に加盟していない国もあり、そのような国とは別個に約定を結んで小包を交換している。これを特約小包と称する。日本が特約小包を交換している国は、フィリピン、アメリカ、カナダ、南アフリカ共和国である。航空小包は当然のことながら料金が高くなる。そこで1985年7月から新たにSAL小包郵便の制度が設けられた。SALとはSurface Air Liftedの略称であり、航空路によって運送される平面路(船便)郵便物の意味である。日本国内および名あて国内では船便小包として取り扱われるが、その間は航空小包よりは低い優先度で航空運送される。それだけ航空小包よりは料金が低減され、船便小包より速やかに送達される。
[山口 修・小林正義]
国際エクスプレスメールExpress Mail Service(EMS)は、書類や物品をもっとも速く海外に送ることができるもので、かつての国際ビジネス郵便が発展したものである。差し出した日の翌日から1~3日で届けられる。郵便禁制品以外なら、なんでも送ることができ、重量は30キログラム以内、大きさは最大の長さ1.5メートル以内、長さ+最大の横周3メートル以内となっている。世界120か国・地域が対象で、差出し個数によって料金の割引制度がある。
国際電子郵便の取扱いも1984年11月から開始され、「インテルポスト」と名づけられた。取扱い方法は内国の電子郵便と同様で、その交換国も、当初は7か国に限られていたが、その後しだいに増加した。B4判まで送れる国際レタックスと、1987年4月から開始された、A4判までの国際ミニレタックスの2種類があり、どの地域あてに差し出しても均一料金が適用され、当日または翌日には届くというのが売りであった。当初は好評であったが、1990年代後半には利用者は激減、2003年4月に廃止された。
[山口 修・小林正義]
国際郵便物の特殊取扱いには次のような種類がある。
(1)書留 内国郵便物の書留とほぼ同様である。
(2)受取通知 内国郵便物の配達証明に相当し、名あて人がその証明を行う。
(3)速達 条約における原語はexprès(フランス語)であり、郵便物が名あて地の郵便局に到着後、ただちに特別の配達便によって配達される。ただし運送面においては、航空便としない限り船便による運送となる。そこで、かつては別配達と称したが、1986年1月、速達と改称された。
(4)保険付 内国郵便物の現金書留に相当する。かつては価格表記と称し、古くは価格表記書状と箱物との区別があった。このうち箱物は1976年に廃止され、さらに1986年から価格表記の名称も、わかりやすい保険付に改められた。
[山口 修・小林正義]
『郵政省編『郵政百年史』(1972・吉川弘文館)』▽『郵政省編『郵政百年史年表』(1972・吉川弘文館)』▽『『前島密遺稿集 郵便創業談』復刻版(1979・日本郵趣出版)』▽『山口修著『外国郵便の一世紀』(1979・国際通信文化協会)』▽『篠原宏著『外国郵便事始め』(1982・日本郵趣出版)』▽『星名定雄著『郵便の文化史』(1982・みすず書房)』▽『山口修著『郵政のあゆみ111年』(1983・ぎょうせい)』▽『小林正義著『郵便史話』(1983・ぎょうせい)』▽『橋本輝夫編『行き路のしるし』(1986・日本郵趣出版)』▽『山口修編『郵便博物館』(1987・ぎょうせい)』▽『山口修編『郵便百科年表』(1987・ぎょうせい)』▽『新美景子著『郵便のはなし』(1987・さ・え・ら書房)』▽『郵便の基本問題に関する調査研究会編『郵便新時代――その展望と課題』(1988・ぎょうせい)』▽『星名定雄著『郵便と切手の社会史――ペニー・ブラック物語』(1990・法政大学出版局)』▽『逓信総合博物館編著『近代郵便のあけぼの』(1990・第一法規出版)』▽『郵政省郵務局郵便事業史編纂室編『郵便創業120年の歴史』(1991・ぎょうせい)』▽『郵便サービス研究会著『図解 郵便局がまるごとわかる本――郵便サービス・郵便貯金・簡易保険』(1998・東洋経済新報社)』▽『笹山久三著『郵便屋の涙』(1998・河出書房新社)』▽『郵政省通信総合研究所編『通信の百科事典――通信・放送・郵便のすべて』(1998・丸善)』▽『笹尾寛著『航空郵便のあゆみ』(1998・郵研社)』▽『山本昴編・友岡正孝監修『全国郵便局10000局 風景スタンプ集』(1998・日本郵趣出版)』▽『日本郵趣協会カタログ委員会編『日本切手専門カタログ』2001年版(2000・日本郵趣出版)』▽『薮内吉彦著『日本郵便発達史――付 東海道石部駅の郵便創業資料』(2000・明石書店)』▽『松本純一著『日仏航空郵便史』(2000・日本郵趣出版)』▽『鹿野和彦著『地域と暮らしをポストがつなぐ――郵便局はふれあい満載』(2001・日本能率協会マネジメントセンター)』▽『内藤陽介著『解説・戦後記念切手――濫造・濫発の時代1946~1952』(2001・日本郵趣出版)』▽『斉藤一雄著『感動発信の郵便局づくり』(2002・郵研社)』▽『郵政事業庁郵務部編著『郵便事業概説』(2002・一二三書房)』▽『小林正義著『みんなの郵便文化史――近代日本を育てた情報伝達システム』(2002・にじゅうに)』
郵便は信書(手紙,はがき)を制度化された組織によって送達するものであるが,郵便に関する法令の定めにより,物品,書籍を小包として送ったり,現金を送ること,新聞,雑誌等を送ったりすることも制度的に開かれている。生活の実態に合わせ,郵便物として扱う対象も拡張,整理されて今日に至っている。
人間がそれぞれの存在を意識しはじめたとき,それぞれの意思を意識的に伝えようとすることになり,集団化,社会化が進むにしたがってその伝達手段は高度化し,広がりをもってきた。大きな声を発したり,ものをたたいたり,かがり火をたいたり,のろしをあげたりすることは,通信の原初的な手段であった。これらは,聴覚あるいは視覚の及ぶ範囲内のことであり,限定的なものである。しかも,これは受信者を特定して発せられた通信であったとしても,その通信の状況を見たり,聞いたりできるのは特定された受信人だけではなかった。その意味では,あまりにもオープンな通信手段であった。
人間が文字を発明し,粘土板やパピルス等に書き記すようになったとき,通信は飛躍的に発展することになった。人間の到達できる範囲であれば,文字の書かれたものは,どこまでも届けることが可能になった。しかも,通信の内容を受信者に特定することができるようになった。これは,まさに郵便の原初的な形の出現である。
古代エジプト第12王朝時代には手紙を運ぶことを業とする人のあったことが知られているが,一定の組織をもち制度化されるのは前6世紀半ばの古代ペルシアにおいてであった。広大な帝国の統一のため情報の伝達と収集が重要になり,リレー方式による伝令制が開設された。ペルシアのこの制度をならったローマの駅伝制はクルスス・プブリクスcursus publicus(公共便)と呼ばれ,馬と馬車が用いられた。軍事・政治上の要請から出たもので,当然のことながら公的な通信のためのものであった。中国の郵便制度も古く,体系的に整備されたのは唐時代であるが,すでに周時代にその芽生えがあった。道路に駅が設けられ,その駅から駅へ送り継ぐことを逓と称し,〈駅逓〉という言葉はここから生まれた。また重要な町には伝が設けられ,伝には馬車が備えられた。〈駅伝〉という言葉はここからきたものである。
ヨーロッパでは中世になると,王室の飛脚のほか僧院の使者,大学飛脚(学生とその故郷を連絡した),都市飛脚,肉屋郵便(肉を急いで運ぶ馬車に信書を託した。ドイツ連邦郵便のマークは,肉屋のらっぱにちなむという)等が出現し,一般の人々の信書を取り扱うものもあらわれ,公衆通信の門が開きはじめた。イギリスでは〈王の使者King's Messengers〉が近代郵便制度が確立されるまで郵便の主体となったが,王の使者の制度は12世紀に制度化された。14~15世紀のランカスター朝,ヨーク朝になると,商工業活動,なかでも毛織物工業が発達したことにともない,一般の人々の間でも通信の必要性が高まった。ノーフォーク州のジェントルマンであったパストン家の書簡(1432-1509)が多数残されており,当時の郵便事情を知る上での貴重な資料となっている。フランスでは,ルイ11世が1464年に王室用の駅逓制度を創設した。イギリスではヘンリー8世期の1516年に王の秘書官チュークBrian Tuke(?-1545)を駅逓頭Master of the Postsに任命したことによって,本格的な駅逓制度が確立された。これは幹線道路に20kmごとに宿駅を設定して人と馬を備えたものであるが,利用できるのは飛脚便の使者,官吏,政府の幹部等に限られていた。神聖ローマ帝国においてはF.vonタクシスの提言により1516年,国内の郵便の取扱いに関する独占権をタクシス家に与え,一般の利用者からの収益で経営させる代りに政府の郵便を無料で扱わせた。この郵便網はヨーロッパの主要地に至り,その郵便馬車は人々から親しまれるものとなった。
1620年になると,イギリスではキングズ・ポストKing's Postに対してトラベリング・ポストTravelling Postと呼ばれる制度がジュードSamuel Judeという商人によって開設され,官営と民営の競争がはじまった。弁護士ジョン・ヒルJohn Hillは52年ロンドン~ヨーク間に郵便路線を開設し,官営の半額の料金で手紙や小包を取り扱った。彼は59年に料金の安い郵便制度の創設を《ペニー郵便》という小冊子で提案している。これを実行し発展させたのが商人ドックラWilliam Dockwra(?-1716)で,1680年ロンドンにペニー郵便Penny Postを創設した。これは,ロンドン市内とその周辺なら料金は1ペニーの均一制であり,料金前納制の戸別配達が特徴の一つであった。しかしドックラのペニー郵便は83年に禁止され,その後官営の郵便料金は値上げを重ねた。1832年にいたってR.ヒルが登場し,料金の値下げと重量別の全国均一料金制,切手を用いることを提言した。この改革案は40年1月から実施され,同年5月1日にはペニー・ブラックPenny Blackと呼ばれる世界最初の郵便切手が発行された。この制度は,アメリカ,フランス,ドイツ等に早速採り入れられた。
各国の郵便制度の整備,発展が促進される一方では,各国間の制度上の違いが運営上の障害ともなりはじめた。基本的な事項を調整し,円滑な業務運行を促進するため,アメリカの郵便長官モンゴメリー・ブレアの提案により,1863年にパリで国際会議が開かれ,つづいて74年にはスイスのベルンに22ヵ国の代表が集まって国際会議が開催された。この会議においてドイツのシュテファンHeinrich von Stephan(1831-97)が提唱したことを契機に,翌75年万国郵便連合が結成された。この連合の結成により国際的な規模での近代的な郵便制度がスタートすることになった。日本がこれに加盟したのは77年である。こうしたプロセスの中で鉄道郵便車が1838年に登場し,52年には郵便ポストがイギリスに設置され,56年にはロンドンを10エリアに分けて符号化した郵便コードpostcodeが出現した。はがきはシュテファンの提案でオーストリア・ハンガリーが69年,イギリスが70年から発行しはじめた。小包郵便の制度がイギリスで創設されたのは83年のことであった。これにともない,レター・キャリアletter carrierと呼ばれていた郵便外務員がポストマンpostmanと呼ばれることになった。
日本で通信システムが制度として実施されたのは,大化改新にともなう一連の制度改正によるものが最初であった(〈駅伝制〉の項参照)。それは唐の制度にならったもので,大宝律令(701)によって確立された。30里ごとに駅を設け,馬の乗り継ぎと宿泊施設を整えた。もちろん公用にしか利用できなかった。1185年(文治1)鎌倉幕府によって駅路の法が定められ,街道に発達した宿を利用して早馬が走った。やがてこの制度も衰微していったが,豊臣秀吉の天下の統一とともに軍事・政治上の必要から再び国内の主要地を結ぶ通信設備が整えられた。江戸時代になると,幕府の手で全国的な規模でこれらの交通,通信網が整備された。諸国の大名が江戸と領地間に飛脚便を開設する事例もあり,私用のための町飛脚も発達してきた。町飛脚は幕府から定飛脚の免許を受け,東海道を6日かかって運行したことから定六(じようろく)と呼ばれ,毎月3度往復したことから三度飛脚とも呼ばれた。
明治維新は生活をとりまくすべての文化を革新し,近代的な統一国家を形成しようとするものであった。その中で郵便制度の重要性に着目し,その制度創設を建議したのは,前島密の慧眼であった。1870年(明治3)租税権正になった前島は,駅逓権正兼任を命じられた。駅逓権正に就任して最初に文書決裁したのが,公用通信費として飛脚業者に支払う運賃であった。それはあまりにも大金であり,そのことから問題意識をもった前島は,官民ともに安価で,自由に,どこからでも利用できる郵便事業の創業について構想をたて,建議した。駅逓権正就任10日目のことである。前島はやがて租税権正本来の仕事の関係でイギリスに出張することになり,71年1月24日の郵便創業の布告,同年3月1日(新暦4月20日)の郵便創業は杉浦譲の手によって行われた。
この制度が新式郵便といわれたのは,郵便は毎日運行され,郵便取扱所等のほか,郵便ポストを設置し,郵便物に切手をはり,戸別に配達するもので,従来にない制度であったからである。当初は東京~大阪間とその沿線で試行的にスタートしたが,72年には全国的に実施し,翌73年には郵便事業を政府専掌(独占)とすると同時に,全国均一料金制の導入をはかった(〈駅逓司〉の項参照)。この年8月には日米郵便交換条約を締結し,12月1日にははがきを発行した。77年には万国郵便連合に加入し,国際的な郵便業務の仲間入りをした。85年12月に逓信省が創設され,87年2月には逓信省と手紙をシンボライズした郵便マーク〈〒〉が制定された。創業時からこのときまでは,日の丸に横一線の入ったマークが用いられていた。郵便小包制度が創設されたのは92年であり,従来の条令,規則を整理し,1900年には郵便法が公布された。年賀郵便を制度的に取り扱うようにしたのは06年である。また,11年には速達の取扱いが東京,横浜の市内と両都市間で初めて実施された。
第2次大戦後の49年6月,逓信省が電気通信省と郵政省に分割され,今日の郵政省が誕生した。昭和30年代後半から高度経済成長の中で郵便物数が急増し,合理的な作業を進めるため66年,郵便物に定形,定形外の規格を設定し,68年7月1日から郵便番号制が実施された。郵便番号自動読取区分機など大型の機械類が登場し,機械化された郵便局が出現したのも,このころである。81年7月に広告つきはがきが発売され,また84年10月から電子郵便のサービスが開始され,技術革新等による新しい時代に対応する郵便の取扱いがはじまった。当初5桁であった郵便番号は,98年2月から7桁になった。
執筆者:小林 正義
日本の郵便は国の独占事業として運営されていて,その主務官庁は郵政省であった。郵便を所管する中央機関としては郵政省郵務局があり,地方監督機関としては全国11ヵ所の地方郵政局と沖縄郵政管理事務所があって,その管轄下に郵便現業事務を行う機関として全国に約2万4600の郵便局がある。差し出された郵便物を確実に,できるだけ早く,あて先へ送りとどけるという郵便の業務はこのような組織の下で計画的に,能率的に,かつ円滑に処理するよう運営されている。郵便事業は,03年4月に日本郵政公社が取り扱うこととなり,郵政民営化に伴って07年10月から日本郵政グループの郵便事業株式会社(日本郵便)に引き継がれた。
郵便局は普通郵便局,特定郵便局,簡易郵便局に大別される。また郵便業務の取扱いのうえから集配郵便局と無集配郵便局との区別がある。普通局には特殊な業務目的をもつ国際郵便局,輸送郵便局,船内郵便局,集中局などがある(詳しくは〈郵便局〉の項参照)。
郵便の仕事は一つの流れ作業である。取集め→区分→運送→区分→配達という基本の形で流れる作業を,周到に計画された一定の時間表に従って,繰り返し処理していくのである。集配局では運送を除いた取集め,区分,配達の仕事を行う。すなわち,集配局の受け持つ郵便区内の郵便差出箱(郵便ポスト)や無集配局から取り集めたり,自局の窓口で引き受けたりした郵便物を,封書,はがきなどの種類別に取りそろえて,それぞれ切手や料額印面を通信日付印(スタンプ)で消印のうえ,あて先別に区分(差立区分)し,方面別にまとめ,所定の時刻に名あて局に送り出す。この場合自動車,電車,鉄道,船舶,航空機等利用しうる輸送機関により運送する。また他局から送られてきた郵便物は継ぎ越すものと自局あてのものとに分ける。自局あての郵便物は配達するもの,郵便私書箱に入れるもの,窓口で交付するものに分け,配達するものはさらに外務員の受持区域ごとに区分(配達区分)する。外務員は郵便物を配達する道順に整理し,これをあて所に配達するのである。取集めの回数は1日1回ないし5回,配達の回数は1日1回または2回が一般である。日曜日には取集めは減回し,配達は速達郵便物などを除き休配する。郵便物はあて所に配達することを原則としているが,別に郵便局に設けられた郵便私書箱を使用して郵便物を受け取る制度や,郵便物を郵便局に一定期間留め置いて受取人が出頭して受け取る留置の制度もある。また3階以上のビルやアパートの高層建築物には郵便受箱を設けることとされていて,その受箱に配達すればよいことになっている。
郵便物は元来そのあて所に配達することを原則とするが,郵便私書箱制度はその例外的なものの一つである。配達をまたずに常時郵便物を急速に受け取る必要のある人のために設けられたもので,利用者の郵便物受取の簡易敏速化を図る一方,郵便局側の郵便配達上の労力を節約できる利便もある。後者の場合,3階以上の高層建築物等に居住する人の利用,あるいは郵便局長がその必要を認めて使用してもらう場合がその事例である。郵便私書箱は,いわば郵便局に設けられた受取人の郵便受箱のようなもので,利用者は郵便局長の承認を受けて使用することができる。この使用方法は私書箱に番号がつけてあり,その番号を肩書した郵便物は一般配達便によらないで,その番号の私書箱に配付され,受取人は適当な時刻に出局して自分に貸与された私書箱のかぎでこれをあけ,郵便物を受け取るしくみになっている。郵便私書箱は,郵便創業の翌1872年に,郵便の全国実施にさきがけて郵便役所に設置されたのが嚆矢(こうし)である。以来有料が原則であったが,現在は無料である。全国における私書箱数は設備数約10万4000個,貸与数約5万7500個となっている(1997年3月末現在)。
全国に散在する郵便局をつなぎ,郵便線路にしたがって郵便物を運ぶことは,輸送機関にまたねばならない。交通機関の著しく発達した今日では,小は自転車,オートバイから大は自動車,鉄道,フェリー,航空機に至るまでを広範に利用して,運送のスピードアップを図っている。一般に運送業者に委託して託送しているが,郵便専用の施設(郵便専用自動車)もある。現在も山間へき地ではなお人力による運送が行われているが,郵便線路の総キロ程の95%以上は自動車と航空機によるもので,自動車が39%,航空機が56%となっている。鉄道や船舶によるものは減少し,自動車や航空機によるものが増加の傾向にある。鉄道は1872年に京浜間に初めて開通した当初から利用してきたが,車中で区分を行うようになったのは92年以後である。自動車は1908年東京市内の運送に使用したのが最初であった。航空機の使用は1919年の航空郵便の試行に始まり,漸次拡充を見たが,東京~大阪~福岡間の航空郵便が正式に開設されたのは29年のことである。航空機の利用は従来は速達扱いの場合に限られていたが,66年10月から普通扱いの小型通常郵便物(定形郵便物,郵便書簡,郵便はがき)の,82年5月から本土~沖縄間,沖縄県内相互間で大型通常郵便物の,同年6月からは全国で速達小包郵便物の航空機輸送を開始した。一般に遠距離には航空機や鉄道,近距離には自動車がそれぞれ使用されていたが,84年2月には鉄道主体の輸送体系を自動車主体の体系に大改正し,86年10月には鉄道郵便局を全廃した。近年高速道路利用の自動車便や上述した航空機利用の拡大が行われ,郵便物の送達速度の向上が図られつつある。
昭和30年代からの日本経済の高度成長に伴う郵便物数の伸長と新規労働力の不足等に対応するとともに,経営の効率化を図るため,郵政省では郵便作業の機械化を積極的に推進している。まず,1961年に機械化についての研究開発体制を整え,当時急速に発達してきたエレクトロニクス技術等を活用しながら郵便機械の開発に取り組んでいる。また機械化の前提条件を整えるため,66年から郵便物の規格化(定形郵便物の制度)を,68年からは郵便番号制を実施した。このような経過をたどって67年に郵便物自動選別取りそろえ押印機を,68年には郵便番号自動読取区分機を開発し,都市部の主要局に配備してきた。前者は郵便物を定形と定形外とに選別し,定形郵便物と通常はがきを取りそろえ消印する作業を自動処理するものである。後者は定形郵便物と通常はがきの所定位置に手書きされた郵便番号を光学的に読みとって,あて先の郵便番号ごとに自動的に区分するもので,日本がはじめて開発したものである。71年にはこの両者を連結する装置を,さらに82年には区分機から郵便物を取り出して,把束装置へ連結する自動化システムを開発し,横浜郵便集中局に配備した。91年には,大型薄物自動読取区分機が開発され,続いて漢字で書かれた町名などを読み取る区分機も開発された。98年2月の郵便番号7桁制への移行に合わせ,配達の道順まで自動的に選定される新型区分機も登場している。これにより小型通常郵便物については,局内作業の流れの大部分を一貫して自動処理することが可能になった。以上のほか,局内搬送施設や小包区分装置等を主要局に導入し,機械化を推進してきたが,とくに業務量の多い東京,大阪等の大都市には,大型通常郵便物や小包郵便物を専門に処理する集中局を建設した。これらの局は,自動搬送設備で機械化されたメール・フローにしたがって大量の郵便物を処理するシステムを採用している。また1984年から書留通常郵便物にバーコード・ラベルを貼付して,送状の作成等を機械処理するシステムを全国導入した。小包の所在を直ちに調査できる小包追跡システムは88年,書留通常郵便物の情報システムは91年に実施された。これらは郵便局のオンラインネットワークによる情報化サービスとして実施されたものである。
郵便物は大別して,通常郵便物と小包郵便物の二つに分類される。なお郵便禁制品(発火性の物,毒物など)を内容とするものは,郵便物として差し出すことができない。
第一種から第四種までの4種類に分かれる。(1)第一種郵便物 筆書した書状,郵便書簡および第二種,第三種,第四種に該当しない郵便物(印刷物,業務用書類など)をいう。第一種郵便物はその形や大きさにより,定形郵便物と定形外郵便物とに分けられる。(a)定形郵便物は次のような一定の規格条件を備えたものをいう。すなわち形が長方形で長さ14~23.5cm,幅9~12cm,厚さ1cm以内であること,重量は50gを超えないこと,封筒か袋にいれて封をしたものであること,その他外部記載事項や添付事項の要件を備えていること。(b)定形外郵便物は郵便書簡と定形郵便物を除いたその他のものをいう。(c)郵便書簡(ミニレター)は郵政省発行の料額印面のついた封筒兼便せんの用紙で,通信文を書いて折りたたんで封をすればよい簡便なものである。(2)第二種郵便物 郵便はがきである。通常はがき,往復はがき,小包はがきの3種がある。小包はがき以外は私製も認められている。小包はがきは手紙を同封できない小包を送るときこれにつけて同時に送るものである。なお通常はがきには暑中見舞はがきや年賀はがきなどがある。(3)第三種郵便物 毎月1回以上定期に発行され,公共的な記事を内容として広く一般に発売され,掲載事項の性質上終期を予定しえないという基準で認可された新聞,雑誌などの定期刊行物で開封としたものである。(4)第四種郵便物 学校と受講者との間に発受する通信教育用の教材,盲人用の点字,農産物の種苗,学術刊行物等を内容とする開封の郵便物である。
信書以外は小包として差し出すことができる。この場合〈小包〉と表示しなければならない。小包には一般小包のほかに書籍小包,心身障害者用書籍小包,盲人用点字小包,聴覚障害者用小包,カタログ小包の取扱いがある。一般小包の重さの制限は16kgまで,大きさの制限は長さ1m,および長さ,幅,厚さの合計150cmまでである。一般小包以外は重量3kgまでとなっている。ただし,盲人用点字小包は3kgまでと,それを超えるものとの二つの取扱いがある。ふるさとの特産,名産などを届けたり,保冷を必要とする食品等を対象とした取扱いもある。
郵便物の特殊取扱いには次のようなものがある。
(1)書留 郵便物の引受けから配達までの全送達経路を記録し,万一途中でなくなったり,こわれたりした場合は差出人の申し出た損害要償額の範囲内で,その実損額を賠償する取扱いである。郵便物の記録扱いと保険扱いを兼ねているもので,現金や貴金属などたいせつな物を送るときに用いられる(現金等はこの書留としなければ送ることはできない)。損害要償額の限度は現金書留の場合は50万円まで,物品書留の場合は500万円までである。この一般書留のほかに簡易書留の制度がある。これは引受けと配達のときだけ記録をして,なくなったり,こわれたりした場合の賠償は一律に8000円までの実損額という簡易記録と定額賠償の取扱いをするものである。
(2)速達 他の郵便物に優先して送達する取扱いである。最も速い運送便で運んで,配達郵便局に到着後は遅滞なく配達する。速達として差し出すには表面右上部に朱線を引かなければならない。小包や書留とするもの以外はポストに入れることもできる。
(3)引受時刻証明 郵便物の差出時刻を公に証明する制度で,特許の出願や入札などの場合に利用される。
(4)配達証明 郵便物を配達し,または交付した事実を証明する制度で,配達郵便局でその配達証明書を作成して差出人へ送る。
(5)内容証明 郵便物の内容である文書についてその内容を謄本によって証明する制度である。法律上の権利に関する証拠資料として使われる。
(6)代金引換え 郵便局で受取人からその郵便物と引換えに代金を受け取り,これを差出人へ為替か振替で送金してもらう制度である。通信販売などに利用されている。
(7)特別送達 裁判所の訴訟関係書類を法律で定められた方法で送達する制度である。なお速達を除く上記の特殊取扱いは,書留とした郵便物に限られる。
(8)年賀特別郵便 年賀特別郵便の取扱いは年賀状とする通常はがき等で,毎年12月15日から28日までの間に差し出された郵便物に翌年1月1日付の通信日付印を押し(料額印面のついた郵便はがきの場合には省略することもある),元旦(1月1日)の最先便から配達することになっている。年賀郵便は事実上は1899年から取り扱われ,1906年11月に初めて制度化されてからその取扱い物数は年々増加の一途をたどった。1937年以降は時局の緊迫化に伴って逐次激減し,ついに40年から年賀郵便特別取扱いが中止された。しかし第2次世界大戦後の1948年にその取扱いが再開され,さらに翌49年から毎年お年玉つき年賀はがきが発売されるようになってその取扱い数量は増加し,1996年度の引受数は約36億1000万通に達している。
(9)ビジネス郵便 企業相互間に急送の要のある業務用書類等を終業時に引き受けて翌朝配達するというサービスである。1968年から事実上の取扱いが開始され,82年に制度化された。その後,主要都市内を対象とし,オートバイによる集荷,2~3時間以内の配達を行うサービスや,主要都市間を航空機・新幹線・オートバイのリレーによって高速で結ぶサービスなども登場した。
(10)電子郵便(レタックス) 所定の用紙を使用して作成された文書を,郵便局のファクシミリ送受信装置を用いてすみやかに送信し,受信した郵便局では電子郵便封筒に納めて封かんした上,速達の例によって配達するという取扱いである。1981年7月からまず東京,名古屋,大阪において実験サービスが開始され,84年10月から全国で実施された。この年11月,国際電子郵便(国際レタックス)の取扱いも開始となった。
〈郵便に関する料金は,郵便事業の能率的な経営の下における適正な費用を償い,その健全な運営を図ることができるに足りる収入を確保するものでなければならない〉(郵便法第3条)とされている。第三種,第四種および小包郵便物ならびに特殊取扱いの料金は郵政大臣が郵政審議会に諮問したうえ省令で定めることになっている。第一種,第二種郵便物の料金については,従来,郵便法によって具体的な料金額が定められていたが,1980年の郵便法改正により,郵便事業の累積欠損金が解消されるまでの間,郵便料金の総合改定率が物価等変動率を超えないようになどの条件の下で,郵政大臣が郵政審議会に諮問した上,省令で定めることができるという料金決定法の特例が規定された。
郵便料金は全国均一を原則とするが,小包は書籍小包を除いて距離による地帯別料金制である。定形および定形外の郵便物のうち同一郵便区内に100通以上差し出す場合は,一定の条件の下にこれを市内特別郵便として一般より安い料金で取り扱っている。また,第一種,第二種郵便物(市内特別郵便物,郵便書簡,官製はがき等を除く)で,形状,重量および取扱いが同一のものを同時に1000通以上,郵便局長の指定する区域ごとに区分するなどの一定条件を満たして差し出すと,さらに低廉な特別料金の適用が受けられる。小包郵便物には,同時に10個以上差し出されるものは個数により20%から30%が割り引かれるという制度がある。また,1ヵ月に100個以上の差出がある場合,個数により25%から35%の割引制度がある。郵便物の料金の変遷は表に示すとおりである。
郵便料金の納付は郵便切手で前納することが原則になっているが,例外として郵便書簡や郵便はがきの料額印面による場合と現金納付による方法とがある。現金納付方法には次のようなものがある。(1)料金別納 一度に料金の同じ郵便物を通常郵便物なら50通以上,小包なら10個以上を差し出す場合,いちいち切手をはる手間をはぶくため料金をまとめて払う制度で,料金別納と表示する。また料金計器を用いて別納する料金計器別納の制度がある。(2)料金後納 毎月100通以上の郵便物を差し出す場合,郵便局長の承認をうけて,1ヵ月分の料金を翌月まとめて払う制度である。(3)料金受取人払 受取人があらかじめ自己のあて名,料金受取人払の承認をうけた旨の表示,差出有効期間などを印刷した封筒または郵便はがきを配付しておいて,配付をうけた者が切手をはらずそのまま差し出すと,その料金は受取人が配達をうけた際手数料とともに納める制度である。この料金と手数料は料金後納とすることもできる。
日本が自らの郵便制度により外国郵便の取扱いを開始したのは1875年1月だった。1873年に調印した日米郵便交換条約に基づくものである。それ以前から,日本にアメリカ,イギリス,フランスの郵便局が開設されており,それぞれの国の郵便局を通じて外国郵便を取り扱っていた。このため,1872年3月制定の郵便規則に〈海外郵便手続〉を定めている。その冒頭に,〈国内一般郵便ノ方法一定候上ハ外国郵便往復ノ儀モ〉とあり,そのときから海外の各国あての郵便を国内の郵便と区別し,外国郵便と呼んでいた。この呼称が〈国際郵便〉と改められたのは1988年7月1日である。日本が万国郵便連合(UPU)に加盟したのは,連合創設の3年後の1877年6月1日で,日本の新式郵便制度実施から6年目であった。日本は連合の常設機関である郵便研究諮問理事会の理事国として活動し,また1969年には第16回万国郵便大会議が東京で開催され,日本は議長を務めた。
国際郵便にはまず郵便に関する条約が適用され,それに抵触しない範囲で郵便法が適用される。条約上任意とされたり明定されていない事項に関する取扱いについては国際郵便規則が定めている。国際郵便物は国内郵便物と同様通常郵便物と小包郵便物に分けられるが,船便と航空便の取扱いがある。通常郵便物には書状,郵便はがき,印刷物,点字郵便物,グリーティングカード,特別郵袋印刷物および小形包装物の取扱いがある。また,おもな特殊取扱いには書留,受取通知(国内郵便の配達証明とほぼ同じ制度で,受取人が受領の署名をする),速達(名あて地の配達局に到着後特別の配達員によって配達される),保険(国内郵便の書留と同様の制度で,事故の場合に保険金額を限度とした実損額が賠償される)の取扱いがあるが,その種類によっては取り扱っていない国や取扱いに一定の制限を加えている国もある。このほか国際郵便はがき(世界各国航空便70円,船便60円の均一料金),航空書簡(エログラムaerogramme。1枚の紙で封筒と便せんを兼ねたもので,料金は世界中どこへでも90円の均一料金)や国際返信切手券(相手側に郵便料金を負担させずに返事がもらいたいとき等に使われるもので,世界中どこでも通用し,相手国で返信切手券に対応する郵便切手と引き換えられる。1枚150円)という制度がある。また近年の情報化社会に対応して,国際レタックス(国際電子郵便),EMS(国際エクスプレスメール),エコノミー航空(SAL)郵便がある。EMSは20kgまでの郵便物を最優先の扱いで届けるサービスであり,SALは通常の航空郵便物ほど急がない場合の航空機併用サービスである。
船便通常郵便物の料金は,万国郵便条約等の規定するところにより,国際郵便物の取扱い経費や国内郵便料金との均衡等を考慮して定められている。航空通常郵便物の料金は,これらの郵便物の国内における取扱い経費や航空運送の費用等を基にして定められている。小包郵便物の料金は,万国郵便連合の小包郵便物に関する約定等の規定するところにより,日本の取扱いの費用,海路運送や航空運送の費用,仲介国や名あて国での取扱いの費用を基にして定められている。また,国際郵便にも割引制度がある。通常郵便物は1回の差出しが1000通以上ある場合10~20%,1ヵ月分を取りまとめた差出しが3000通以上ある場合も10~20%の割引がある。そのほか,小包やSAL便などにも割引制度が適用されている。
第2次世界大戦後の国際郵便の回復状況はめざましいものがある。1955年度を100とすれば1995年度は,通常郵便物は差立425,到着881とふえ,小包は差立663,到着850となっている。戦前は,99%までが船便であったが,戦後は航空機によるものが圧倒的にふえる傾向となっている。
執筆者:久保 威夫+佐藤 仙平+郵政省
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※「郵便」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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