新撰 芸能人物事典 明治~平成 「都一広」の解説
都 一広(2代目)
ミヤコ イチヒロ
- 職業
- 一中節太夫
- 肩書
- 重要無形文化財保持者(一中節・浄瑠璃)〔昭和31年〕
- 本名
- 篠原 治(シノハラ ハル)
- 別名
- 別名=清元 延葉奈(キヨモト ノブハナ),都 一春(ミヤコ イチハル),山彦 治子(ヤマビコ ハルコ),宮薗 千志乃(ミヤゾノ センシノ),荻江 治(オギエ ハル)
- 生年月日
- 明治12年 3月18日
- 出生地
- 東京府 浅草区(東京市 台東区)
- 経歴
- 明治29年初代都一広について一中節を、30年清元お葉について清元節を学び、清元延葉奈を名乗り、新橋に延葉奈ありと謳われた。35年一中節で都一春を名乗る。河東節では山彦治子、宮薗節で宮薗千志乃、荻江節で荻江治と称し、広く古曲各流を極めた。芸者を引退後、新橋組合の頭取となり、昭和23年新橋演舞場の改築落成で、いち早く新橋芸伎出演の「東をどり」を復興、25年秋の東をどりで谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」を上演した。28年には谷崎作詞「花の段」を一中節に作曲、その演奏により芸術祭奨励賞を受け、30年2代目都一広を襲名。31年人間国宝(一中節・浄瑠璃)に認定された。35年紫綬褒章、40年勲五等宝冠章を受章。作曲作品には他に「関寺小町」「松風」など。自伝に「菊がさね」。新橋・菊村の女主人でもあった。
- 受賞
- 紫綬褒章〔昭和35年〕,勲五等宝冠章〔昭和40年〕 芸術祭賞奨励賞〔昭和28年〕
- 没年月日
- 昭和45年 8月13日 (1970年)
- 家族
- 夫=清元 菊寿太夫
都 一広(初代)
ミヤコ イチヒロ
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報