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酒井忠義 さかい ただよし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

酒井忠義 さかい-ただよし

1644-1681 江戸時代前期の大名。
寛永21年7月5日生まれ。酒井忠当(ただまさ)の子。万治(まんじ)3年出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)藩主酒井家3代となる。高力忠兵衛(こうりき-ちゅうべえ)を郡代に抜擢(ばってき)し,藩の財政改善をはかるが,農民の不満をつのらせ,忠兵衛は失脚した。天和(てんな)元年11月7日死去。38歳。

酒井忠義 さかい-ただあき

1813-1873 江戸後期-明治時代の大名。
文化10年7月9日生まれ。酒井忠進(ただゆき)の6男。義兄酒井忠順(ただより)の養子となり,天保(てんぽう)5年若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩主酒井家12代。京都所司代在職中,将軍継嗣問題で一橋派を弾圧し,安政の大獄の発端をつくる。皇女和宮(かずのみや)の降嫁に奔走して加増されたが,寺田屋事件などで免職,隠居。明治元年忠禄(ただとみ)とあらため,再相続し14代となった。明治6年12月5日死去。61歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

酒井忠義

没年:明治6.12.5(1873)
生年:文化10.7.9(1813.8.4)
幕末維新期の若狭小浜藩(福井県)藩主。忠進の子。天保5(1834)年藩主となる。奏者番,寺社奉行を経て同14年京都所司代日米修好通商条約調印があり朝幕関係が悪化した安政5(1858)年6月,往年の経験をかわれ所司代に再任。老中間部詮勝を補佐し,穏便論を採りながらも大老井伊直弼による安政の大獄に協力。桜田門外の変で井伊が倒れたのち,公武合体を図って将軍徳川家茂と皇妹和宮の結婚を実現に導くが,尊攘派志士から非難を受け,京の治安を維持し得なかったこともあって,文久2(1862)年6月辞職。同年閠8月隠居,次いで蟄居の処分を受けた。明治1(1868)年12月,時の藩主忠氏が死去し再相続,翌2年版籍奉還により小浜藩知事,廃藩置県に伴い免官,居を東京に移した。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の酒井忠義の言及

【小浜藩】より

…若狭国小浜に居城を置いた譜代中藩。1600年(慶長5)関ヶ原の戦のとき西軍に属した木下勝俊が除封され,そのあとに近江大津城主であった京極高次が入部し,若狭一国8万5000石を領した。翌年,高次は近江国高島郡のうちにおいて7000石を加増され,ついで高次の子忠高は,24年(寛永1)越前国敦賀郡2万1000石を加増され,領地高は合計11万3500石となった。高次は,守護武田氏以来の後瀬山城を小浜(雲浜)に移し,小浜城下の町割りを行った。…

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