酒井忠義(読み)サカイ タダアキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「酒井忠義」の解説

酒井 忠義
サカイ タダアキ


肩書
小浜藩知事

生年月日
文化10年7月9日(1813年)

経歴
若狭小浜藩藩主酒井忠進の六男。天保5年藩主となり、寺社奉行を経て、京都所司代を務める。大老井伊直弼による安政大獄に協力し、和宮降嫁を実現させるが、文久2年辞職し蟄居処分となる。明治1年養子で時の藩主忠氏の死去により家督を再相続、2年版籍奉還により小浜藩知事となり、廃藩置県により免官

没年月日
明治6年12月5日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井忠義」の解説

酒井忠義 さかい-ただあき

1813-1873 江戸後期-明治時代大名
文化10年7月9日生まれ。酒井忠進(ただゆき)の6男。義兄酒井忠順(ただより)の養子となり,天保(てんぽう)5年若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩主酒井家12代。京都所司代在職中,将軍継嗣問題一橋派を弾圧し,安政の大獄の発端をつくる。皇女和宮(かずのみや)の降嫁に奔走して加増されたが,寺田屋事件などで免職,隠居。明治元年忠禄(ただとみ)とあらため,再相続し14代となった。明治6年12月5日死去。61歳。

酒井忠義 さかい-ただよし

1644-1681 江戸時代前期の大名。
寛永21年7月5日生まれ。酒井忠当(ただまさ)の子。万治(まんじ)3年出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)藩主酒井家3代となる。高力忠兵衛(こうりき-ちゅうべえ)を郡代に抜擢(ばってき)し,藩の財政改善をはかるが,農民の不満をつのらせ,忠兵衛は失脚した。天和(てんな)元年11月7日死去。38歳。

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367日誕生日大事典 「酒井忠義」の解説

酒井 忠義 (さかい ただあき)

生年月日:1813年7月9日
江戸時代;明治時代の小浜藩知事
1873年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の酒井忠義の言及

【小浜藩】より

…若狭国小浜に居城を置いた譜代中藩。1600年(慶長5)関ヶ原の戦のとき西軍に属した木下勝俊が除封され,そのあとに近江大津城主であった京極高次が入部し,若狭一国8万5000石を領した。翌年,高次は近江国高島郡のうちにおいて7000石を加増され,ついで高次の子忠高は,24年(寛永1)越前国敦賀郡2万1000石を加増され,領地高は合計11万3500石となった。高次は,守護武田氏以来の後瀬山城を小浜(雲浜)に移し,小浜城下の町割りを行った。…

※「酒井忠義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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