金色堂(読み)コンジキドウ

デジタル大辞泉の解説

こんじき‐どう〔‐ダウ〕【金色堂】

内部を金箔(きんぱく)などで飾った阿弥陀堂。極楽浄土を象徴する。
岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町の中尊寺にある藤原清衡(ふじわらのきよひら)基衡(もとひら)秀衡(ひでひら)3代の廟堂。天治元年(1124)清衡が建立。中尊寺創建当時の唯一の完全な遺構で、内外を黒漆で塗り、金箔を押したのでこの名がある。藤原時代工芸技術の粋を集めている。光堂(ひかりどう)。

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大辞林 第三版の解説

こんじきどう【金色堂】

内部を極楽世界に模して金箔きんぱくや螺鈿らでんで飾った阿弥陀堂。
岩手県西磐井いわい郡平泉町の中尊寺にある藤原清衡きよひら・基衡もとひら・秀衡ひでひら三代の廟堂。1124年清衡が建立。方三間の単層、屋根は宝形造り。内外に黒漆を塗り、金箔を施す。藤原時代の建築の代表作。光堂ひかりどう

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金色堂
こんじきどう

岩手県平泉(ひらいずみ)町の中尊寺(ちゅうそんじ)境内にある廟堂(びょうどう)。1124年(天治1)の建立。藤原清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)の三体を祀(まつ)る。堂の四壁が金箔(きんぱく)で塗装され、金色に輝くのでこの称がある。光(ひかり)堂ともいう。[阿部慈園]

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精選版 日本国語大辞典の解説

こんじき‐どう ‥ダウ【金色堂】

[1] 〘名〙 内部を金箔(きんぱく)などで飾った阿彌陀堂。荘厳な装飾で極楽浄土を象徴するもの。
[2] 岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある藤原清衡・基衡・秀衡三代の廟堂。天治元年(一一二四)清衡が創建。方三間の単層で、屋根は木瓦葺(こがわらぶき)の宝形造り。内外に黒漆を塗り、上に金箔(きんぱく)を貼る。内部には蒔絵(まきえ)・螺鈿(らでん)の装飾を施し、藤原三代の遺骸を納め、阿彌陀三尊を安置する。藤原時代建築の代表的なもの。国宝。光堂(ひかりどう)

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世界大百科事典内の金色堂の言及

【中尊寺】より

…その後基衡,秀衡も相次いで寺基を拡張した。当時の記録によれば,堂塔40余宇,僧坊300余宇と伝えられ,結構皆金色と称され,平安美術工芸の粋をきわめたが,1337年(延元2∥建武4)野火のために堂塔僧坊を焼失し,現在に残るものは金色堂と経蔵の二つだけである。最近,中尊寺は,法華経にもとづいて,その講宣・如法の功徳により,みちのく此土浄土(地上極楽)の理想を実現しようとしたものであると考えられるようになってきた。…

【平泉文化】より

… 中尊寺は藤原清衡(きよひら)によって1105年(長治2)に着工され,26年(大治1)3月24日に落慶供養が行われた天台系の寺院で,このときの堂宇は,供養願文によれば三間四面の檜皮葺堂1宇,三重塔3基,二階瓦葺経蔵1宇,二階鐘楼1宇というものであったが,《吾妻鏡》の文治5年(1189)9月17日条では,寺塔60余宇,禅坊300余宇といわれている。しかし奥州藤原氏の滅亡後衰亡し,現在は金色(こんじき)堂をのこすのみである。金色堂は中尊寺落慶供養に先立つ1124年(天治1)8月20日に完成,清衡,基衡(もとひら),秀衡(ひでひら)3代のミイラ化した遺体と,梟首(きようしゆ)された泰衡(やすひら)の首級を三つの須弥壇の下に収めた葬堂(墳墓堂)で,当時みやこで流行のものであった。…

※「金色堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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