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長野・富山県境,針ノ木岳(2821m)と蓮華岳(2799m)の間の鞍部にある峠。標高2541mで飛驒山脈の峠のうちでは最も高く,日本でも赤石山脈の三伏(さんぷく)峠(2580m)に次ぐ。古くから信濃と越中を結ぶ交通路の要衝であり,1584年(天正12)越中の領主佐々成政が,豊臣秀吉に対抗するため徳川家康との同盟を期待して,雪の峠越えをしたことで知られる。江戸時代から明治末期まで富山県側から大町地方へ塩と魚を運ぶ移入路として利用された。1874年,現在の富山市東岩瀬から同市の旧立山町芦峅寺(あしくらじ)を経て針ノ木峠を越え,長野県大町市野口に至る馬車道(信越連帯新道)の開削が着手されたが,資金不足のため完成しなかった。峠西部の黒部渓谷はカモシカやクマ,イワナの宝庫であったため,信濃の猟師たちが針ノ木峠を越えて狩猟と漁労に出かけた。これは1955年ころまで続けられたが,今は行われず,また立山黒部アルペンルートも完成したため,峠は登山客が越えるのみである。
執筆者:市川 健夫
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長野・富山県境、北アルプスの針ノ木岳(2821メートル)と蓮華(れんげ)岳(2799メートル)の鞍部(あんぶ)にある峠。標高2541メートルで、北アルプスを横断する峠では最高位。現在は登山者だけしか登らないが、戦国末から近世にかけては越中(えっちゅう)から信濃(しなの)へ塩や魚を移入する交通路であった。1584年(天正12)越中の領主佐々成政(さっさなりまさ)とその部下90余名は羽柴(はしば)秀吉に対抗するため、三河の徳川家康の助力を求めて厳冬に峠を越えたがと伝える。家康との交渉はならずふたたび峠を越えて越中へ帰ったという。このとき軍資金百万両を峠付近に埋めたと伝えられ、現在もこれを探す人がいる。峠の北斜面に針ノ木大雪渓がある。6月の開山祭にあわせて、1930年(昭和5)峠に針ノ木小屋をつくった百瀬(ももせ)慎太郎を記念する慎太郎祭が行われる。
[小林寛義]
『市川健夫著『信州の峠』(1972・第一法規出版)』
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