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針ノ木峠 はりノきとうげ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

針ノ木峠
はりノきとうげ

長野県大町市と富山県立山町の境にある峠。飛騨山脈針ノ木岳蓮華岳との鞍部で越える。標高 2541mで,塩見岳の南側にある三伏 (さんぷく) 峠に次いで,日本第2位の標高。西方の立山連峰ザラ峠で越えて信濃と越中を結ぶ交通路が通り,中世末から近世には利用者もあったが,立山黒部アルペンルートの開通後は登山者が利用。

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デジタル大辞泉の解説

はりのき‐とうげ〔‐たうげ〕【針ノ木峠】

長野・富山の県境、飛騨山脈北部の針ノ木岳と蓮華(れんげ)岳との鞍部にある峠。海抜2541メートル。信濃に越中から塩・魚を運んだ要所。

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百科事典マイペディアの解説

針ノ木峠【はりのきとうげ】

長野・富山県境にある針ノ木岳の南の峠。標高2541m。1584年織田信長の属将佐々氏は徳川家康手を結ぶため,当峠を越えて越中と遠江の間を往復したという(当代記)。
→関連項目立山[町]

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世界大百科事典 第2版の解説

はりのきとうげ【針ノ木峠】

長野・富山県境,針ノ木岳(2821m)と蓮華岳(2799m)の間の鞍部にある峠。標高2541mで飛驒山脈の峠のうちでは最も高く,日本でも赤石山脈の三伏(さんぷく)峠(2580m)に次ぐ。古くから信濃と越中を結ぶ交通路の要衝であり,1584年(天正12)越中の領主佐々成政が,豊臣秀吉に対抗するため徳川家康との同盟を期待して,雪の峠越えをしたことで知られる。江戸時代から明治末期まで富山県側から大町地方へ塩と魚を運ぶ移入路として利用された。

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大辞林 第三版の解説

はりのきとうげ【針ノ木峠】

長野県と富山県の境、飛驒山脈後立山連峰にある峠。海抜2541メートル。かつて越中と信州を結ぶ要所。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔富山県(長野県)〕針ノ木峠(はりのきとうげ)


富山・長野県境、飛騨(ひだ)山脈(北アルプス)の針ノ木岳と蓮華(れんげ)岳の鞍部(あんぶ)にある峠。標高2536m。近世から明治期まで越中(えっちゅう)(富山県)と信濃(しなの)(長野県)を結ぶ重要な峠道をなした。1584年(天正(てんしょう)12)、富山城主佐々成政(さっさなりまさ)による厳冬の峠越えが有名。長野県大町(おおまち)市側の篭(かご)川の谷から後立山(うしろたてやま)連峰に向かう絶好の登山路。長野県側の針ノ木雪渓は日本有数の規模。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

針ノ木峠
はりのきとうげ

長野・富山県境、北アルプスの針ノ木岳(2821メートル)と蓮華(れんげ)岳(2799メートル)の鞍部(あんぶ)にある峠。標高2541メートルで、北アルプスを横断する峠では最高位。現在は登山者だけしか登らないが、戦国末から近世にかけては越中(えっちゅう)から信濃(しなの)へ塩や魚を移入する交通路であった。1584年(天正12)越中の領主佐々成政(さっさなりまさ)とその部下90余名は羽柴(はしば)秀吉に対抗するため、三河の徳川家康の助力を求めて厳冬に峠を越えたがと伝える。家康との交渉はならずふたたび峠を越えて越中へ帰ったという。このとき軍資金百万両を峠付近に埋めたと伝えられ、現在もこれを探す人がいる。峠の北斜面に針ノ木大雪渓がある。6月の開山祭にあわせて、1930年(昭和5)峠に針ノ木小屋をつくった百瀬(ももせ)慎太郎を記念する慎太郎祭が行われる。[小林寛義]
『市川健夫著『信州の峠』(1972・第一法規出版)』

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世界大百科事典内の針ノ木峠の言及

【峠】より

…三伏(さんぷく)峠(2580m)は塩見岳の南西にある赤石山脈の主山稜にある日本の最高所の峠で,1875年に開かれた。針ノ木峠(2541m),ザラ峠(2353m)は,それぞれ後立山,立山山脈中の鞍部であり,1584年佐々成政の両峠越えで名高い。上高地西の中尾峠(2080m),東の徳本(とくごう)峠(2135m)は天保年間(1830‐44)から飛驒街道が通っていたところであり,梓川沿いの道路が1933年開通するまでは上高地への入山者はたいていここを通った。…

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