出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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京極流 (きょうごくりゅう)
箏曲の流儀名。1901年鈴木鼓村(こそん)が創始したもの。鼓村は大阪の明治新曲運動とはやや異質ではあるが,三味線に従属しない純粋の箏曲を目ざし,史曲,小品,雑曲,童曲,舞曲,劇曲などと分類した文芸的に高踏的な詞章による箏の弾き歌いの作品を数多く作曲し新流を称した。ただし,鼓村は京都に伝承される生田流をも伝え,その古典の伝承にとくに改革を試みたわけではない。鼓村の高弟の雨田光平(1893-1985)はその伝承者として知られた。
執筆者:平野 健次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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京極流
きょうごくりゅう
箏曲の流派名。明治 30年代に,鈴木鼓村が創始した新様式の箏曲で,親交のあった高安月郊,薄田泣菫,蒲原有明,与謝野晶子らの詩を歌詞として作曲し,雅楽風の調弦や奏法を応用したりした新傾向のものを京極流箏曲と称する。特に楽劇風の物語曲を史曲と呼んだ。三弦との合奏をまったく避けた箏の独奏曲が大部分で,男子は衣冠束帯で安座して弾奏することを原則とする。福井の雨田光平や京都の那智蒼生子 (たみこ) などに伝承された。代表曲に『静』 (1901,高安月郊作詞) ,『紅梅』 (04,薄田泣菫作詞) などがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の京極流の言及
【鈴木鼓村】より
…箏曲家。[京極流]の創始者。本名映雄(てるお),後名那智俊宣(としのぶ)。…
【箏曲】より
…山口県萩に伝えられたものは,八橋の直系の伝承と思われるが,現在では絶えてしまっている。なお,筑紫箏の野田聴松にも学んだ[鈴木鼓村]が1901年に創始した別種の箏曲である[京極流]は,現在では福井の雨田光平にのみ伝承されている。[地歌]【平野 健次】。…
【筑紫箏】より
…調弦法も雅楽の音階に基づくが,八橋の本雲井調子と同様な調弦もある。なお,野田聴松に学んだ鈴木鼓村は,1901年,[京極流]と称する新たな箏曲を創始した。なお,福岡の筑紫(ちくし)歌都子が称する筑紫流は,筑紫箏とは無関係である。…
※「京極流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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