鉢伏村(読み)はちぶせむら

日本歴史地名大系 「鉢伏村」の解説

鉢伏村
はちぶせむら

[現在地名]宇ノ気町鉢伏

宇気うのけ村の南東、北東の茶臼ちやうす山系南端の鉢伏山を囲み集落が立地。西の宇ノ気川、南の悪水あくすい川と金錆かなさび(狩鹿野川とも、現気屋川)による沖積低地が広がる。悪水川は当村の阿里河ありこ谷より鉢伏新村もり村・宇野気新うのけしん村の水田廃水を集め(三州旧蹟志)頭無あたまなし川とも、鉢伏川ともいわれた(弘化四年「河北郡図」県立図書館蔵など)

〔中世〕

金津かなつ庄の内。享禄(一五二八―三二)頃と推定される七月二〇日の金津庄村々納銭注文案(賀茂別雷神社文書、以下同文書は省略)では、公用銭六五貫二五七文のうち一四貫六一四文が「鉢伏村納」で、金津庄内八ヵ村で最多額である。延徳三年(一四九一)九月に固定化したものを再編した天文五年(一五三六)一一月の金津庄鉢伏村名別公事銭等納帳によれば、真末・重利・恒清・延真・友重・国清・重国・吉次・大同だいどう・守重の一〇名で構成されている。元亀元年(一五七〇)一二月一八日の金津庄御帳紙数書立には「鉢伏村御帳 五枚半」とあり、天文五年の公事銭等納帳と紙数が同じ。

重国・吉次名は正安二年(一三〇〇)三月二三日の関東下知状にみえ、金津庄と北英田きたあがた保の係争地であった。


鉢伏村
はちぶせむら

[現在地名]長岡市鉢伏町・御山おやま

東山丘陵の一支脈が西方に突出た小山の北側に開けた集落。北は長倉ながくら村、西は土合どあい村、東は三貫梨さんがんなしを経て栖吉すよし村に通じる道があり、南は坂道を下ると青木高畑あおきたかばたけ村に出る。文明(一四六九―八七)頃の長尾・飯沼氏等知行検地帳(上杉家文書)に飯沼弾正左衛門尉分高波たかなみ保のなかに「鉢伏別当衆徒中」が本田・増分合計二万二千九〇苅を所有している。これは当地にあった薬師堂の別当および衆徒の所領をさす。天正村名考(温古之栞)に伝える「はちふせ三十三軒」は当村と思われ、同時に記される「霊善寺免十八軒」は現在真宗大谷派となっている霊善りようぜん寺にかかわる事柄であろう。元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録に村名がみえ、高二六六石七斗余。


鉢伏村
はちぶせむら

[現在地名]奈良市鉢伏町

高円たかまど山南麓の渓谷村。東方は鉢伏峠を経て春日宮天皇陵(現矢田原町)に至る。「春日社記録」中臣祐賢記の文永二年(一二六五)正月八日条に「馳淵尾(鉢伏庄)御供、社司皆参、即退散了」とみえ、「経覚私要鈔」文安六年(一四四九)三月五日条に「菩提山路事(中略)矢池方事、仰付八峯山者共、可止之」、同書宝徳三年(一四五一)三月一一日条に「八峯山(鉢伏山カ)茶薗令掃除了、元興寺領人夫也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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