中国,明末・清初の学者,詩人。字は受之,号は牧斎。江蘇省常熟県の人。明の万暦38年(1610)の進士。官は礼部侍郎に進んだが,東林党に属し,しかも政府に批判的だったために不遇であった。明の滅亡後,一時南京の福王を擁立したが,清軍に降伏して,これに仕えた。そのため,彼の死後,乾隆帝は2朝に仕えた不忠の臣として非難し,その著書をすべて禁止した。しかし,詩人としては呉偉業と並んで称せられ,また当時の詩壇の主流であった古文辞派を批判し,形式よりも内容を尊ぶべきだと主張した。学者としては漢唐訓詁の学を称揚して,後の考証学の先声となった。そのほか,蔵書家としては《絳雲楼(こううんろう)書目》を残し,また晩年,仏教にも深い関心を寄せて仏典の注釈を著している。著書に,明代の詩の選集《列朝詩集》,彼自身の詩文集として《初学集》《有学集》がある。
執筆者:坂出 祥伸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、明(みん)末清(しん)初の学者、詩人。字(あざな)は受之(じゅし)、号は牧斎(ぼくさい)。江蘇(こうそ)省常熟(じょうじゅく)の出身。1610年(万暦38)の進士。官は礼部尚書に至り、正義派の政治結社、東林党の指導者として重きをなした。明の滅亡の直後、南京(ナンキン)に福王(ふくおう)を擁立したが、清軍が迫るとたちまち降伏し、清朝の礼部右侍郎に任ぜられた。このため乾隆(けんりゅう)帝は、名節尊重とその影響力の払拭(ふっしょく)をねらい、銭の著書をすべて禁書にしている。銭は明末清初の文壇の重鎮であり、深い学識を背景に重量感のある詩文を書き、清初の詩人としては呉偉業(ごいぎょう)と双璧(そうへき)と称された。明詩の選集に『列朝詩集』81巻がある。自身の詩文集には『初学集』110巻、『有学集』50巻がある。
[佐藤一郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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