鋳掛けは鋳物技術の一手法で,なべ,釜など銅・鉄製器物の破損を同質の金属,またははんだの一種である白鑞(しろめ)を溶かして継ぎ掛けることであり,その職人を鋳掛屋または鋳掛師といった。基本的には鋳物師(いもじ)から分化した専門職人である。その専業化は,白鑞の利用がひろまってきた17世紀になってからのことである。鋳掛師は居職であるが,鋳掛屋は出職である。二つの箱に道具をいれて7尺5寸の長いてんびん棒をかついで町中を歩いた。軒下が7尺5寸なくては火を使うことは禁じられていたので,その高さをはかるためであった。火吹竹で送風することもあったが,多くは小さいふいごを携えていた。文化年間(1804-18)の末ころ,大坂に夫婦づれの鋳掛屋があった。これが歌舞伎の所作事にとり入れられて評判になり,以後夫婦づれで歩くことを〈いかけ〉と呼ぶ風も生じた。今日では,アルミニウム,アルマイト,ステンレススチールなどの器具が多くなり,また新しい接着剤が普及したこともあって,鋳掛屋はほとんど見られなくなった。
執筆者:遠藤 元男
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鋳掛は鋳物技術の一手法で、銅や鉄の容器の破損を同質の金属または白鑞(しろめ)(錫(すず)と鉛の合金、はんだ)を溶かして継ぎ掛けることであり、その職人を鋳掛屋または鋳掛師という。鋳物師(いもじ)から分化した専門職人。専業化は、白鑞の利用が広まり、また庶民の節約の意識と生活の知恵が高まってきた17世紀の江戸期になってからであり、鋳掛師よりも遅れてであろう。鋳掛師が居職であるのに対して鋳掛屋は出職である。二つの箱に道具を入れて7尺5寸(約2.3メートル)の長い天秤棒(てんびんぼう)で担いで町中を歩いた。軒下が7尺5寸なくては火を使うことは禁じられていたので、その高さを測るためであった。火吹き竹で送風したが、多くは小さいふいごを持っていた。
[遠藤元男]
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