佐賀県有田の伊万里焼(いまりやき)を代表し、江戸初期から現代まで14代続く陶工酒井田柿右衛門家。また、その家系の窯(かま)で焼かれた色絵磁器、およびその様式の作品群。
酒井田家は室町時代には酒井田(現、福岡県八女(やめ)市)に居住した豪族で、1582年(天正10)には酒井田壱岐守(いきのかみ)統連の世継、酒井田弥次郎が龍造寺(りゅうぞうじ)氏の人質となって竜王(現、佐賀県杵島(きしま)郡白石(しろいし)町深浦)に移り住んだと伝える。この弥次郎は晩年円西と名のったが、その子が初代柿右衛門に改名した喜三衛門と推測されている。初代柿右衛門は進取の気風に富んだ才気煥発(かんぱつ)な陶工であり、中国人からの伝授をもとに白磁胎上絵付法(赤絵)を開発し、金銀の上絵付法をもくふうして伊万里焼の進歩に大いに貢献し、長崎に持参してオランダ人や国内の商人にも売りさばくなど目覚ましい活動を行った。赤絵の創始は1647年(正保4)よりすこし前のことであった。その後、家業はかならずしも順風満帆ではなかったらしいが、3代のころは西欧輸出陶磁の生産が始まった1660年代にあたっており、これに参加して隆盛するに至ったようである。赤絵創始の功が認められて、例外的に白磁染付以外にも、赤絵上絵付の焼成を藩より許可され、新藩主着任のときは謁見が許され、作品も献上する習わしであった。それは単に酒井田家が伝統ある名家であったばかりでなく、歴代名工が輩出して、高い陶技の水準を保ち続けたことに由来している。長い柿右衛門家の歴史のなかで江戸後期1771年(明和8)ころは生業がかなり苦境にたたされたこともあった。しかし、明治維新を迎え、1878年(明治11)に黒川真頼(まより)が『工芸史料』を著して柿右衛門を顕彰して以来、その名声は西欧にも及び、1917年(大正6)に没した11代柿右衛門が家運をふたたび盛り上げた。しかし残念ながら10代以前の歴代の生没年は判然とせず、その作品も具体的にはなにも判明していない。
[矢部良明]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…肥前有田の陶工で,江戸前期から今日まで,14代にわたって独特の色絵磁器を焼く。初代柿右衛門(生没年不詳)は,正保(1644‐48)ころ,明の五彩磁の技法を日本ではじめて完成したといわれている。酒井田家は有田皿山の中心部から離れた南川原(なんがわら)山に窯を築き,伊万里焼とは性質を異にする上質の色絵磁器を焼成した。…
※「柿右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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