日本歴史地名大系 「長久手古戦場」の解説
長久手古戦場
ながくてこせんじよう
天正一二年(一五八四)織田信雄は徳川家康と連合して羽柴秀吉と小牧・長久手に会戦した。四月九日、秀吉の部将池田恒興(勝入、信輝)・森長可・堀秀政・三好秀次らは五隊を編成し、約二万の兵を率いてひそかに徳川軍の背後(東方)を通り、家康の本拠岡崎城の襲撃を図ったが、徳川方に察知され、この地で両軍が激突、池田方は大敗し恒興・長可らが戦死した。秀吉は救援に駆け付けたが、徳川方はすでに
これが長久手の戦で、戦場は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報