日本歴史地名大系 「長宝寺」の解説 長宝寺ちようほうじ 山口県:玖珂郡周東町祖生村長宝寺[現在地名]周東町大字祖生 別所畑臨済宗天龍寺派。洪福山と号し、本尊十一面観音。寺伝によれば大同二年(八〇七)行基の開基とされるが、元禄八年(一六九五)の「寺社記」は、八〇年ほど前の火災で旧記類を焼失して開基などは不明、その後住職慶首座を中興開山とし、本尊は地蔵、観音堂の十一面観音は行基の作で、「当寺観音ハ三十三年一度開帳之事、但、当国三十三番札所ノ二番目也」と記す。 長宝寺ちようほうじ 大阪府:大阪市平野区平野郷町西脇町長宝寺[現在地名]平野区平野本町三丁目高野山真言宗、山号王舎山朝生院、本尊十一面観音。平安初期の征夷大将軍坂上田村麻呂の息女春子(慈心尼)が大同年間(八〇六―八一〇)開創したと伝える(長宝寺系図)。慈心は桓武天皇の妃であったが、天皇の死後その冥福菩提のため当寺を建立したという。以後、当寺は坂上氏とその後裔の平野七名家が祭祀した杭全(くまた)神社とともに栄えたという。住職は代々尼僧で坂上家よりこれに当たり、無本寺で真言浄土二宗兼学であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by